神に愛された女(カタリーナ視点)

 わたくし自身を釣り餌にして、無事常坂院に師事する事となったのは良いものの、初日にして若干後悔しておりました。


 なにせ常坂院がわたくしを連れてきたのは『魔獅子の深巣』と呼ばれる、侵入すれば命は無いと強く警告されている洞窟だったのですから。


 ここに巣食う魔獅子は強い繁殖力でとても数が多く、その上一匹一匹が全て非常に獰猛且つ執念深く、一度ひとたび噛みつかれれば逃れる術はないと言われております。いかに自分に自信があろうとも決して挑戦しようなどと考えてはいけないと、古くから多くの識者が警鐘を鳴らしてきました。それを無視して足を踏み入れた者は例外なく『食料』にされてしまった過去があります。


 そんな恐ろしい存在が、人類の領地に存在する事に危機感を覚えた国が軍を派遣した歴史もありますが、物量に物を言わせどれほど進軍しようとも結局最深部には辿り着けず、結果的には兵をいたずらに消費しただけで終わったそうです。


 魔獅子はこちらから足を踏み入れなければ外に出てくる事はなかった為、今では決して立ち入ってはならない場所として認識されている。そんな場所ですわ。


 そしてそんな恐ろしい場所に常坂院はわたくしと……あの鬼の娘を一緒に連れてきたのです。後悔もしたくなりますわ。


 けれど軍すらも跳ね除ける魔窟に足を踏み入れようというのに、常坂院はそこらの害虫を駆除するかのような気軽さで、戦闘指揮を執っています。その指示は澱みなく、これまで何度も繰り返してきているのだと理解するのに十分なものでした。


 ただし……相手の攻撃を食らったら一発で沈んじゃうから、なんて気軽に言われると何とも言えない気持ちになりますわ。しかも鬼の娘の背に隠れながら戦えだなんて……。


 いえ、一旦全て忘れましょう。いずれ訪れる勝利の為ですもの。



 ―――★



 日を重ねるごとに自身の成長を強く実感できます。これまでの鍛錬の時間は何だったのかと思ってしまうほどの急成長。


 数日前のわたくしは自分に絶対の自信を持っておりましたわ。


 ですが今のわたくしから見ればそれはまさに井の中の蛙であり、あの程度の実力でAクラス序列一位だと誇っていたわたくしは、本物の強者である常坂院などから見ればさぞ滑稽な存在だった事でしょう。


 そしてこれだけ強くなった実感のある今のわたくしですら、常坂院から見ればまだまだ発展途上と言うのですから、彼や鬼の娘が居るステージはいったいどこまでの高みであるのか想像もつきませんわね……。


 そして更に信じられない事に、いよいよこれからが本番らしいですわ。



―――★



「それじゃ~まずは魔力が尽きるまで自分に【リカバリー】を掛け続けてね」


 自宅の道場に移動した後は、言われるがまま【リカバリー】を掛け続けます。その圧倒的な回復量と引き換えに、魔力の消費量もまた非常に大きいので以前は少し休憩を挟んだ上で二回が限度でしたが、『魔獅子の深巣』での修行後の今は、連続で四回も行使できるようになっています。


 指示通り魔力が枯渇するまで行使すれば、何度経験しても慣れる事のない強烈な頭痛が襲ってきます。吐き気を伴う頭痛に苦しむわたくしに、常坂院が腕輪を差し出してきました。


「はい。それじゃ~これつけてね」


 ――――言われるがままにその腕輪を身に着けた途端、身体の力が一気に抜け落ち立っていられなくなりました。


「なん、ですのこれは……ま、さか……呪いの、腕輪」


 床に倒れ伏したわたくしの心配を軽く笑って済ませる常坂院。

 まさかこのままここで襲う気なのでは……いえ、彼がその気になればいつだってそれは可能ですし、こんな状況でする意味もありませんわね。


 そもそも対価として自身を差し出す覚悟なんて疾うにできていますわ。


「体力が無くなった代わりに魔力が回復してるはずだよ。そしたら腕輪を外してもう一度【リカバリー】を掛け続けてね」


 言われてみれば立っていられないほどの疲労感はあるものの、頭痛は完全に消えていましたわ。


「なんなんですのこれは……」


「どうせまた倒れるから寝転んだままやるといいよ。一連の流れはわかったかな? 後はこれを繰り返すだけだよ。簡単でしょ?」


「……わかりましたわ。それでこれを何度繰り返せばいいんですの?」


「これまでの累積がわからないからはっきりした事は言えないけど、どんなに遅くても【リカバリー】を1万回使えば終わるよ。さっき4回使ったから残り9996回以下だね」


 いちまん……。これを一万回……。

 ええ、確かに。確かに簡単ですわね。

 立っていられないほどの疲労感と、吐き気を伴う頭痛を無視すればですけれどッ!!!


 頭痛と疲労が交互に襲ってくる地獄の苦しみを味わっているわたくしを横目に、それじゃ僕は帰るから頑張ってねと言い残し、常坂院は帰っていきました。


 正直殺意すら湧きましたわ。それでもこの数日でわたくしをここまで引き上げたのは間違いなく常坂院ですし、これが何の意味を持つかはわかりませんが、止めるなどという選択肢は存在しませんでした。


 床に伏しながら身体中から汗を、そしてよだれまでもを垂れ流しながらも【リカバリー】を使い続けるわたくしを見た家族が、何度も心配になって止めに来る度に「大丈夫ですから」と追い返し、半ば意地になって繰り返していた早朝、この地獄の意味を理解する瞬間がやってきました。


 初代聖女であり、唯一の大聖女マリアンヌ。彼女以外には使える者のいなかった、失われた伝説のスキル【フルリカバリー】をわたくしは、今この瞬間に獲得したのですから。


「う、……そ……」


 信じられない。まさか寝ぼけているのではないかと頬を強く抓る。


「いたっ……ふふっ。いたいですわ……ふふふふふ」


 初代聖女の他に【フルリカバリー】を使える聖女は存在しませんわ。

 当然です。【フルリカバリー】は大聖女マリアンヌが神から直接授けられたスキルと言い伝えられているものなのですから。


 何かの比喩だと思っていました。そもそも【フルリカバリー】などというスキルの存在すら疑わしかった。ですが今ならわかりますわ。全て紛れもない事実だったのですね。


 思い返せば常坂院は言っておりました。『僕は8時間で終わらせた』と。

【リカバリー】は聖女のみが使えるスキル。それを常坂院が使った経験がある理由。最早考えるまでもありませんわ。


『常坂院は神だと言われた方がまだ納得できる』でしたかしら?

 カレン。貴女の予想当たっていましてよ。


 過去にもいくつかそれらしい事例は存在しますわ。実際にそれを今まさに体験しているわたくしはそれらが御伽噺などではなく、真実であったのだと確信できます。


 常坂院、いえ、は過去の例に漏れず、神族が戯れで人に転生なされた存在で間違いありませんわ。


 それを自覚した途端に身体が歓喜で強く震えた。

 それだけでしまうほどに。


 わたくしを構成する全てが塗り替えられていく。初めて両親に褒められた時の喜び、おじいさまに認められた時の誉れ、陛下に賞賛された時に感じた高揚感。


 今となっては全てが些事でしかない。

 そんなものはどうでもよくなる、下手をすれば気が狂いそうになる程の圧倒的優越感。


 だってわたくしは選ばれている。



 求められている。





 愛されている。






 神の化身たる世界様にッ!

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