第21話 落ちぶれた救世主




「……っ」


 竜胆ウルウは走りながら、自らの怪我を手で抑えた。

 魔法で体を軽くして、負担を減すため滑るように移動しているが、それでも傷が痛む。


 当然だ。

 ほんの僅かでもキリジの踏み込みが深ければ、ウルウが両断されていたほどの傷なのだから。


(……そう言えば、無法都市で負った傷は目が覚めれば治っていました。あの時はドラゴンの治癒力かと思っていましたけど──アナテマが、治してくれていたんですね)


 改めて、アナテマ=ブレイクゲートの凄さを思い知る。

 やっぱりウルウが生きるのにアナテマは必要だ。彼女を逃がさない、そう決意する。


「……傷が痛むなら逃げてもいいんだぜ」

「誰が。次にカナンの村に戻るのは逃げ延びた時ではありません。凱旋です」

「そうかよ。だが、そもそも勝ち負けすら起こらねえ可能性も忘れんなよ」

「?」


 ウルウは首を傾げた。

 彼女が意識を失って──アナテマを奪われてから、まだ半日も経っていない。救出の機会チャンスはいくらでもあるはずだ。

 ──しかし、ゲロウが危惧しているのは全く別のこと。



「激流樹海アシリミッツはクソ広い。この何処かに聖女サマがいるとして──見つからねえ可能性の方が高いってこった。



 視界を覆い尽くす樹々。

 鼓膜を塗り潰す雨の音。

 時刻は既に夜。辺りの暗さも雨の強さもピークになる頃合いだった。


「そん、な────」


 足跡なんて分かりやすい痕跡はない。

 空が樹々に覆われている以上、宙に浮いて探すというのも現実的ではない。この広い樹海でたった一人の少女を探すというのは、砂漠で一粒の砂を探すようなものだ。

 ずば抜けた感知能力を持つトリィがいれば違ったのかもしれない。だが、トリィもアナテマと一緒に攫われたのか姿が見えない。


 敗北感とそれに対する反感いかりがウルウの中に生じる。

 もう何もかも燃やしてやろうかと物騒な考えがよぎったその時、



 ッ、

 



 頭上を見上げる。

 そこにいたのは一羽の鳥。


 開いた掌くらいの小さな鳥。

 長いくちばしに青い体毛、キラキラと燐光を振り撒くが、その実態は美しい見た目からは考えられないほど残虐。

 頭蓋骨を叩き割り、長い舌で脳を啜るという生態を持った肉食の魔物。


 啄脳鳥モーショボー

 そう呼ばれる小さな怪物がいた。


「うおっ、あっぶねえ。気付かなきゃ死んでた所だぜ。これだから激流樹海アシリミッツはクソなんだよ」

「……着いていきますよ」

「は? 何を言って──」


 キョキョキョ! と。

 一声鳴いて、青い鳥は飛び立った。

 ウルウはそれを追って樹海を走る。


「おい、待て! 何考えてんだアンタ⁉︎」

「黙って着いてきてください」


 茂みをかき分ける。

 分厚い雲が日光を遮った暗い森。

 神に見放された大地であるが故に、ウルウの魔法にも制限はない。傷を庇いながら、ウルウは滑空するように移動した。


 啄脳鳥モーショボーはとある木の枝に止まった。

 しかし、ウルウ達の視線はそちらとは全く別の方向に向いていた。



 一頭の猪猩々オーク

 鳥が案内した先には、その怪物がいた。



 黒い体毛に長い手足、筋肉と脂肪で肥大化した二メートル近い体躯。人類ヒトのように二足で直立し、豚にも似た醜悪な顔立ちを持った亜人。

 だが、ウルウはその怪物に見覚えがあった。見間違いかもしれない。そもそも、ウルウにその種族の見分けは付かない。


(でも、それでも、あのは──)

「フゴッ」


 短い鳴き声をあげて。

 怪物は静かに、樹海の奥を指差した。


「……そう、ですか」


 猪猩々オークは嗅覚が鋭く、索敵範囲が広い。

 


