第16話 カフェー大作戦

 かごめと周はちゃぶ台を挟んで温かい茶を啜りながら、複雑な心境を募らせていた。とくにかごめは、今まで大店らしい横柄な態度の流れ弾を喰らっていたと思っていただけに、本気で潰しに来ていたという真実を知った怒りがある。

 周は腕を組み、井倉屋の方角を眇めた。


「井倉屋は一般人じゃ手の届かない高嶺の花じょゆうを使った。じゃあ、俺たちが狙うべきはカフェーの女給ウェイトレスだ」

女給ウェイトレス? 唐突ね」


 かごめは首を傾げる。文目堂は呉服屋であって、カフェーとは程遠い。


「女給は女優と違って食事代を払えば舞台よりもずっとそばで接触することができる。現に今日行った『カフェー・プランタン』でも、ただの食事処というには過剰な装飾の店員がいただろ?」


 かごめは言われるがまま先刻の出来事を思い出す。派手な銘仙にフリルの付いた洋エプロンを身に着けて、そんな彼女たちを目当てにちらちらとテーブルの外をよそ見する客もいたように思う。


「その偶像アイドルを俺たちの手でつくるってこと」

「つまり……文目堂が喫茶店展開するってこと? それは無茶だわ。できても、ぱっとしない喫茶店に協力を頼んで、文目堂プロデュースの看板を掲げてもらうくらいよ」


「まさにそうすればいい。あの人気店プランタンですら、俺が見る限り改善点はいくつもあった」

「例えば?」


「例えば……かごめはさっき接客してくれた店員の着物を覚えてる?」

「紫色の着物だったわよね」


「柄は?」

「……」


 周に尋ねられて、かごめははたと手で口元を押さえた。

 全く見ていなかった。これでは呉服屋の社長失格だ。これでは井倉屋に出し抜かれるのも当然。


「彼女が着ていたのは赤い金魚柄だった。かごめが覚えていなかったのは見てなかったからじゃない。んだよ」


 周はかごめの神妙な顔つきにさりげなく気遣う言葉を付け加える。


「さっきの女給たちはエプロンにたすきをかけていた。でもそれじゃせっかくお洒落な着物を着ていても白いエプロンに目が散るだろ? 俺なら、エプロンの紐をたすきの役割も兼ねるように結ぶ。それだけじゃ心もとないなら、レースの袖止め《アームバンド》を使えばいい。レースなら下の柄も適度に透けて、実用的な違和感にならないからね」

「周はやっぱりよく見てるわね……」


「まあね。これでも文目堂の経営を半分握ってるんだし」

「でも話の腰を折るようで悪いんだけど、それだけじゃ売り込みとしてはすごく弱いわ。もし経営状況がよくないカフェーをそう変身させたところでありきたりなんだもの」


 かごめの厳しい一言に、周はぐっと言葉を詰まらせた。


「客入りが悪いってことは、きっと裏道にあるとかで立地もよくないはず。そこにうわさを聞きつけたお客さんがわざわざ行こうって思うような独自性がないと赤字に変わりはないわ。お客さんが『今までのカフェーと一味違う』『ここに行くだけの価値がある』って思わせないと」


 かごめがこう言ったところで、かごめ自身もまた具体的な策があるわけでもなかった。

 やがてかごめも周も顎に手を添えて黙りこくってしまう。


 そのカフェーにわざわざ足を運ぶ理由。かごめは六区オペラを見に行ったあの日を思い返していた。構造として女優と愛好家ペラゴロは、女給と客と同じだ。

 なぜ愛好家ペラゴロは女優を選ぶのだろう。逆に喫茶店へ通い詰める客はなぜ女給を選んだのだろう。


 かごめはふと、明確な違いが見えた気がした。


「女優はより厳密な偶像崇拝だけど、女給とは同じ空間を共有することに喜びを見出してるんじゃないかしら」


 かごめの呟きに周が顔を上げて、かごめの横顔を見つめる。


「つまり、喫茶店という舞台の上で店員と客は互いに演じるの」

「……どういうこと?」

役割演技ロールプレイよ。何か基盤となる世界観を敷いて、その世界の住人になったような、そんな非現実的な体験を楽しんでもらうの。独自の世界観を作り出してもいいけど、お客さんたちに入り込んでもらいやすいものがいいわね……」


