第23話 激突




 冒険者ゲロウと別れ、樹海を走る竜胆ウルウ。

 そんな彼女の進路を塞ぐのは一人の巨人だった。



「オデ、オマエ、イカセナイ!」

「……まあ、居ると思ってましたけど」



 三メートルを超える長身に、青褪めた肌。

 足枷と鉄球、そして粗悪な布だけを腰に巻いた最強の剣闘奴隷。


 『血闘王者』汚泥の巨人。

 ハラム=アサイラムの腹心がウルウの前に立ちはだかる。


「剣……使わないんですか?」

「ケン、カザリ。オデ、マホウのホウが、トクイ」

「あと、足枷は外さないんですか?」

「オデ、ドレイ。アシカセ、ツケル。……オマエも、ハズサナイ、ノカ?」

「……別に、外す必要がありませんので」

「ソウカ、ナラ…………オデ、ホンキ、ダス!」


 ミチミチミチッッッッ‼︎‼︎‼︎ と。

 汚泥の巨人の全身に血管が浮かび上がる。

 青褪めた肌には不似合いの、真っ赤な血管が。



「コボレロ────『チみどろのナミダ』‼︎」



 直後、汚泥の巨人は膨らむ。

 まるで空気を入れた風船のように。

 三メートルを超える巨体を


 汚泥の巨人の魔法。

 それを目にして、ウルウの脳裏にゲロウの姿が思い浮かんだ。


(こちらが汚泥の巨人と遭遇したという事は、彼の方には──)





「……クソったれ! テメェが相手かよ、『雨斬り』‼︎」

「『逃げ水』のゲロウか。ま、儂としても斬りやすい相手で助かるのう」


 逆立つ灰色の髪の冒険者ゲロウの前に立ち塞がるのは、三日月のように曲がった湾刀を腰に携えた樹人種エルフの剣士。

 マガリのクランのキリジがそこにいた。


「逃げなくて良いのか? お主の逃げ足ならば……万に一つこの儂からも逃げ切る可能性とてあるじゃろうに」

「逃げられるなら逃げてんだよクソが! 背中向けた瞬間バッサリ斬るつもり満々じゃねえか!」

「当然じゃろう。儂にはお主を見逃す理由が一つたりともありはせんのでな」


 ゲロウの足が武者震いのように震える。

 ……まったくもって武者震いではないのだが、そうだと必死に言い聞かせる。さもなければ、逃げる事さえできなくなる。


(……大丈夫だ。まだオレには切り札が、)

「魔法を使ったら逃げられると思っておるのか?」

「……ッ」

「じゃが、お主の魔法はたかが間合いを誤魔化す程度の幻影。間合いという概念そのものを斬り裂く我が剣技に敵うと思うておるのか?」

「…………

「ん?」


 その言い方にはどこか含みがあった。

 それはまるで、キリジに見せた事のない幻影があるうよな……



刻印呪文起動スペルキャスト────『狼の影』」



 その一言で、景色が歪む。

 キリジは迷わず、湾刀を抜刀した。


「魔剣抜刀──────『絶風たちかぜ』」


 ほんの僅かな視覚のズレなど関係なく。

 空間を丸ごと斬り裂き飛来する斬撃。





 

 斬撃は揺らぐ景色の中を素通りした。


「お主ッ、まさか!」

「あの時はクソ遠くにいる妹に幻影を貼り付けるのに必死で、オレに対しての魔法が中途半端になっていた。それが敗因だった。けどな、今はちげえぞ。

!」


 自分の姿を隠すような魔法は使えない、かつて竜胆ウルウはそう判断した。

 だが、違う。実際には、あの場面においては……という注釈がつく。今のゲロウは、無法都市でウルウ相手に使えなかった全力を発揮できる!


(ゲロウ。お主には大勢の冒険者仲間がいた。じゃが、ハラムは不思議にしておったのう。冒険者として徒党を組んでいるはずなのに、一人一人の目撃証言がないと。それもそのはずじゃや。!)


