死神と最後のデート

トムさんとナナ

死神と最後のデート

## 第一章 突然の告知


午後三時の陽だまりの中で、私、桜井美咲は病院のベッドに腰かけながら、医師の口から出た言葉を反芻していた。


「余命三ヶ月」


まるで他人事のように聞こえる。


二十六歳の誕生日を、病院のベッドで迎えることになるとは思ってもいなかった。


神様がくれたプレゼントにしては、冗談がきつすぎる。


「先生、それって、つまり……」


「申し訳ありません。現在の医学では、これ以上の治療は困難です」


白衣の医師は申し訳なさそうに頭を下げた。


私は思わず苦笑いを浮かべる。


謝られても困る。


病気になったのは私の責任じゃないし、医師の責任でもない。


運が悪かっただけだ。


病室を出て、廊下をとぼとぼと歩いていると、突然目の前に人影が現れた。


「桜井美咲さんですね」


振り返ると、そこには信じられないほど美しい青年が立っていた。


身長は180センチほど、漆黒の髪に透き通るような白い肌。


そして何より印象的だったのは、その瞳の色だった。


深い紺色で、まるで夜空に輝く星のようにきらめいている。


「はい、そうですが……どちら様でしょうか?」


青年は胸元から黒い手帳のようなものを取り出した。


「私は黒澤零。死神です」


「……は?」


思わず間の抜けた声が出た。


死神?今時、そんな設定のコスプレイヤーがいるのか。


「あの、病院でそういう格好をするのは、ちょっと不謹慎じゃ……」


「何か問題でも?これが私の正装ですが?」


零と名乗った青年は困ったような表情を浮かべた。


「これが私の正装なんですが……」


確かに、よく見ると彼の服装は普通のスーツなのに、なぜか神秘的な雰囲気が漂っている。


まるで影がより深く、輪郭がよりはっきりしているような不思議な存在感だった。


「桜井さん、お時間をいただけますか。お話があります」


「お話って……まさか、勧誘?新興宗教?それとも詐欺?」


零は手帳をぱらぱらとめくった。


「あなたの余命は、正確には八十七日です」


私の血の気が引いた。


その数字は、医師から聞いた期間とほぼ一致している。


でも、なぜこの人が知っているのだろう。


「ど、どうして……」


「私は死神だからです。そして、あなたには特別なサービスを提供させていただきます」


零は手帳を閉じると、真っ直ぐに私を見つめた。


「最後の八十七日間、私があなたの恋人を演じさせていただきます」


「恋人?」


「はい。死ぬ前に一度でいいから恋がしたい、とあなたは心の奥で願っていますね?」


図星だった。


さっき病室で一人になったとき、確かにそんなことを考えていた。


二十六年間、仕事ばかりで恋愛なんてしてこなかった。


このまま死ぬのは、あまりにも寂しすぎる。


「でも、なんで死神が……」


「最近、死ぬ間際の人間の願いを叶えるサービスが、あの世で流行っているんです。顧客満足度向上のため、といいますか」


あの世にも顧客満足度なんて概念があるのか。


現代社会の競争原理は、死後の世界にまで浸透しているらしい。


「そ、そんなサービスがあるんですね……」


「ええ。ただし、演技ですからね。本当の恋愛感情はありません。念のため」


なんて無機質な言い方だろう。


でも、確かに美形だ。


こんな人が恋人だったら、最後の三ヶ月も悪くないかもしれない。


「お代はいくらですか?」


「死後の世界での労働時間で支払っていただきます。まあ、心配はいりません。天国でのお仕事は基本的にゆるいので」


天国でのバイト代で支払うなんて、前代未聞のシステムだ。


「わかりました。お願いします」


こうして、私と死神・黒澤零との奇妙な恋愛ごっこが始まった。



## 第二章 恋人の資格


翌日、零は約束通り私のマンションにやってきた。


白いシャツに黒いジャケット、完璧にセットされた髪型。


まるでドラマの主人公のような出で立ちだった。


「おはようございます、美咲」


「おはよう……って、いきなり呼び捨て?」


「恋人の設定ですから」


零は靴を脱ぎながら淡々と答えた。


その様子があまりにも機械的で、思わず笑ってしまう。


「とりあえず、コーヒーでも飲む?」


「死神は基本的に飲食をしませんが、演技のためでしたら」


キッチンでコーヒーを淹れながら、私は零の様子を観察した。


彼は居間でじっと座っているのだが、その姿勢があまりにも美しすぎる。


まるで彫刻のように微動だにしない。


「ねえ、少しはくつろいでもいいよ?」


「くつろぐ……とは?」


「えーっと、テレビを見るとか、雑誌を読むとか……」


