第14話:三つ巴の戦い
静寂は、轟音によって唐突に引き裂かれた。
アクエリアス・ファクターEXがその半透明の腕を振うと、水の刃が、亀の甲羅へと叩きつけられたのだ。
ゴォォォンッ!
凄まじい衝撃音と共に、亀の体内世界が、まるで地震のように激しく揺れた。
「うわっ! なんだ!?」
「敵襲か!?」
村の復興作業を進めていた祐とゴリンたちは、たまらず地面に手をつく。安息の地であるはずのこの世界が、外からの暴力によって揺さぶられている。その事実は、彼らに新たな恐怖を植え付けた。
『兄ちゃん、ごめん! 僕、避けきれない!』
頭の帽子から、俊の悲痛な声が響く。
『心配するな! 俺たちが出る!』
祐は、共に戦う仲間たちへと向き直った。
「グレン、ブル、クロ、キキ! 行くぞ!」
「応っ!」
「俊、外に出してくれ! 出たら、すぐに亀の体を帽子にしまうんだ!」
『うん、わかった!』
「これ以上、誰も死なせるわけにはいかねえんだ!」
祐の決意に満ちた声に、俊はこくりと頷いた。
次の瞬間、祐たちの体が淡い光に包まれ、亀の体内世界から、外――亀のすぐそばの森の中へと転送される。
吹き荒れる風と、眼下に広がる森の景色。そして、目の前に立つ、一体の水の怪物。
祐の指示通り、俊はすぐに行動を起こした。
先ほどまでそこにいた亀の分体がまばゆい光を放ち、その光は一本の筋となって収束し、祐がかぶっている亀の帽子の中へと、吸い込まれるように消えていった。
「ターゲット、ジェミニ、キャンサーを確認。……これより、排除を開始する」
アクエリアスは、祐たちを認めると、その無機質な視線を彼らに向けた。
「なんだてめぇは!? 桃田の仲間か!」
祐の怒りの声に、アクエリアスは応えない。ただ、その腕を再び水の剣へと変形させ、無慈悲に振り下ろした。
これが、「動く村」の初陣だった。
祐の手に、黒く艶やかな一本の指揮棒が形成される。彼はそれを構え、叫んだ。
「グレンは正面! キキは右から回り込め! ブルとクロは援護を!」
『兄ちゃん、みんな、聞こえる!?』
突如、全員の脳内に俊の声が直接響き渡った。
『え!?』
『この声、俊か!?』
グレンたちが驚きの声を上げる。
『うん! 亀の帽子と亀のバンダナは、ちゃんとつながっているね。お兄ちゃんの作戦指示は僕から皆に伝えるよ! 見て、敵は左腕をかばってる! そこが弱点かも!』
俊がもたらした情報は、戦況を覆す一筋の光だった。
「よし! 全員、左腕を狙え!」
祐の指揮のもと、ゴブリンたちの連携攻撃が水の怪物に叩き込まれる。しかし、アクエリアスの体は斬られても、殴られても、水のように揺らめいてダメージを吸収し、すぐに再生してしまう。
『兄ちゃん、ダメだ! キリがないよ!』
「くそっ!」
祐は歯噛みした。このままではジリ貧だ。
その時だった。森の奥から、凄まじい速度で一体の獣が駆け抜けてくる。銀色の毛並みを持つ、巨大な狼男――ウルフフォームへと変身した、桃田郎治だった。
「……お前は……! あの時の化け物か……!」
桃田は、祐たちではなく、アクエリアス・ファクターEXを睨みつけ、驚愕に目を見開いていた。
(なぜ、あの時の化け物がこんな場所に……!? しかも、狙いは浦島兄弟だというのか……!)
状況は一瞬で反転した。
桃田は、祐に向けられていたはずの敵意を、即座にアクエリアスへと向け直した。
その銀色の毛皮が光と共に収縮し、彼は瞬時に人間の姿へと戻る。共闘を申し出る以上、正体を明かす必要があった。
「浦島! 聞こえているか!」
桃田が、背後の祐に叫ぶ。
「こいつはまずい…! 俺が戦った中でも段違いに厄介な相手だ! 話は後だ、今はこいつを叩くぞ!」
その言葉に、祐は眉をひそめた。
「……ふざけるな! てめぇの言うことなんざ、信用できるか!」
だが、その言葉を裏付けるように、アクエリアスが新たな動きを見せた。飛び散った水滴が地面に落ち、それぞれが小さなスライムとなって蠢き始めたのだ。
「ちっ……! 分裂しやがった……!」
桃田の言った「厄介」という言葉の意味を、祐は瞬時に理解した。
憎い。こいつの顔を見るだけで、腹の底が煮えくり返る。だが、目の前の水の怪物は、それ以上の脅威だ。
『俊、グレンたちに伝えろ! こいつを倒すまで、桃田と一時休戦する! それでいいか確認してくれ!』
祐は脳内で叫ぶ。すぐに、俊を経由してグレンの苦渋に満ちた返事が返ってきた。
『……ちっ! 悔しいが、今はしょうがねえ! あんたに任せる!』
仲間たちの同意を得て、祐は覚悟を決めた。
「……一時休戦だ、桃田! 勘違いするなよ。こいつを倒したら、次はお前の番だからな!」
敵の敵は、味方ではない。ただ、利害が一致しただけだ。
憎悪と不信が渦巻く中での、あまりにも歪な共闘が、今、始まろうとしていた。
「いくぞ、お前ら!」
祐が叫ぶ。彼の両手が、まるでオーケストラの指揮者のように宙を舞った。
「怯むな! 陣形を崩すなよ!」
グレンがリーダーとして吼え、分裂したスライムの物量に気圧されかけた仲間たちの士気を一喝で立て直す。