 たった一人で無法都市に乗り込み、まるで一大勢力を築いたように見せかけながら、実際には全てが嘘とハッタリ。

 これこそが『逃げ水』のゲロウ。強さとは異なる軸から異名を語られる男の本領。無敵の剣士とて揺らぐ陽炎を斬る事はできない。


(勝てねえ。ここまでやっても決定打が足りねえ。それでも、時間稼ぎくらいはやってやる。オレが魔法の先生をしてやったんだ。後は任せたぜ、ウルウ)





 ゲロウとウルウが樹海に入る前の話。

 ほんの一瞬だけ、二人には師弟関係が出来ていた。


「アンタ、魔法のド素人だろ? クソ面倒だが……このオレが一時的にアンタの魔法の先生をやってやる」

「物を教わる時間はありませんけど」

「覚えるのはたった二つ。大した時間はかけねえさ」

「そうですか。どうぞ」

「……敬意もクソもねえな。いいけどよ」


 粗野な冒険者ゲロウは灰色に逆立った髪をぐしゃぐしゃに掻き、ため息と共に言葉を吐いた。


「はぁ……魔法っつーのは神様が創造した摂理に、自分の想像を乱入させる行為だ。クソ簡単に言やあ精密な想像イメージをすればそれが現実になるって事だ」

「……誰でもできそうですけど」

「なら、目を瞑ってみろ。目の前に炎があると想像するんだ。宙に浮かぶ炎だ。アンタはそれなりの熱さと眩しさを感じるほど燃えている」

「想像しました」

「じゃ、その炎に手を伸ばせ。

「…………は?」


 驚いて、ウルウは思わず目を開いた。

 ウルウの手は白いまま変わりがない。

 想像だけで火傷なんて、できる訳がない。


「できねえだろ? だが、想像イメージを現実にするってのはそういう事だ。誰よりも自分がその想像イメージを信じ込み、思わず肉体の方が熱を誤認してしまうほど没頭する。使

「自虐ですか?」

「オレなんかはまだまだだぜ。アンタみてえな頭のクソおかしい天然モノにゃ敵わねえよ」

「…………」

「アンタには鎖が見えるんだろう? 鎖に触れられるんだろう? それがアンタの想像イメージさ。基本的に魔法使いってのはみんな何か一つの想像イメージができるように脳構造が変異している。アンタの場合はそれが『鎖』だったって話さ」


 魔法を使う際に見える『鎖』。

 それが頭の中にしかないモノだと言われても、イマイチ実感が湧かないウルウだった。


「だが、どんな時でも明確に想像イメージを構築するってのはクソ面倒だ。だから、オレがアンタに教えるのは二つ。名前と呪文だ」


 ゲロウは二本指を立てる。


「名前はそのまま、アンタが使う魔法の名前。どんなクソ感性センスだろうが、恥ずかしがらねえで自分で付けた方がいい。その方が魔法の想像イメージは明確化する」


 いつまでも『空を飛ぶ』魔法ではダメという事か。何かもっといい名前を考える必要がある。


「それと呪文な。魔法を発動する際に詠唱する言葉だ。魔法の名前はどれだけ長文でも良いが、呪文は一言で終わるくらいの短文が良い」

「それって必要なんですか?」

「なくても魔法は使えるぜ。でも、一から想像イメージを構築するより、特定の呪文キーワードを発すると魔法を発動すると習慣づけといた方が速度は早い。簡単な自己暗示みたいなもんさ」