零は首をかしげた。


「テレビとは何ですか?」


「テレビを知らないって……どこの秘境から来たの?」


私はリモコンを手に取り、テレビの電源を入れた。


画面にはお昼のワイドショーが映っている。


「これがテレビよ。映像と音声が流れる機械」


零は興味深そうに画面を見つめた。


その瞬間、彼の瞳がほんの少しだけ輝いたように見えた。


「人間は、この小さな箱の中の人々を見て楽しむのですね」


「まあ、そんなところかな」


零はしばらくテレビに見入っていたが、突然立ち上がった。


「美咲、デートをしましょう」


「え?いきなり?」


「恋人の仕事とは、デートをすることだと手帳に書いてありました」


彼が取り出した黒い手帳には、几帳面な文字で「恋人業務マニュアル」と書かれていた。


「それ、誰が作ったの?」


「死神研修所の教官です。人間界での恋人の振る舞いについて、一通り勉強してきました」


死神にも研修所があるのか。


あの世の労働環境は意外としっかりしているらしい。


「じゃあ、どこに行く?」


零は手帳をめくった。


「まずは手をつなぎ、公園を散歩。その後、映画館で映画を鑑賞。夕方にはレストランで食事」


完全にマニュアル通りだった。


でも、そのあまりにも真面目な態度が可愛らしくて、つい笑ってしまう。


「わかった。じゃあ、行きましょうか」



## 第三章 ぎこちないデート


近所の公園は、桜の花びらが舞い散る美しい場所だった。


零は手帳に書かれた通り、私の手を取った。


「うわ、冷たい!」


「申し訳ありません。死神の体温は基本的に低めです」


その冷たい手が、なぜか心地よかった。


きっと熱でぼんやりしているせいだろう。


歩きながら、零は周囲をキョロキョロと見回している。


「あの小さな人間たちは何ですか?」


「子供よ」


公園で遊ぶ子供たちを見て、零は感心したような顔をした。


「人間は最初はあんなに小さいのですね。興味深い」


「あなた、本当に人間のこと知らないのね」


「死神は通常、人間と接触しませんから。魂を回収するときも、人間は眠っているか、意識がないことがほとんどです」


なんて無粋な話だろう。


でも、零の無邪気な好奇心が微笑ましくて、怖いという感情は湧いてこなかった。


「あ、そうそう。映画館はどこですか?」


「駅前にあるよ。でも、何を見る?」


零は再び手帳を開いた。


「恋愛映画を見ると、恋人同士の関係が深まると書いてあります」


「マニュアル、詳しいのね」


映画館に着くと、零は券売機の前で立ち尽くした。


「どうかした?」


「お金の払い方がわかりません」


「え?」


「死神はお金を使わないので……」


確かに、あの世にお金なんてないかもしれない。


私は慌てて財布を取り出した。


「大丈夫、私が払うから」


「申し訳ありません。今度、天国の通貨で返済します」


天国の通貨って何だろう。


善行ポイントとかだろうか。


映画は恋愛コメディーを選んだ。


暗い館内で、零は画面を食い入るように見つめていた。


「面白い?」


「はい。人間の恋愛とは、こんなにも複雑なものなのですね」


映画の中では、男女がすれ違ったり、誤解したりしながらも、最終的には結ばれる王道のストーリーが展開されていた。


「でも、この男性の行動は理解できません」


「どこが?」


「なぜ素直に気持ちを伝えないのですか?効率が悪いです」


零の指摘はもっともだった。


確かに、恋愛映画の男性主人公はいつも回りくどい。


「それが恋愛の醍醐味なのよ」


「醍醐味……」


零は不思議そうにその言葉を繰り返した。


映画が終わると、零は真剣な表情で私を見つめた。


「美咲、私も映画の男性のように、もっと複雑な感情表現を学ぶべきでしょうか?」


「いや、零はそのままでいいよ。素直な方が好き」


その瞬間、零の頬がほんのりと赤くなったような気がした。


でも、きっと見間違いだろう。死神が赤面するなんて、ありえない。



## 第四章 料理は愛情


レストランでの食事は、さらなる珍事件の連続だった。


「これは何ですか?」


零はフォークを手に、困惑した表情でパスタを見つめている。


「パスタよ。イタリア料理」


「どうやって食べるのですか?」


「フォークに巻きつけて……って、本当にわからないの?」


私がお手本を見せると、零は真剣な表情で真似をしようとした。


しかし、パスタは上手く巻けずに、ぼろぼろと皿に落ちてしまう。


「難しいですね」


「大丈夫、最初はみんなそうよ」


私は立ち上がって、零の隣に座った。


「手を見せて」


