第30話 利用

   ◇Sideクノカ・ティーチル


 クノカ・ティーチルは苛立っていた。

 クノカは今敬愛なるフィゼリア・エーベットと共に学園の校庭を離れ、学生寮へと向かっている最中だった。

 けれど、フィゼリアの歩調は速く、自分を置き去りにしようとしているかのようだ。それがクノカの心を深く抉った。


「フィゼリア様」


 クノカは我慢ならず、フィゼリアに声を掛けた。


「何だい?」


 フィゼリアは足を止めてくれなかった。


「何故、あの者に構うのですか」


 クノカの脳裏に浮かぶのはミハル・ハトミネとかいう憎き編入生の顔だった。


「理由は前に説明したと思うんだけれどね」

「ですが、あそこまでする必要は無いでしょう……! 別にあの者が『魔炎闘技』に勝つ必要は無いのですから……」

「いや、勝ってくれた方が圧倒的に都合が良い。恩は売れるだけ売っておいた方が良いのは道理だろう? クノカ、私たちの使を忘れたのかい?」

「それは……勿論忘れる筈がありません。ですが、あの者は当初の目的には無く、重要視する必要も無いかと……」

「いいや――前にも言った通り、彼女は間違いなく異世界転移者だ。彼女を手に入れる事のメリットは計り知れない」


 彼女を手に入れる。その言葉をフィゼリアの口から聞く事が辛かった。


「フィゼリア様!」


 クノカが再びフィゼリアの名を呼ぶと、浴びせられた視線は些か冷ややかなものに思えた。それでも、確認する。そうしないわけにはいかなかった。


「フィゼリア様の一番は、私、ですよね……? 真に貴女のお役に立てるのは私だけ……! 私だけが貴女の従者であると、そう仰っていただけますよね……?」


 握った拳が震えていた。クノカの心の中には恐怖があった。


「妬いているんだね、クノカは」


 フィゼリアは笑みと共にそう言った。

 妬いている――あの女に。その事をフィゼリアに指摘され、赤面した。


「……ええ、そうなんです……! 当然です、だって、私はこんなにもフィゼリア様をお慕いしているのに、フィゼリア様は別の女にご執心で……! それに嫉妬を覚えたらいけませんか!」


 取り繕う事など出来ない。それに、自分の思いを、胸が張り裂けそうなほどの感情を彼女に知って欲しかった。


「私は、心の底からフィゼリア様の事を愛して――」


 フィゼリアの黒い髪がふわりと舞う。

 次の瞬間、クノカの唇とフィゼリアの唇が重なっていた。


「――っ」


 クノカは許容量を超える多幸感に溺れ、見悶えした。

 辺りには二人以外の人間は居なかった。故に二人の接吻は誰に見咎められる事も無く、時の経過を忘れたように長い間続けられていた。

 暫くしてフィゼリアが口を離した。


「フィゼリア、さまぁ……」


 クノカの頬は紅潮し、瞳は潤んでいた。


「私もだよ、クノカ。きみの事は他の誰よりも信頼している。だから、クノカも私の事を信じてくれないかい?」

「ふぁ、はい……」


 クノカは深く頷いた。


「私たちの目的を果たす為、しっかり動いてくれるよね?」

「も、勿論です!」


 慌ててクノカは返事をした。フィゼリアは自分に対して愛情を示してくれたのだから、彼女の為に身を捧げて働き、その成果を以て報いなくてはならないと思った。


「きみが彼女に嫉妬する必要なんて無いんだよ。私はただ目的の為に彼女を手に入れようとしているだけなんだからね。別に彼女に対して好意があるわけでもない」

「そう、ですよね! フィゼリア様はいつも、私の事だけを見ていて下さいますものね……! 申し訳ありません、そうだと分かっていても、私はフィゼリア様を強く想うあまり不安になってしまいまして……!」

「クノカは可愛いね」


 フィゼリアはそう言ってクノカの頭を撫でた。


(そうだ、こうやってフィゼリア様に頭を撫でて貰えるのも、キスして貰えるのも私だけ……フィゼリア様は私だけを愛してくれる……)


 そう思うと、憎きミハルに対しての嫉妬心は軽くなってゆき、代わりに彼女に対しての優越感が胸の中を満たした。

 フィゼリアはクノカに顔を近付け、囁く。


「私の部屋に来るかい? 寂しがり屋のクノカを沢山可愛がってあげるよ」


 クノカの頭の中が甘酸っぱい熱で満たされる。自分のスカートの端を強く掴んだ。


「は、はい……」


 クノカがそう答えると、フィゼリアはクノカの手を引いて歩き出した。


   ◇Sideフィゼリア・エーベット


 クノカの手を引き、フィゼリアは寮の自分の部屋へと向かう。

 ちらりと隣を見遣る。クノカは顔を紅潮させ、俯いていた。


(たまに面倒な事を言うのが厄介だけれど……それでも扱いやすくて助かるよ)


 フィゼリアはクノカに気付かれないように笑みを浮かべた。

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