第26話 臨時職員に柔軟な対応が可能な権限なんて存在しない

 水崎ミコたちが裏山に入ろうとしていた頃、マダム――間山の自宅の前には黒塗りの車が止まっていた。ガソリンと魔石のハイブリッドカー。一台で平均的サラリーマンの年収数年分になる高級車である。


「ちっ、今日は朝から留守ですか。無駄足を踏みましたね」


 その車に寄りかかり、煙草をくわえている男がいる。

 黒いスーツをまとった細身の体に載っているのは白いヤギ頭。

 バフォメットである。

 そのねじくれた角はなぜか片方が半ばから折れていた。


「もう話はメガソーラーだけでは済まなくなってるんですがね」


 その手にはクリアファイルに入った書類が一式。

 バフォメットの職権で可能な限り高値の買取額を記した見積書が入っている。見積書に記されたロゴはメイオーエコライフシステムズ。

 バフォメットはメイオーアグリカルチャーだけなく、メイオーエコライフシステムズ、またいくつかのメイオーグループ企業に籍がある。

 地方を攻略する場合、人脈と地縁が物を言う。

 担当を分けるといちいちそれらを築かなければならないため、エリアごとに担当社員を置くのがメイオーの営業方針だった。


「早く買収を済ませ、あの件を隠蔽せねば……」


 バフォメットは折れた角の断面を指でさする。

 これはメガロレイヴンの騒動のときに折れたものだった。

 飛び回るメガロレイヴンの風圧に吹き飛ばされ、用水路に落ちたのだ。

 あの屈辱を思い出し、バフォメットはぎりぎりと奥歯を噛み締めた。

 メガロレイヴンを召喚したのは明らかにバフォメットの短慮なのだが、しかし彼は薄汚い劣等人種人間のせいだと信じて疑わなかった。


「スライム駆除剤の販売計画が頓挫させられた上に、余計な後始末まで必要になってしまいました。まさか召喚魔法の影響で時限回廊が開いてしまうなど計算違いもいいところですよ」


 バフォメットは煙草を吐き捨て、革靴のかかとで踏み消した。


「しかし、考えようによっては僥倖です。穴付き物件、何としても冥王様に献上しなければ」


 バフォメットは横長の瞳を細め、ほくそ笑んだ。


 * * *


「うわー、これがゲート。初めて生で見た」


 熊笹の茂る小径をかき分け、たどり着いた先にそれはあった。

 小さな鳥居をくぐった境内の中心、年季の入ったお社の前に、真っ黒い球体が浮いている。

 大きさは直径一メートルほどか。

 輪郭はぼんやりしており、出来の悪い合成映像みたいだ。

 そこからはねっとりと生暖かい風が流れ出している。

 まだまだ残暑が厳しい季節だと言うのに、その生暖かさは異質だった。

 これが異世界の空気なのだろうか。


「魔素が濃いな。魔法が苦手な俺にもわかるぜ」とニッセ社長が口元を押さえ、

「げえ、なんか気持ち悪りぃ風だな。親父、こんな空気の悪いところに住んでたのかよ」とカッセ君が顔をしかめる。


「ちげえよ。俺らの故郷はもっと爽やかな魔素が吹いてるよ。魔素にも種類があるんだ。これは魔素っつうより瘴気だな。黒竜山脈の向こう、冥王の領域にでもつながっちまってるんじゃねえか」

「向こうの地名なんて言われてもわかんねえよ。生まれも育ちもこっちなんだからさあ」


 うむ、わたしにもわからない。

 メイオーの領域ってことは、メイオーグループの総本社がある場所ってことだろうか。こんな空気の悪いところに住んでいたから根性が曲がってしまったのかもしれない。


 ゲートが、黒い球体の表面がぐにゃりと歪んだ。

 ちちちちち……と耳障りな、甲高い鳴き声が聞こえてくる。

 球体の一部が膨らむと、その内側から大きなネズミの顔がにゅっと飛び出した。


「害獣ざますっ!」


 ばちこーんとマダムの張り手が飛び、ネズミの頭が引っ込んだ。

 どうやらこのゲートがワーラットの発生源で間違いないようだ。


「さて、これで俺たちの仕事は済んだな。検収を頼むよ」

「えっ、でも、これじゃまたワーラットが出てきちゃうんじゃ……」

「契約は発生源の特定までだ。ここから先は役場の方で頼むぜ」

「ええ……」


 発生源を見つけたら万事解決なんて単純に思っていたけれど、冷静に考えたらそんなわけがなかった。

 ゲートが見つかったときの対処法なんて聞いてないぞ。

 ひとまずは警察に通報?

 ……いや、犯罪じゃないしな。

 役場に連絡?

 ……いや、役場の職員、わたしじゃん。


 うーん、どうしたものか。

 腕組みをして悩んでいると、ウーナがすっと前に出た。

 そして腕を伸ばし、ゲートに指先を触れると、


〈凍って〉


 と呟いた。

 瞬間、黒球の輪郭が線を引いたみたいにくっきりした。

 生暖かい風も止んでいる。

 えっ、何したの?


「ひゅー。すげえな、ゲートって凍るのかよ」


 ニッセ社長が感心しながら黒球をぺしぺしと叩いている。

 ゲートを凍らせた……?

 ってことは、もうワーラットは出てこないってこと?


「どれくらい保つんだ、これ?」

「九日後、夜明けまでよ」

「いまので九重奏ノネットかよ。やっぱりぶっ飛んでやがんな」


 ニッセ社長が呆れたように両手を上げる。

 ノネットが何なのかは知らないけれど、とにかくすごいことをしたらしい。漫画やアニメでも詠唱が短いほど強キャラ感あるしな。たぶんそんな感じのことなんだろう。


 とにかく、九日間はこのゲートが無力化されたってことでいいのかな。

 それならば――


「では、事後の対応は持ち帰って相談します!」


 困ったときの亀永さんだ。

 ニッセ社長とカッセ君がそろって呆れたような目で見てくるが、しょうがないじゃないかよう。臨時職員に柔軟な対応が可能な権限なんて存在しないのだ。

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