零の手を取り、フォークの持ち方から教える。


彼の手は本当に冷たかったが、だんだん温かくなってきているような気がした。


「こうやって、くるくると……」


「なるほど」


零は集中してパスタを巻いている。


その真剣な横顔が、なんだかとても愛らしく見えた。


「できました!」


零が嬉しそうに口に運ぶ姿を見て、私の胸の奥がほんわりと暖かくなった。


この感情は何だろう。母性本能?それとも……


「美味しいですか?」


「はい。人間の食べ物は、エネルギー補給以外の意味があるのですね」


「そう。味を楽しんだり、誰かと一緒に食べることで心が満たされたり」


零は箸で器用にサラダを食べながら、ふと口を開いた。


「美咲は、なぜ泣かないのですか?」


「え?」


「余命三ヶ月と告げられたのに、一度も涙を流していません。不思議です」


言われてみれば、確かにその通りだった。なぜだろう。


「うーん、実感がないのかも。それに、泣いたところで変わらないし」


「でも、悲しくないのですか?」


「悲しいよ、当然。でも……」


私は少し考えてから続けた。


「今まで毎日、生きることに必死で、楽しむことを忘れてた気がするの。だから、最後の三ヶ月は、思いっきり楽しみたいんだ」


零は不思議そうな表情で私を見つめていた。


「あなたは変わった人間ですね」


「変わってるって言われるのは慣れっこよ」


その時、隣のテーブルから聞こえてきた会話が耳に入った。


「あの子、恋人できたのね」


「そうそう、この前まで一人だったのに」


「相手、めちゃくちゃイケメンじゃない?」


私は慌てて零の方を見た。


確かに、レストランの女性客たちが、零をじっと見つめている。


「零、モテてるみたい」


「モテる?」


「人気があるってこと」


零は周囲を見回した。確かに、多くの女性が彼に視線を向けている。


「困りました。これでは任務に支障が出ます」


「任務って……」


「あなたとの恋人ごっこです」


恋人ごっこ。


改めて言葉にされると、なんだか切ない気持ちになった。



## 第五章 日常という名の奇跡


それから私たちは、毎日のようにデートを重ねた。


零は最初こそぎこちなかったが、日を追うごとに人間らしい表情を見せるようになった。


「美咲、これは何ですか?」


ある日、零は私の部屋で料理本を眺めていた。


「オムライス。卵でご飯を包んだ料理よ」


「作ってください」


「え?でも、零は食べなくても……」


「食べます。あなたの作った料理を食べてみたいんです」


その言葉に、胸がきゅんとした。


演技だとわかっていても、嬉しい。


キッチンに立つと、零も一緒についてきた。


「手伝います」


「死神が料理?」


「恋人なら、一緒に料理をするものだと手帳に」


「その手帳、どんだけ詳しく書いてあるのよ」


私が卵を割ろうとすると、零が手を伸ばした。


「やらせてください」


卵を手に取った零の動作は、あまりにも丁寧すぎた。


まるで爆弾を扱うような慎重さで、卵の殻を割っている。


「もっと思い切って」


「しかし、失敗したら……」


「大丈夫よ。失敗したって死にゃしない」


その言葉を聞いた瞬間、零の手が止まった。


「あ……ごめん」


私は自分の言葉を後悔した。


相手は死神で、私は余命三ヶ月。


「死にゃしない」なんて、あまりにも不適切だった。


「いえ、気にしないでください」


零は卵を割り続けた。


でも、その表情はどこか悲しげに見えた。


オムライスは、見た目はイマイチだったが、味は悪くなかった。


零は一口食べて、目を見開いた。


「美味しい」


「本当?」


「はい。初めて『美味しい』という感情を理解しました」


零の素直な反応に、私の心は温かくなった。


演技じゃない、本当の感情のように思えた。


「ねえ、零」


「はい」


「死神って、普段何してるの?」


零は箸を置いて、少し考えた。


「魂の回収、事務処理、研修……単調な毎日です」


「楽しいことはないの?」


「楽しい……」


零はその言葉を何度か口の中で転がした。


「わかりません。楽しいという感情がよくわからないんです」


私はそんな零が、急に可哀想に思えた。


「じゃあ、これから私が楽しいことを教えてあげる」


「教える?」


「そう。恋人の仕事でしょ?」


零は小さく微笑んだ。


それは、彼の初めての自然な笑顔だった。



## 第六章 感情の芽生え


私たちのデートは多様化していった。


遊園地、水族館、美術館。零は全てに新鮮な驚きを示した。


特に印象的だったのは、観覧車での出来事だった。


「高いですね」