 どうして猪猩々オークがこちらの事情を知っているのか、どうして肉食の啄脳鳥モーショボーと協力しているのか、疑問はいくつも浮かんだがウルウはその全てを無視した。

 今はただ、アナテマ=ブレイクゲート以外に優先すべきものなど何もない。


「行きます。アナテマはあっちです」

「お、おい! 本気で言ってんのかアンタ⁉︎ 亜人を信じるってのか⁉︎ 相手は人喰いの魔物共だぞッ‼︎」

「あの怪物なんて信じていません。でも、彼を信じたアナテマを信じています」

「クソったれ!」


 口では反対しなからも、ゲロウの足はウルウを追いかけた。


「クソっ、これが罠だったらアンタのせいだからな! オレは見捨てるぜ!」

「別に……最初から見捨てて良いと言っているでしょう」


 クソが……と鳴き声のようにゲロウはうめく。

 逆立つ灰色の髪を掻きむしり、深いため息を吐いた。


「……場所が分かったってんなら、二方向に分かれるぞ」

「どうしてですか? 戦力は分散するよりも固めた方が有利でしょう」

「それは相手が『』じゃなけりゃの話だ。あのクソ樹人種エルフが敵にいる限り、正面突破に勝ちの目はねえんだよ!」


 ゲロウは無法都市の冒険者としてよく知っている。

 あの街で最も強いのは冒険者でも、奴隷商が従える『血闘王者』でもない。


 用心棒、マガリのクランのキリジ。

 あの樹人種エルフの剣士は、たった一人で無法都市の戦力全てを上回る。


「二方向に分かれる。『雨斬り』とカチあった場合は諦めて逃げに徹する。『雨斬り』と遭遇しなかった方が聖女サマを救い出す。これはそういう作戦だぜ」





「君の正体って神官でしょ」


 アナテマ=ブレイクゲートはハラム=アサイラムに対してそう言った。


 神官。

 奴隷商であり、腹が出た見た目からして強欲さが伺えるような彼には似合わない言葉。

 だが、アナテマにはそれが正しいという自信があった。


「最初に疑問が浮かんだのは、無法都市で君が聖典の言葉を口ずさんだ時。辺境の犯罪者が聖典の知識を持ってるって、なかなか珍しい事だからさ」

「……ただの偶然かもしれないだろー」

「かもね。そんな人類ヒトもいるのかもしれない。わたしも自分をそう納得させた。……でもね、その疑問は君の魔法を見て解消された」


 ハラム=アサイラムの魔法。

 激流樹海アシリミッツの領域を広げ、植物を操る魔法──というのは詭弁に過ぎない。





 一目で分かった。

 だって、アナテマは少し前に同じ祈祷術を目撃している。


「植物を操っているんじゃない。植物を急激に成長させている──つまり、『豊穣の奇蹟』。カナンの村で、灰果祭はいかまつりが行っていたものと同じヤツ」

「…………」

「祈祷術は六つの要素──神殿、礼装、舞踏、祝詞、供物、祭具からなる。わたしは簡略化して祝詞と祭具で奇蹟を使ってるけど、君の場合は神殿と祭具。火がついた葉巻タバコは神殿で、葉巻タバコから落ちた吸い殻の灰が祭具ってワケ」


 それにしても物凄い技術だとアナテマは感心する。

 日常の中に祈祷術を紛れ込ませ、何の異常もなく奇蹟を機能させる手際。カナンの村の祭りを考案した巡礼者にも匹敵する。


 しかも、火のついた葉巻タバコを神殿として扱うというのはアナテマには絶対に思いつかない発想だ。

 確かに火を崇めさえすれば神殿の構成要素は満たされるが、そのために葉巻タバコそのものにどれだけ精密な加工が施されているのか。アナテマには想像すらできない。


「でも、やっぱり疑問かな。君が神官──それもこんな凄い技術を持った信仰心の厚い神官だって言うのなら、どうして奴隷商なんかやってるワケ? 君も汚泥の巨人と同じように、奴隷の境遇を少しでもマシにしようって?」

「……そんな訳があるか。汚泥の巨人は本気で奴隷共を救おうとしている。心の底から、何の義務もないのに自らにそういう役割を課している。吾輩はヤツとは違う。吾輩はただ……」


 間延びした口調はなかった。

 喉の奥から、肺の底から搾り出すみたいに。

 ハラム=アサイラムは心の声を吐き出した。



「──



 そこには。

 怨嗟と憎悪が込められていた。


「知っているか? 聖域崩壊、地方では神官の数が足りなくなっている。人類圏そのものが縮小しつつある。では、こうは疑問に思わないか。なぜ地方の奴等は神官にならないのかと」