 出来の悪い妹を可愛がるみたいに、ゲロウはウルウの頭をぐしゃぐしゃに撫でる。

 バシン! とウルウはその手を跳ね除けるが、それも何処か嬉しそうだった。


「敵と遭遇する前に考えておけ。どんなにクソな心理状態だろうと戦える。それが一流ってヤツだぜ、新米魔法使い」





 肥大化した汚泥の巨人。

 無数の腕が巨人の肉体から形成される。


 それこそが彼の魔法、『血みどろの涙』。

 血肉を自由に操る能力。

 自身の肉体を自由に構築デザインできるだけではない。彼の手に触れられた生き物は破裂するように一瞬で死に絶える。


 肥大化した汚泥の巨人の頭はもはや樹海の高さを超えていた。ただ歩くだけで地面が揺れるような、ヒトの形をした大災害。


 ぶくぶくぶくぶくっっっ‼︎‼︎‼︎ と。

 巨大な身体から百を超える腕がイボのように浮かび上がる。

 百の腕それぞれが巨人のように肉体を形成し、竜胆ウルウを踏み潰そうと殺到する。


 しかし、ウルウに焦りはない。


 既に、魔法の名は考えてある。

 ゲロウの教えに従い、ウルウの魔法はたった一秒で完成する。



羽撃はばたけ────『翼のある蛇ヘヴィーバード』」



 瞬間、竜胆ウルウの体は浮いた。

 重力、質量、束縛からの解放。

 世界で最も自由なドラゴンの魔法。

 百の腕を浮かび上がって華麗に避ける。


 地を這う蛇に浮力を与え。

 空を飛ぶ鳥に重量を与える。

 故に、『翼のある蛇ヘヴィーバード』。


 此処に、魔法の想像イメージは固まった。



「勝負です、汚泥の巨人。今度の規則ルールは──何でもありッ!」

 


 ドッッッ‼︎‼︎‼︎ と。

 瞬間、視界が鮮血に染まる。


 それは汚泥の巨人の返答。

 規則ルールに縛られていたのはウルウだけじゃない。


 無数の手を作り出し、それを伸ばして叩きつけ、逃げられても手を肥大化して破裂させる。その威力は端的に言って手榴弾だった。

 それが汚泥の巨人が持つ最強の戦法。あまりにも勝ち目がないため、興行的に盛り上がらないとしてハラム=アサイラムに禁止された戦術。


 出し惜しみはなかった。

 汚泥の巨人は自身の血肉を削り、血塗られた戦術を使用してもウルウを倒そうとしていた。


「負けませんよ」


 しかし、当たらない。

 障害物の多い樹海の中を、超速でウルウは飛び回る。汚泥の巨人の伸びた腕の間を縫うように正面から突っ切る。


ドラゴンの少女。彼女にオデの腕は追いつけません。時間をかければ、オデを無視してハラムのもとまで飛んでいってしまう。ならば──)


 同時。

 飛び回るウルウも思考を回転させていた。


(彼を無視するのは論外です。それは敗走と何も変わりません。ですが、長期決戦になれば自己再生できる相手が勝利するのは当然。チマチマとした損傷ダメージを積み重ねても意味はない。なら──)


 二人は全く異なる思考回路で。

 完全に同じ結論に辿り着いた。



((────狙うは短期決戦‼︎))



 ドグン‼︎ と汚泥の巨人の肉体が脈打った。

 樹海を超える全身と百の腕の全てに血管が浮かび上がる。青褪めていたはずの巨人の肌が、茹でたタコの如く真っ赤に染め上がる。


 同時、竜胆ウルウは地面に両手をつける。

 蒼と黒の魔法陣が地面全てを覆い尽くす。

 