零は窓の外を見ながらつぶやいた。


「怖い?」


「死神に恐怖という感情はありません。ただ……」


「ただ?」


「この景色は、美しいですね」


夕暮れの街並みが眼下に広がっている。


オレンジ色の光が、零の横顔を照らしていた。


「零、笑ってる」


「え?」


「今、笑顔になってた」


零は慌てて表情を正そうとしたが、もう遅い。確かに彼は微笑んでいた。


「マニュアルに感情を表に出すなと書いてあったので……」


「別にいいじゃない。笑顔の方がいいよ」


「しかし……」


「演技だとしても、楽しそうな恋人の方がいいでしょ?」


零は考え込んだ。


「それは……そうですね」


観覧車がゆっくりと頂上に向かう中、私たちは黙って景色を眺めていた。


不思議と、沈黙が心地よかった。


「美咲」


「うん?」


「あと七十三日ですね」


「そんなに正確に覚えてるの?」


「死神の仕事ですから」


また、現実に引き戻される。


でも、不思議と悲しい気持ちにはならなかった。


むしろ、この時間をもっと大切にしたいと思った。


「ねえ、零」


「はい」


「演技じゃなくて、本当はどう思ってる?私といること」


零は長い間答えなかった。


観覧車は頂上に到達し、街の明かりが宝石のようにきらめいている。


「わからないんです」


「わからない?」


「最初は単なる任務でした。でも、今は……美咲といると、胸の奥が暖かくなるんです。これは何という感情なのでしょうか」


私の心臓がドキンと跳ねた。


これは演技ではない。


零の本当の気持ちだ。


「それは……」


言いかけた時、観覧車がガクンと揺れた。


「きゃあ!」


私は反射的に零の腕にしがみついた。


零は慌てて私を支えてくれる。


「大丈夫ですか?」


「うん……ありがとう」


零の腕の中で、私は初めて安心感を覚えた。


この人になら、残りの人生を預けてもいいかもしれない。


たとえ、それが演技から始まった関係だったとしても。



## 第七章 初めての喧嘩


私たちの関係に変化が生まれたのは、デートを始めてから一ヶ月が経った頃だった。


「美咲、調子はいかがですか?」


その日の零は、いつもより機械的だった。


最近見せるようになった自然な笑顔もない。


「どうしたの?なんか今日、よそよそしい」


「よそよそしいとは?」


「いつもと違う感じ」


零は手帳を取り出した。


「任務を再確認していました。私は死神として、あなたとの距離を適切に保つべきだと」


「距離って……」


「感情移入しすぎると、仕事に支障が出ると上司に注意されました」


上司?死神にも上司がいるのか。


そして、零は上司に報告を上げているのだ。


「つまり、私たちの関係も仕事の一環だから、適当にやっとけってこと?」


「そういう意味ではありませんが……」


「同じことよ!」


私は立ち上がった。


なぜかわからないが、急に腹が立った。


「結局、私はあなたの任務の対象でしかないのね」


「美咲……」


「もういいよ。今日はデート中止」


私は部屋に向かおうとしたが、零が腕を掴んだ。


「待ってください」


「何よ」


「私は……困惑しているんです」


零の声は、いつもより小さかった。


「何に?」


「あなたといると、マニュアル通りにできないんです。もっと……もっとあなたのことを知りたくなる」


その言葉に、私の怒りは一瞬で消えた。


「零……」


「でも、私は死神です。あなたの魂を迎えに来た存在です。この感情は、間違っているのでしょうか?」


零の瞳に、初めて迷いが浮かんでいた。


完璧だと思っていた死神も、悩むことがあるのだ。


「間違ってるかどうかなんて、わからないよ」


私は零の手を取った。


相変わらず冷たいが、前よりも温かく感じる。


「でも、一つだけ言えることがある。私は、マニュアル通りの零より、今の悩んでる零の方が好き」


「好き……」


「そう。だって、今の零の方が人間らしいもの」


零は私の手を見つめていたが、やがてゆっくりと握り返した。


「人間らしい、ですか」


「うん」


その時、私は確信した。


これは、もう演技ではない。



## 第八章 ライバル登場


翌日、私の部屋のインターホンが鳴った。


零かと思ってドアを開けると、そこには見知らぬ女性が立っていた。


「美咲さんですね?私は白山雪と申します」


彼女は零と同じような神秘的な雰囲気を持っていた。


長い銀髪に青い瞳、まるで氷の女王のような美しさだ。


「あの……どちら様でしょうか?」


「零の同僚です」


同僚?死神の?


