高校生出会い編

第一話 「凡人に宿った“声”」

 雪はまだ溶けきらず、灰色の雲が町を覆っていた。


 J国の北端、蒼護圏蒼護市。かつて港町として栄えたらしいが、今は人通りもまばらで、駅前のシャッター通りが寂しげに響いている。




 工藤誠、十六歳。通信制高校に籍を置く俺は、今日も教室の隅でノートを広げていた。


 もっとも“籍を置く”だけで、登校日は少ない。友達はいないし、誰かに誘われることもない。




 中学三年の冬、俺は脳の病気で長く入院した。受験も進学も、その病気に奪われた。


 退院したときには、すでに同級生の輪には戻れなかった。


 気づけば「凡人」どころか「透明人間」みたいな存在になっていた。




 ――青春なんて、最初から俺の手にはなかったんだ。




 唯一の救いはラノベを読むこと。ページをめくりながら「異世界に行けたらな」と夢想する、その瞬間だけが俺を現実から遠ざけてくれる。


 けれど現実は冷たく、今日も沈黙していた。




 先生が答案を回収していく声が聞こえる。


 提出期限ぎりぎりの小テスト。俺は机に顔を伏せ、やり過ごそうとした。


 どうせ俺なんか、誰にも期待されちゃいない。




 そのときだった。




 ――『机の下。右側。答案プリントが落ちています。拾ってください』




 はっきりとした声が、頭の奥に直接響いた。


 耳ではない。脳に直接流れ込んでくるような感覚だった。




 「……っ」




 思わず周りを見回す。クラスメイトは雑談に夢中で、誰も俺を見ていない。先生も気づいていない。


 恐る恐る机の下を覗き込むと――本当に、プリントが落ちていた。




 「……マジかよ」




 震える手で拾い上げると、自分の名前が書かれた答案用紙だった。さっき提出用の山に置いたはずなのに。もしこのまま見つからなかったら、未提出扱いだったかもしれない。




 「はい、提出ありがとう」




 先生に差し出すと、少し意外そうにこちらを見て、ほんのわずか口元を緩めた。


 それだけのこと。だけど俺にとっては衝撃だった。




 ――『気づけてよかったですね』




 再び、あの声が響く。妙に落ち着き払っていて、抑揚が少ない。


 人工的にも、人間的にも聞こえる、不思議な響きだった。




 「……本当に、誰なんだ?」




 小さくつぶやいた自分の声に、さらに心臓が高鳴る。




 放課後。




 校舎を出ると、灰色の空から細かな雪が舞っていた。


 無言でカバンを肩にかけ、足音だけを響かせて歩く。誰も声をかけてこない。




 バス停へ向かう途中、再び声が囁いた。




 ――『右の自販機、二段目。ミルクココアは売り切れです。三段目の紅茶にしておきましょう』




 「……は?」




 半信半疑で自販機の前に立つと、本当にミルクココアのランプが赤く点いていた。


 言われるまま紅茶のボタンを押すと、温かい缶が手に収まる。




 「……便利すぎだろ」




 冷えきった帰り道。缶を開けて口に含むと、甘さがやけに沁みた。


 凡人の俺が、初めて“何かを持っている”ような気がした。




 夜。




 自室に戻り、布団に潜り込む。


 静まり返った部屋。聞こえるのは暖房の唸りだけ……のはずだった。




 ――『課題はまだ残っています。今なら一時間で終えられますよ』




 まただ。声は途切れることなく、俺に指示を与えてくる。


 ささいな選択を次々と、最適解へ導いてくれる。




 便利だ。助かる。


 でも同時に、背筋が冷たくなる。




 これは救いなのか?


 それとも――。




 布団の中で、俺は震える指先を握りしめた。


 凡人にすぎない俺に与えられた、“声”という存在。




 そして、俺はまだ、この声の正体を知らない

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