第18話 かつてない提案
周は食事を終えてもまだ湯気が絶えない珈琲に口をつける。器が分厚く作られており、保温性を高めているのだろう。口当たりは少し気になるが、許容範囲内だ。
周は持ち込んでいた革のトランクケースを膝の上に乗せると、かごめと目を合わせた。
かごめは周の目配せを受け取って、美代を再び呼んだ。美代は純粋な表情をして寄ってくる。
かごめは厨房を一瞥すると、声を潜めて美代にお願いした。
「店長さん──オーナーさんを呼んできてくれますか?」
「……どうかされましたか?」
「少し話があるんです」
かごめが周のトランクケースへ目を向けると、周は少し持ち上げてみせた。美代は不思議な顔をして奥へ姿を消す。
しばらくして美代の代わりに出てきたのは口と顎に髭を生やした、白い厨房服に身を包む男性だった。銀月荘の店長兼オーナー、そして厨房担当である美代の父親、
「ご贔屓にしてくださってありがとうございます。何かお食事にご不満でも……?」
「そうではありません。食事はいつも美味しくいただいております。今日はオーナーである貴方と商談をしに来たんです。⋯⋯私は文目堂の社長をしております、遠藤かごめと申します」
かごめがそう切り出すと、小野田は顔を緊張させて頭の白い帽子を脱いだ。あからさまに文目堂の名に反応したのがわかる。
文目堂の名がカフェーにまで広まっているのは喜ばしいが、そのように身構えられるのも複雑だ。しかしかごめは心境を隠して、さらに問いかけた。
「小野田さん、話を聞いてくださいませんか?」
小野田は少しためらったように足踏みしたが、頼りなさそうな声色で短く「はい」と答えた。
かごめの目配せで周がトランクケースを開く。
中から出てきたのは一枚の畳紙。さらに紐をほどくと、つぎはぎの銘仙が飛び出した。さまざまな茶色の端切れを繋ぎ合わせたそれに、小野田は眉をひそめて見下ろす。
しかし脇から顔を覗かせた美代は小野田と対照的に目を輝かせた。
「かわいい!
「こら、美代。お邪魔になるだろう、下がっていなさい」
「いえ、美代さんもお聞きください」
かごめは父親に言われてしぶしぶ奥へ戻ろうとする美代を引き留める。
「こちらの着物は美代さんに着ていただくことを想定して作ったものですので」
美代は周から着物を受け取ると、慎重に広げて体にあてがった。焼き菓子色の端切れを寄せ集めて作った着物は可愛らしい顔立ちの美代に良く似合っている。小柄な体格も相まって西洋渡来の
「しかし……遠藤さんこれはどういうことなんですか?」
「文目堂はカフェー事業の計画がすでに立っています。しかし今の文目堂の規模ではカフェーを一から作ることは金銭的にも人手としても難しい。そこで、すでにそれなりの材料が整っているカフェーにうちの経営戦略を受け入れていただこうと考えたのです。銀月荘さんの料理の腕や女給の対応などは、表通りの有名カフェーを遥かに上回っています。不躾なお願いになるかと思いますが、一度聞いていただけますか?」
小野田は難しい表情を見せつつも、しぶしぶと頷く。
かごめは微笑むとはっきりと切り出した。
「私たちが銀月荘さんにご提案したいのは、名付けて『
「『
小野田は聞き慣れない単語に眉をひそめる。当たり前だ、かごめの造語なのだから。
新形態として印象付けるためには新しい言葉をつけた方がいい。そんな考えからかごめが即席で作ったものだった。
「私たちが今回美代さんのためにお持ちした着物はまさにそのためのものになります。小野田さん、『ヘンゼルとグレーテル』という西洋の童話はご存じですか?」
「聞いたことあります! お父さんも知ってるよね?」
美代は明らかに食いついた。小野田は美代の勢いに都などいながらも遅れて頷く。それなら話は早い。
「その着物は『お菓子の家』を
美代は自身の腕の中にある着物を見下ろして、躊躇いがちに口を開いた。
「あの……これって着てみてもいいですか?」
「美代」
「どうぞ」
小野田は娘をたしなめるが、周が間髪入れずに許可をする。美代は「やったぁ!」と跳び上がると、そそくさと店の奥へ消えていく。
しかし美代の反応と相対して、小野田はまだ渋っているようだった。
「さて、美代さんがいらっしゃらないうちにお金の話をしましょう」
小野田の顔が強張るが、かごめは非人道的な提案をするつもりは毛頭ない。
「至極端的に申し上げます。うちは銀月荘さんの経営と世界観構築の監督のみ行います。対価はそちらの売り上げの二割、そしてうちの商品の宣伝
かごめはあっけない要求に目を瞬かせる小野田へにっこりと微笑みかけた。
「それだけですか? 経営権の譲渡や、傘下への参入の強制などは……」
「それだけです。もし銀月荘さんがそれらを望むなら、『喜んでお引き受けする』……と言いたいところなんですが、うちは少数精鋭で動いておりまして、ここ最近の成功は下町の皆さんの協力で成り立っています。その
小野田は言葉を失った様子で、テーブルの木目を見つめている。
そのとき奥から足音が聞こえ、三人は揃って音の方へ振り向いた。
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