 かごめの独り言に、周は目を白黒させた。

 聞き覚えのない言葉と、思いつきもしなかった思考回路。しかしかごめの真剣な顔つきを前に、どういうことかとさらに尋ねる勇気もない。

 そのとき、長谷川が部屋の向こうから柱を叩いた。

 かごめははっと思考の渦から浮かび上がり、応答する。


「着こなし指南のお客さん?」

「いえ、諏訪商事の諏訪智彦さまがいらっしゃってます。偶然立ち寄られたということで」


 長谷川は店先の方をちらと見遣って言った。

 かごめは煮詰まっていた頭を横に振って頬を叩くと、周とともに奥の間へ向かった。








「どうも、突然お邪魔してすみません」


 諏訪智彦は腰低く会釈すると畳へ腰を下ろした。


「そろそろ、頼まれていたあの生地が届きます。待ちきれなくてそわそわしているんじゃないかと思いまして。私はもちろん夜も眠れません」

「夜は寝てください」


 かごめは苦笑して相槌を打つ。

 初めて出会ったときは、あの顔の隈の通り本当に余裕がなかったのだろう。

 今かごめたちと相対する諏訪はきちっとスーツを着こなして、好青年然としている。少し頼りなさはあるが、それは雰囲気だけの話だ。


「ところで、遠藤さんは少しお疲れのようですね」

「えっ」


 かごめははたと目の下を指でなぞった。

 もしや隈でもできていただろうか。そんなみっともない顔を取引相手に見せるなんて。


「いえ、そうではなくて」


 諏訪は眉を下げて微笑む。


「表情が硬いので、何か思いつめてらっしゃるのかと思ったんです。蒔田さんもどこか釈然としないといった顔をしていらっしゃいますし」


 周も言及されて口元を隠した。

 かごめと周は口を噤んで、互いに目を合わせる。そしてしばらく逡巡したのちに、相談してみることに決めた。


「実は次の──」


 断片的な構想だけを繋ぎ合わせながら、諏訪に説明する。

 諏訪はかごめの話を聞くにつれて、好奇心の満ちた目をして前のめりになっていった。


「どう思いますか?」


 かごめは諏訪の調子を窺うように尋ねた。


「すごく面白い試みですね。ぜひうちも手伝わせてください」

「ありがとうございます。でも、まだまだこの話は構想段階で……」


 かごめが表情を暗くして再び思いつめ居たような顔になると、諏訪は思い出したようにどこかを眺めて動きを止める。


「そう言えば……いい匂いで路地の奥に誘い込むなんて『ヘンゼルとグレーテル』みたいですよね」

「『ヘンゼルとグレーテル』?」


独逸ドイツの有名な昔話にあるんですよ。文化人なら知ってらっしゃる方も多いかと思いまして」

「もしかしてそれって童話のですか?」

「そうです。蒔田さんもご存じですか?」

「いや」


 周が長机に頬杖をついて傾聴の姿勢を取ると、諏訪は『ヘンゼルとグレーテル』を記憶頼りに語り始めた。


──昔あるところに、貧しい木こりの夫婦とヘンゼルとグレーテルという兄妹が住んでいました。しかしあるとき飢饉で食べ物が無くなり、いじわるな継母は「子どもたちを森に捨てて、口減らししましょう」と父親に提案します。


 兄のヘンゼルはこの計画を聞いてしまい、夜のうちにこっそり家を抜け出して小石を集めてポケットに詰め込んでおきました。翌朝、ヘンゼルは森へ連れていかれる途中に集めていた小石を道しるべとして落とし、グレーテルとともに森へ置き去りにされましたが小石を辿って、無事家にたどり着きます。


 しかし飢饉は続き、継母は再び子どもたちを森に捨てる計画を立てました。また夜のうちに小石を集めに行こうとヘンゼルは考えましたが、今度は家にカギがかけられており小石を拾いに行くことができなかったのです。ヘンゼルは代わりに朝食のパンをちぎって道しるべにしました。

 けれど目印のパンくずは森の鳥たちにすべて食べられてしまっており、二人は森の中で迷ってしまいました。


 兄妹は森を彷徨っているうちに、いい匂いにつられて一軒の家にたどり着きます。そこは屋根や壁がケーキやクッキー、窓が飴でできた『お菓子の家』でした。

 お腹を空かせた二人は──


「『お菓子の家』!」


 諏訪が語る途中で、周は立ち上がって叫んだ。


「は、はい、そうです。『お菓子の家』の家が何か……」

「かごめ、カフェーの題材を『ヘンゼルとグレーテル』にしよう。客がカフェーに入る導線と物語が一致してるし、新しいもの好きの人なら一度は入ってみようと考える。『ここに行くだけの価値』を踏襲してるだろ」


 現時点で物語を基盤としたカフェーの展開は聞いたことがない。その題材が西洋からやってきた童話と知れば、話題性として抜群だ。

 かごめは周の案に目を輝かせた。


「それで行きましょう!」

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