そして、その中心で、桃田が再び雄叫びを上げた。
「ビーストモード!――ウルフフォーム!」
彼の体が瞬時に変貌を遂げ、銀色の毛並みを持つ俊敏な狼男となる。その鋭い爪が、再生するよりも早く、アクエリアスの水でできた体を切り裂き、水飛沫を上げた。
『兄ちゃん、再生が追いついてない! 今だよ!』
俊の叫びを聞き、祐もまた決断する。
『俊、レッドウルフのアンプコインを!』
『うん!』
帽子から排出されたコインを吸収すると、祐の指揮棒が紅いエーテルをまとって、狼の牙のように鋭いレイピア(細剣)の形へと変化した。
「スキル発動ッ!――ハウリング・ラッシュ!!!!!」
祐が一度突きを繰り出すだけで、その切っ先から無数のエーテルの斬撃が時間差で放たれ、まるで狼の群れに襲われたかのように、アクエリアスの体に無数の傷を刻み込む。
亀バンダナによる脳内通信と、祐の的確な指揮、そして桃田という圧倒的な個の力が、奇跡的な連携を生み出していた。
ゴブリンたちが執行者の動きを封じ、その隙に桃田が決定打を叩き込む。じりじりと、しかし確実に、アクエリアスを追い詰めていく。
「……!」
言葉を発さぬ執行者から、初めて焦りのような波動が感じられた。次の瞬間、その水でできた体が、不気味に膨張を始めた。内部で、禍々しい光が明滅している。
膨張していたはずの執行者の本体が、まるで水が地面に吸い込まれるように、ぬかるみの中へと姿を消したのだ。
一瞬の静寂。
「どこへ消え――」
祐が言い終える前に、彼の真後ろの地面が不自然に盛り上がった。その光景をいち早く捉えた桃田が、絶叫する。
「――浦島ァッ!! 危ない!」
桃田は祐の背中を猛烈な力で突き飛ばした。
「ぐっ!?」
ぬかるんだ地面を転がりながら、祐が振り返り際に見たのは、信じがたい光景だった。
祐が先ほどまで立っていた場所から、地面を突き破って噴出したアクエリアスが、その腕を伸ばしていた。
そして、祐を突き飛ばした勢いでその場に飛び込んでいた桃田が、身代わりとなって執行者の腕に固く捕えられていたのだ。
「貴様に浦島をやらせるものか!」
桃田は、拘束されながらも、不屈の叫びを上げる。
身代わりとなった英雄を捕らえたまま、執行者の水でできた体が、内部から発する光で白く輝き、限界まで膨張していく。
閃光。
鼓膜を突き破るような、凄まじい爆音。
熱と衝撃波が、森の木々をなぎ倒し、大地を揺がした。
「……も、もた……?」
吹き飛ばされ、地面を転がった祐が、朦朧とする意識の中で目にしたもの。
それは、鎧が砕け散り、血の代わりに光の粒子を迸らせながら、近くを流れる川へと落ちていく、桃田郎治の姿だった。
「桃田ァァァァァッ!!」
祐の絶叫が、静けさを取り戻した森に、虚しく響き渡った。
衝撃で吹き飛ばされていたグレンたちが、祐の元へ駆け寄る。
「祐、大丈夫か!?」
「……ああ。それより、あいつは……」
グレンは、桃田が消えた川面を、信じられないものを見るような目で見つめていた。
「……なんでだ……? 勇者の野郎……あんたを庇ったぞ……」
「ああ、俺たちも見たぜ。あいつ、あんたを突き飛ばして、代わりに……」
クロやキキも、戸惑いを隠せないでいた。憎むべき仇敵のはずの男が見せた、あまりにも英雄的な、自己犠牲。その光景が、彼らの混乱をさらに深めていた。
爆心地へとよろめきながら歩を進めると、執行者の姿は、跡形もなく消え去っていた。
ただ、地面に穿たれた巨大なクレーターの中心に、何かがキラリと光っている。
拾い上げると、それはビー玉ほどの大きさの、くすんだ輝きを放つ石だった。しかし、それは仲間たちの遺した石とは異なり、表面に見慣れぬ星座の意匠――水瓶座のマークが刻まれていた。
(なんで……なんで俺を助けたんだ、桃田……? 村を滅ぼしたお前が……)
憎しみと、生まれたばかりの小さな疑念が、祐の心の中で激しく渦を巻く。
◇
その一部始終を、森の闇の中から、一対の目が冷ややかに見つめていた。バルキーナ王国の偵察兵だった。
彼は、手にした通信機能付きの魔法石に、淡々と事実を報告する。
『……こちら偵察隊。目標のゴブリン共と接触。勇者様も現れましたが……はい。正体不明のモンスターの奇襲を受け……勇者様は、爆発に巻き込まれて死亡したもようです』
通信の向こう側で、息を呑む気配がした。やがて、抑えきれない怒りに満ちた声が、魔法石から響き渡る。
『なんだとっ!?――まったく、使えん勇者だ……。いや、それよりも、あの忌々しい害獣共めが……!』
大臣ミゴズクは、報告の通信を一方的に切断し、目の前の兵士に向かって大声で怒鳴った。
「おい! そこのお前! ヘルハウンド隊のシュナイダー隊長に追撃命令を出せ! 今すぐに出せ!」
冷酷非情な命令が、静かな森に響き渡った。
祐たちがまだ知らない、新たな、そしてより強大な脅威が、すぐそこまで迫っていた。
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