第13話:亀の中の鎮魂歌
そこは、悲しいほどに穏やかな世界だった。
頭上には、どこまでも続くかのような優しい青空が広がり、柔らかな光が地上をあまねく照らしている。川のせせらぎが耳に心地よく、頬を撫ずる風は、失われた故郷の森の匂いをかすかに運んでくる。
浦島俊の体内世界。それは、理不尽な暴力によって全てを奪われた者たちにとって、あまりにも優しすぎるゆりかごだった。
その世界の小高い丘の上で、浦島祐と生き残ったゴブリンたちは、静かな儀式を終えたところだった。
丘の上には、立てられたばかりのささやかな木の墓標が、静かに彼らを見下ろしていた。その土の下には、先ほど皆で埋葬した仲間たちの「エーテルストーン」が眠っている。今はまだ淡い光を宿す石たちが、族長をはじめとする、かけがえのない仲間たちが生きていた最後の証だった。
弔いを終え、誰もが言葉を失い立ち尽くす中、鎮魂歌のように風の音だけが響いていた。その静寂を破るように、それまで沈黙を保っていたリーダー格のゴブリン、グレンが祐の隣に立った。
「祐……」
彼の声は、悲しみに濡れながらも、不思議なほどの力強さを帯びていた。
「仲間たちを弔ってくれて、本当にありがとう。そして……俺たちを見捨てずに、ここまで連れてきてくれたこと、心から感謝する」
そう言うと、屈強なゴブリンは祐の前で深く、深く頭を下げた。
「やめろよ、グレン。礼を言うのはこっちの方だ。あんたが族長の言葉を覚えていてくれたおかげで、俺たちには進むべき場所ができたんだからな」
祐の声がかすれる。
「顔を上げてくれ。俺達は、族長やコロ、亡くなったみんなの想いをうけとったんだ。一緒に頑張っていこうぜ!」
促され、ゆっくりと顔を上げたグレンの瞳は、真っ直ぐに祐を射抜いていた。
「それで、祐。生き残った他のみんなと今後の事を話したんだ。それで…大事な頼みがあるんだ」
彼は一度言葉を切り、仲間たち全員の思いを代弁するように、厳粛な口調で続けた。
「族長はもういない……。これからの俺たちには、新しいリーダーが必要なんだ。祐、あんたに、俺たちのリーダーになってほしい」
その言葉は、祐の胸に重く、鋭く突き刺さった。仲間たちの視線が一斉に自分に集まる。そのどれもが、期待と信頼に満ていた。だが、祐はゆっくりと首を横に振った。
「……俺に、そんな資格はない」
絞り出した声は、自分でも驚くほどに弱々しかった。
「俺が……俺がもっと強ければ……! あの時、あの場で村を壊滅させた桃田を、この手で討ち取れていたはずなんだ……! あいつを逃がした俺は、あまりにも弱い……。そんな俺に、みんなを背負う資格なんて、あるはずがない……!」
堰を切ったように、無力感と後悔が溢れ出す。拳を固く握りしめる祐の肩が、震えていた。仲間たちの仇を討つことすらできなかった自分が、彼らの未来を導くことなど、できるはずがなかった。
重い沈黙が、その場を支配した。誰もが、かける言葉を見つけられずにいた、その時だった。
「――それなら、僕が村長になる!」
凛とした、しかしどこか懐かしい声が響いた。
声の主は、祐の頭の上に乗る亀の帽子――弟の俊だった。その突然の立候補に、祐もゴブリンたちも、ただただ目を丸くする。
「俊……!? お前、なんて無茶な事を言ってるんだ!」
「無茶じゃないよ、兄さん」
祐の言葉を遮り、俊は続けた。その声には、もう以前のような弱々しさは微塵もなかった。
「……僕、兄さんが来る前から、この村でみんなと過ごしてきた。語り部として、みんなの笑顔を毎日見てきたんだ。僕にとって、この村はもう……第二の故郷なんだよ。それに、この亀の中の世界は、僕の体の一部なんだ。なら、ここの責任は僕が持つべきだ。そうすれば兄さんも外で戦うことに集中できるはずだし、僕が、兄さんとみんなが安心して帰ってこられる場所を、この中に作るから!」
それは、紛れもない覚醒の言葉だった。
ただ兄の背中を追いかけるだけだった弟が、今、自らの意志で兄の背中を守ると誓っている。兄を罪悪感という重荷から解放するために、そして何より、自らが愛した村を再建するために、新たな責任を背負おうとしているのだ。