雪と名乗った女性は、部屋に入ると真っ直ぐに私を見つめた。


「彼の任務遂行に問題があると報告を受けました」


「問題って……」


「任務中に感情移入するのは、規則違反です」


その時、零が現れた。


「雪……どうしてここに」


「あなたの代理として派遣されました」


雪は零を一瞥すると、私に向き直った。


「桜井美咲さん、今日から私があなたの恋人役を務めます」


「ちょっと待って」


私は慌てて手を上げた。


「私の恋人は零なの」


「零は感情移入により、適切な判断ができなくなっています。このままでは、魂の回収に支障をきたす可能性があります」


雪の言葉は理路整然としていたが、冷たく感じられた。


「私に感情はありません。完璧に恋人役を演じることができます」


確かに、雪は美しかった。


でも、零のような温かさは感じられない。


「零はどうなるの?」


「研修所に戻って、再教育を受けます」


再教育?なんだか物騒な響きだ。


「嫌よ」


私ははっきりと言った。


「私の恋人は零がいい」


雪は眉をひそめた。


「理由をお聞かせください」


「理由なんて……好きになっちゃったから」


その瞬間、零の表情が変わった。


驚きと、そして喜びが混じったような顔だった。


「しかし、零は規則違反を……」


「規則なんてどうでもいいよ!」


私は零の手を取った。


「ねえ、零。あなたはどうしたい?」


零は雪と私を交互に見つめた。


そして、ゆっくりと口を開いた。


「私は……美咲といたいです」


雪は深いため息をついた。


「困りましたね。上司にどう報告しましょうか」


「別に報告しなくてもいいじゃない」


私は雪を見つめた。


「一ヶ月だけ。あと二ヶ月、零と過ごさせて」


「しかし……」


「お願い」


私は頭を下げた。


すると、雪の表情が少しだけ和らいだ。


「わかりました。ただし、条件があります」


「条件?」


「一ヶ月後、零の感情が任務に支障をきたすようなら、強制的に交代します」


厳しい条件だったが、今は時間が欲しかった。


「わかった」


雪は去り際に、零に向かって言った。


「零、気をつけなさい。人間に感情移入しすぎると、死神としての資格を失うことになります」


雪が去った後、私と零は沈黙に包まれた。


「ごめん」


零が先に口を開いた。


「何で謝るの?」


「私のせいで、あなたに嫌な思いをさせました」


私は零の手を握った。


「嫌な思いなんてしてないよ。むしろ……」


「むしろ?」


「零が本当に私のことを思ってくれてるんだなって、嬉しかった」


零の瞳が、いつもより深い色に見えた。



## 第九章 記憶のプレゼント


それから私たちは、さらに積極的に時間を過ごすようになった。


零は人間界のあらゆることに興味を示し、私は彼に色々なことを教えた。


「これがゲームセンターか」


ある日、私たちはゲームセンターにいた。


零は真剣な表情でクレーンゲームと向き合っている。


「零、そんなに集中しなくても……」


「美咲にぬいぐるみをプレゼントしたいんです」


彼の必死な様子が可愛くて、私は笑いを堪えるのに必死だった。


零は三十分後、ようやくパンダのぬいぐるみを掴み取った。


「やりました!」


零の満面の笑みを見て、私の胸が苦しくなった。


この人は、本当に人間らしくなってきている。


「ありがとう。大切にするね」


「はい。美咲の記憶に残るものを作りたかったんです」


記憶に残るもの。


そうか、零は私が死んだ後のことも考えているのだ。


その夜、私たちは公園のベンチで夜空を見上げていた。


「美咲」


「うん?」


「あと四十三日ですね」


「そんなに正確に覚えなくてもいいのに」


「でも、忘れたくないんです。あなたと過ごした時間を」