「……無理でしょ。地方には学校がない。聖典の知識を授ける場所がないのに、神様の奇蹟を扱える訳がない」

「間違いではない。だが、大人に教育したとしても無理なのだ。貴様も見ただろう。カナンの村の祭りを。あれだけの祭り、あれだけの奇蹟を行っても──カナンの村の作物がほんの少し増えるくらいの効果しかない。殿!」

「…………っ⁉︎」


 多くの人類ヒトが多くの資材を使った祭り、その祈祷術をたった一人の男が葉巻タバコを吸うだけの祈祷術が上回る。

 神殿、礼装、舞踏、供物、祭具。その全てに当てはまらない何かが、祈祷術の効力を左右していた。


「祈祷術を構成する六つの要素? 聖典に関する知識? 違うな。本当に必要なのは

「そんな、ワケが……。だって、信仰心くらい誰だって持ってる!」

「貴様は修道院が出身か? それなら分からないのも仕方がないが……根本的に、自分以外に全てを委ねるというのは普通の人類ヒトには不可能である。どれだけ言葉で繕った所で、無意識のうちに精神は拒否反応を起こす。聖都のように、幼少期から洗脳じみた教育を行っていなければな」


 それはある意味、当たり前の話。

 家族がいて、友人がいて、自分に力があって──そんな当たり前の人々は見知らぬ誰かに人生全てを委ねる事なんてできない。

 祈祷術が上手い人類ヒトというのは大抵、天涯孤独で神以外に縋る者がいない誰かなのだ。


「信仰心なき者に神は応えない。神が救うのは神に話しかけた狼の末裔──神を信じる者だけだからだ!」


 皮肉な話だった。神を嫌うハラムとて、祈祷術の効力が高い。つまり、ここまで罵倒する彼だって神に縋り信じる者の一人なのだ。


 彼は救われる。神を嫌い、神を蔑みながら、それでも神を信じる事を辞められないから。

 辺境の住人は救われない。神を敬い、神に感謝を捧げながら、それでも神に全てを委ねる事ができないから。


「不公平だ、不平等だッ! どうして吾輩のような男に救いの力が与えられながら、辺境にいる者は救われない⁉︎ おかしいだろう! 信じて欲しいのならばッ、先に救うべきなのだ! 救いもしない神など誰が信じると言うのだッ‼︎」


 ハラムはかつてこう言った

 『奴隷とは自己救済。神が救えなかった者に救いの機会を与えている』、と。


 だが、本音はこうだった。

 


「吾輩が奴隷商になったのは神を必要とする社会システムから脱却するためである! 人類ヒトを隷属させて良いのは人類ヒトだけだ! 神に支配されたままの社会などあってはならない‼︎ 我々は我々の手で人類ヒトを救うべきなのだッ‼︎」


 それこそがハラム=アサイラムが無法都市を牛耳る理由の全て。

 神を信じる事で救われる人々は放っておけば良い。だが、中には神を心の底から信じる事ができない人類ヒトだって沢山いる。

 ハラムは彼らに奴隷という神を信じる以外の選択肢を与え、神に頼らずとも救いが得られる社会システムを構築しようとしていた。


 自己救済を何よりも信じていたのもそのため。

 自分で自分も救えない、神にだって縋れない、そんな人々は奴隷でいる事が最も幸せだとハラム=アサイラムは心の底から信じていたのだ。


「……君の言い分はよく分かった。人類ヒトは自分達の手で人類ヒトを救うべきというのはその通りだと思う」

「ならばッ」

「でもさ、救いの選択肢を狭めなくても良くない? 自己救済があっても良い。奴隷という救いがあっても良い。それと同じで、神様っていう救いがあっても良い」

「──────ッ」

「だって、神様は自分を信じない人類ヒトを見捨てたんじゃない。神は全能なれど全知にあらず。神様にはどんな救いが人類ヒトにとっての幸せか分からなかっただけで──」

「────ッ⁉︎」


 ハラムは咥えていた葉巻タバコを強く噛み締め、こめかみに青筋を立てて叫んだ。


「神には人類ヒトの幸せが分からない! 人類ヒトが求める救いが分からない! だがッ、それは神には人類ヒトの言葉が通じないからだろう⁉︎」


 神の言葉は人類ヒトには分からない。

 人類ヒトの言葉は神には分からない。


 だが──ここに一人、例外がいた。


 つまり。

 つまり。

 つまり。

 つまり。



ッ、‼︎」


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