「コボレロ────『チシオのツナミ』‼︎」

羽撃はばたけ────『竜の顎』‼︎」



 直後。


 ドッッッボッッッ‼︎‼︎‼︎ と。

 赤と黒、二種類の魔法が激突する。

 神に見放された大地でなければ使えないような大規模な魔法。神の摂理ルールを歪める異常識。



 一つは鮮血あか

 汚泥の巨人の肉体が破裂したのだ。


 もはや、それは手榴弾の規模ではない。

 拳一つ分で手榴弾の威力。では、巨人の莫大な質量全てを破裂させればどうなるか。それはもはや兵器を超えた自然災害の域に入っていた。

 樹海の一部が汚泥の巨人の血肉によって吹き飛ぶ。一時的に樹々が剥げるような一撃。血肉の津波が全てを飲み込む。


 汚泥の巨人が出した結論は単純だった。

 腕の攻撃は避けられる。

 ならば、避けられない規模の攻撃を行うしかないと。



 そして、もう一つは土砂くろ

 ウルウが浮かび上がらせた地面そのものによる質量攻撃。


 だが、こちらは失敗だった。

 浮かび上がった瞬間の地面は、汚泥の巨人にぶつける前に『血潮の津波』に呑まれた。

 汚泥の巨人の攻撃をある程度相殺する事はできても、相手に直接攻撃する事は叶わなかった。


「ごっ、があ⁉︎」


 そして、威力全てが相殺できた訳でもない。鮮血の衝撃をウルウは叩きつけられた。

 内臓そのものを圧縮されたかのような痛み。尻尾も、翼も、体の全てが麻痺して痙攣している。

 じわっ……と、お腹に広がる水っぽい感覚。傷口が開いたのだ。ウルウの体はまだ癒えていない。



オデ、は……あの男を、守る、あの男の理想を、人類ヒトの聖域を築こうとしているあの男を、絶対に……‼︎」



 爆心地。

 破裂した巨人の体の中に、汚泥の巨人は残っていた。


 かつての姿は見る影もない。

 一メートル程度しかない大きさ。

 腕も足も不出来な形でマトモに動けない。

 足りない血肉をかき集めて再構成したからだろうか。


 だが、それでも魔法は顕在。

 徐々にではあるが、汚泥の巨人の肉体は再生していた。


「……っ、あなたに、どんな事情があるとか、知ったこっちゃないんですよ。あなた達は私のものを奪った。私は負けっぱなしなんて許せません‼︎」

「悪いようには、しません。きっと、ハラムと彼女が手を組めば神の見守る大地シア・マーティラスはより良くなる。そうなれば、彼女だって……」

「アナテマの幸せを勝手に決めるな! 彼女は私のモノです!」

「……変な方ですね、貴女は。悪人のような心で、善人のような行動する」


 汚泥の巨人には理解できない存在。

 理性だけで動く巨人種トロールには、爆発的感情の塊のような竜胆ウルウは予想の外側にあった。


「ですが、オデの勝ちです。オデの再生が終われば、手も足も出ない貴女には勝ち目なんて──」

「…………?」

「─────な、」


 目と目が合う。

 本気だった。

 心の底から、竜胆ウルウは勝ち誇っていた。


「再生するまで手も足も出せないのはあなたもです、汚泥の巨人」

「……ですが、攻撃の手段がない。ふわふわ何かを浮かべた所で致命傷には届きません」

「忘れましたか? 私の魔法にあなたは一度敗北した。──私の魔法は浮かべるだけじゃありません」

「…………ま、さか」


 バッ! と汚泥の巨人は頭上を見上げた。

 そこにあったのは天を覆う黒。

 『


 気付かなかった。気付けなかった。

 樹々に空が覆われている樹海だからこそ、樹々を吹き飛ばしてもなお空がいまだに別のモノに覆われていた事に違和感が生じなかった。


 

 、『


 地を這う蛇に浮力を与え。

 空を飛ぶ鳥に重量を与える。

 故に、『翼のある蛇ヘヴィーバート』。


 浮かせるだけではない。

 


 それはまるで、太陽を喰らった黒い蛇。

 巨人を飲み込む土砂の奔流。

 激流樹海アシリミッツに相応しい一撃。



「落ちろ────『竜の顎』」



 たった一言。

 それだけで、勝敗は決まった。


 ゴッッッ‼︎‼︎‼︎ と。

 天から落ちた土石流が、汚泥の巨人を地の底に封じ込めた。


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