零の言葉に、私の目頭が熱くなった。


「ねえ、零。本当のことを聞かせて」


「本当のこと?」


「私といること、本当はどう思ってる?演技抜きで」


零は長い間、星空を見つめていた。


「最初は、本当に任務でした。でも、今は……」


「今は?」


「あなたを失いたくない」


その言葉は、まっすぐに私の心に響いた。


「私も」


私は零の手を握った。


「私も、零を失いたくない」


零は振り返ると、いつもとは違う表情で私を見つめた。


困惑と、愛おしさと、そして悲しみが混じった複雑な表情だった。


「でも、私たちには時間がありません」


「時間がないからこそ、今を大切にしようよ」


その時、零が私の頬に手を伸ばした。


「美咲……」


彼の瞳が、月の光を受けてきらめいている。


私たちの顔が近づいて……


突然、零の手帳が光った。


「あ……」


零は慌てて手を引っ込めた。


「緊急招集です。すぐに戻らなければ」


「え?今?」


「申し訳ありません。明日、必ず会いに来ます」


零は立ち上がると、一瞬で姿を消した。


残されたのは、微かに残る彼の香りだけだった。


私は一人でベンチに座り、夜空を見上げた。


あと四十三日。この恋は、どんな結末を迎えるのだろうか。



## 第十章 禁じられた愛


翌日の夕方、零は約束通り現れた。


しかし、その表情は暗かった。


「どうしたの?昨日の緊急招集?」


「はい……上司と面談がありました」


零は重い口調で続けた。


「私の任務態度について、正式な警告を受けました」


「警告?」


「人間に対する感情移入が度を越していると」


私は零の隣に座った。


「それで?」


「このまま感情的になり続けるなら、任務から外すと言われました」


やっぱり、そうなのか。


私はため息をついた。


「零の立場が悪くなるなら……」


「いえ」


零は私の言葉を遮った。


「私は、この任務を続けたいんです」


「でも……」


「美咲、あなたといる時間が、私にとって一番大切な時間になっています」


零の言葉に、私の心は揺れた。


「私のせいで、零の仕事がなくなったら……」


「構いません」


零の瞳は、いつもより強い光を放っていた。


「私は、死神である前に、あなたを愛する一個人でありたい」


愛する。


零がその言葉を口にした瞬間、私の世界が変わった。


「零……」


「美咲、私はあなたを愛しています。演技ではなく、本当に」


私は答える代わりに、零を抱きしめた。


彼の体は冷たかったが、心は確かに温かかった。


「私も愛してる」


私たちは、初めて本当の意味で恋人になった。


しかし、その幸せは長くは続かなかった。


今日のデートはいつもより楽しかった。


でも、一つだけ困ったことがあった。


零と別れた後、自分の部屋まで歩くだけで、まるで世界一周したかのように疲れてしまったのだ。



## 第十一章 別れの時


美咲の体調は、急速に悪化していた。


最初は軽い倦怠感だったが、日に日にベッドから起き上がるのが辛くなった。


「美咲、無理しないでください」


零は私のベッドサイドで、心配そうに見守っていた。


「大丈夫よ。あと三週間もあるし」


「あと十九日です」


零の正確さは、時として残酷だった。


その日の午後、雪が再び現れた。


「時間です」


「まだ約束の期限まで時間があるはず」


私は雪を見上げた。


「美咲さんの容体が急変しています。零では、適切な魂の回収ができません」


雪の言葉は事実だった。


零は私の前で、死神としての冷静さを完全に失っていた。


「もう少しだけ……」


零が懇願したが、雪は首を振った。


「ダメです。これ以上は、あなたの存在そのものに関わります」


存在そのものに関わる?


「それってどういう意味?」


私が尋ねると、雪は少し躊躇してから答えた。


「死神が人間を愛しすぎると、自分自身も人間になってしまうことがあります。そうなると、死神としての力を失い、普通の人間として死ぬまで生きることになります」


「それって……」


「零は今、その境界線にいます」


私は零を見た。


彼は俯いて、拳を握りしめている。


「零……」


「美咲」


零は顔を上げた。


その瞳には、もう迷いはなかった。


「私は、人間になりたい」


「え?」


「あなたと同じ時間を生きたい。たとえ短い時間でも」


雪が慌てたように立ち上がった。


「零、正気ですか?死神の力を失えば、美咲さんの魂を迎えることもできなくなります。彼女は一人で死の恐怖と向き合うことになるんです」


確かに、それは恐ろしいことだった。


でも……


「零」


私は彼の手を取った。


「私は、零と一緒にいられるなら、それでいい」


「美咲……」


「たとえ死ぬのが怖くても、零がいてくれるなら乗り越えられる」


零の瞳に、涙が浮かんだ。死神も泣くのだ。


「本当に、いいのですか?」


「いいよ。だって、私たちの恋は本物だもの」


雪は深いため息をついた。


「わかりました。でも、これだけは覚えておいてください」


「何を?」


「あなたたちに残された時間は多くありません。」



## 第十二章 人間になった死神


零が人間になる儀式は、想像以上に簡潔だった。


雪が何やら呪文を唱えると、零の体が光に包まれ、その光が消えた時、彼はもう普通の人間になっていた。


「どう?体の調子は?」


「重いです。そして……暖かい」


零は自分の手を見つめた。


確かに、彼の肌は以前より血色が良くなっている。


「体温があるって、不思議な感覚ですね」


私は零の手を取った。


今度は、私の手と同じ温かさだった。


「これで、本当の恋人同士ね」


零は微笑んだ。


以前とは違う、人間らしい温かい笑顔だった。


しかし、私の体調は日に日に悪化していた。


もうベッドから起き上がることも困難になってきている。


「美咲、何か食べられそうなものはありますか?」


零は一生懸命に私の世話をしてくれた。


元死神とは思えないほど、優しく丁寧に。


「ありがとう」


「当然です。恋人ですから」


ある日、私は零に尋ねた。


「後悔してない?人間になったこと」


零は私の手を握った。


「後悔なんてするはずありません。あなたと出会えて、愛することを知りました。これ以上の幸せはありません」


「でも、永遠の命を捨てて……」


「永遠の命より、あなたとの限られた時間の方が価値があります」


零の言葉に、私は涙が止まらなくなった。


「私、零に出会えて本当によかった」


「私もです」


私たちは、お互いを抱きしめ合った。


残された時間は少ないけれど、この愛は本物だった。



## 第十三章 最後の奇跡


ある朝、私は異変に気づいた。


いつもより体が軽いのだ。


「零、なんだか調子がいいみたい」


「本当ですか?」


零も驚いた表情を見せた。


私は起き上がって、久しぶりに窓際まで歩いた。


「外の景色が、こんなにも美しかったなんて」


桜の花が風に舞っている。


まるで祝福のように。


その日の午後、私たちは病院へ向かった。


医師の診断結果は、信じられないものだった。


「信じられないことに、腫瘍が……縮小しています」


「え?」


「このままいけば、完全治癒も夢ではありません。医学的には説明がつきませんが……奇跡としか言いようがありません」


病院の帰り道、私と零は公園のベンチに座っていた。


「奇跡って、本当にあるのね」


「ええ」


零は私の手を握った。


「愛は奇跡を起こすんです」


「でも、どうして?」


「きっと、私があなたを愛したことで、何かが変わったんです。死神の力の残りが、あなたを癒したのかもしれません」


零の説明は曖昧だったが、理由なんてどうでもよかった。


私たちには、未来があるのだ。


「ねえ、零」


「はい」


「もう演技じゃないから、改めて言わせて」


私は零を見つめた。


「好きです。愛してます」


「私も愛しています、美咲」


零は私の額にそっとキスをした。


とても優しい、愛に満ちたキスだった。



## エピローグ 新しい始まり


それから一年後。


私と零は、小さな結婚式を挙げていた。


ゲストは少なかったが、皆が心から祝福してくれた。


「まさか、本当に結婚するとはね」


雪も招待していた。


彼女は上司を説得して、零の人間化を正式に認めてもらったのだ。


「ありがとう、雪」


「礼には及びません。ただ……」


雪は少し困ったような表情を見せた。


「零の代わりの死神がなかなか決まらなくて、私が兼任することになりました」


「大変ね」


「ええ。でも、零が幸せそうなので、まあいいかと」


雪もまた、少しずつ人間の感情を理解し始めているようだった。


「美咲」


零が私の手を取った。


「これからも、一緒に歩んでいきましょう」


「もちろん」


私たちは、皆に見守られながら、新しい人生をスタートさせた。


死神と人間の恋なんて、普通じゃない。


でも、普通じゃないからこそ、特別で美しいものになった。


零は今、人間として生きている。


私たちの前には、まだまだ長い時間が続いている。


そして、その全ての時間を、愛と笑いで満たしていくつもりだった。


「ねえ、零」


「はい」


「今度は何のお仕事をするの?」


零は少し考えてから答えた。


「カウンセラーになろうと思います」


「カウンセラー?」


「死を恐れる人たちの心のケアを。私なら、きっと役に立てると思うんです」


元死神のカウンセラーなんて、確かに説得力がありそうだ。


「素敵ね。私も応援するから」


「ありがとうございます」


零は微笑んだ。


それは、死神時代には決して見せることのなかった、人間らしい温かい笑顔だった。


私たちの物語は、死で終わるはずだった。


でも、愛の力で新しい始まりに変わった。


零がよく言っていた言葉がある。


「人間の感情は、時として神の力を超える」


今なら、その意味がよくわかる。


愛は確かに、どんな運命も変えてしまう力を持っているのだ。


私たちの新婚生活は、毎日が発見の連続だった。


零は人間としての生活に慣れるのに必死で、その様子がとても可愛らしかった。


「美咲、この機械は何ですか?」


「洗濯機よ。服を洗う機械」


「服は手で洗うものではないのですか?」


「手でも洗えるけど、機械の方が楽なの」


零は感心したように洗濯機を眺めていた。


「人間の知恵は素晴らしいですね」


こんな日常会話が、私にはとても幸せだった。


カウンセラーの勉強を始めた零は、夜遅くまで心理学の本を読んでいた。


「難しいですか?」


「いえ、とても興味深いです。人間の心は、思っていたより複雑で美しい」


零の真剣な横顔を見ながら、私は思った。


この人と出会えて、本当によかった。


結婚から半年後、私は零と一緒に病院を訪れていた。


定期検診の結果は、完全寛解。


もう病気の影は、どこにもなかった。


「おめでとうございます。完全に治っていますね」


医師の言葉に、私と零は手を握り合った。


「ありがとうございました」


「いえいえ、奇跡的な回復でした。お二人の愛の力ですかね」


医師は冗談めかして言ったが、私たちにとっては冗談ではなかった。


本当に、愛の力だったのだから。


病院の帰り道、私たちは初めてデートした公園を訪れた。


「ここで、初めて手をつないだのよね」


「はい。あの時はまだ、マニュアル通りでした」


「今は?」


零は私の手を取り、優しく握った。


「今は、あなたの手を握っていないと不安になります」


私は零にもたれかかった。


彼の胸から聞こえる心臓の音が、とても心地よかった。


「ねえ、零」


「はい」


「もし、私があの時死んでいたら、どうしてた?」


零は少し考えてから答えた。


「きっと、死神としての仕事も手につかなくなっていたでしょう。そして、いつかあなたを追いかけて、人間になっていたかもしれません」


「バカね」


「バカかもしれませんが、それが愛というものなのでしょう?」


私は零を見上げた。


彼の瞳は、以前より深く、温かくなっていた。


「そうね。愛って、バカなものよ」


私たちは笑い合った。


そして、改めて誓った。


これからも、ずっと一緒にいようと。


愛は奇跡を起こす。


それは、私たちが証明した真実だった。


そして、私たちの愛の物語は、これからも続いていく。


人間になった元死神と、奇跡的に命を救われた女性の、普通じゃない、でもとても幸せな毎日が。


「愛してる」


「私も愛してる」


公園の桜が、まるで祝福するように舞い散った。


私たちの新しい人生に、乾杯。


【完】

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死神と最後のデート トムさんとナナ @TomAndNana

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