「それに……」
と、俊は少しだけ照れたように付け加えた。
「僕、こういう『復興系』の物語、結構読み込んでるから、知識だけはちょっとだけあるんだ。建物の配置とか、食料の確保とか、任せてよ」
その言葉に、張り詰めていた空気がふっと和んだ。弟の思わぬ成長と、変わらない一面に、祐の胸が熱くなる。涙が滲み、視界が歪んだ。
「……そうか。そうだな……。お前なら、きっとできる」
祐は、頭の上の弟を優しく撫でた。
「みんな、聞いてくれ。俺たちの新しい村長は、この浦島俊だ。俺の、自慢の弟だ」
祐の言葉に、グレンたちが顔を見合わせ、そして一斉に頷いた。彼らの目にもまた、新たな希望の光が宿っていた。
「へへ……。村長、浦島俊です。よろしくね、みんな」
誇らしげな俊の声が、青空に響き渡った。
◆◆◆
新生「亀の村」の村長となった俊の最初の仕事は、村の防衛組織の結成だった。
「えっと、村長として、まずはお知らせがあります! これから村を守るための戦闘部隊を作ります!」
俊は少し緊張しながらも、精一杯の大きな声で宣言した。
「それでね、隊長はもちろん兄さん! だって、この緑色の亀さん帽子が隊長の印だからね! それでね、他の隊員のみんなも、グレンさんみたいに目印があった方がカッコいいと思うんだ! グレンさんは赤だから……そうだ! みんなお揃いの亀さんデザインの色違いバンダナをつけようよ!」
子供のように目を輝かせながら、俊は楽しそうに提案した。
「グレンさんは、そのバンダナに合わせて赤ね!」
彼の言葉に応えるように、祐の頭上の亀の帽子から、まばゆい光と共に一枚の布がするりと生み出された。それは、鮮やかな赤色をした、亀の顔がデフォルメされたデザインのバンダナだった。
「おう!……赤亀か。あんまり強そうには見えねぇな……」
グレンが若干のデザインへの不満を口にする。
(亀のデザインかよ……。だが……悪くねぇ。あのイカした族長のバンダナには及ばねぇが、これはこれで、新しい村の始まりって感じがするぜ)
彼の内心の呟きを知ってか知らずか、俊は満足げに頷き、次々と色違いのバンダナを生み出していく。
「ブルは頭が良さそうだから青!クロは斥候だから黒!力持ちのキキは黄色!」
一人一人に手渡される、色とりどりの亀バンダナ。ゴブリンたちはどこか嬉しそうにそれを受け取った。
「いい、みんな。これはただのユニフォームじゃないんだ」
俊は、少しだけ真剣な声で説明を始めた。
「これは、僕の力の一部なんだ。これをつけていれば、たとえ遠くに離れていても、声に出せないような状況でも、心の中で会話ができる。僕たちは、いつでも繋がっていられるんだ!」
その言葉に、全員が息を呑んだ。
それは、単なる便利な能力の話ではなかった。もう二度と仲間を失わない。孤独になどさせない。そんな、新しい村長の固い決意の表れだった。
グレンは、手にしていた赤いバンダナを、誇らしげに頭へと巻いた。それに続くように、他のゴブリンたちもそれぞれの色のバンダナを身につける。
悲しみの儀式を終えた丘の上で、今、新たな絆の証が生まれた。
彼らはもう、ただの寄せ集めの生存者ではない。一つの故郷を守るための、一つのチームなのだ。
◇
――獣の勘が、獲物の匂いを捉えていた。
月光がまだらに差し込む森の中を、黒い狼男が二本の脚で大地を蹴り、鼻をくんくんと鳴らしながら疾走していた。勇者・桃田郎治が変身した、ウルフフォームの姿だった。その鋭敏になった嗅覚が、かすかに残る亀の匂いを的確に捉えていた。
(待っていてくれ、ロゼム……。必ず、助け出す……!)
心の中で、人質にされた相棒の名を叫ぶ。だが、その決意とは裏腹に、彼の心は鈍い痛みを訴え続けていた。
脳裏に、小学生の頃の記憶が稲妻のように過る。泥だらけになりながら、くだらないことで張り合ったライバルの、ゴブリンではない、屈託のない笑顔が。
(だが、本当にこれでいいのか……?浦島を、あいつらを討つことが、本当に……)
迷いを振り払うように、桃田はさらに速度を上げた。木々が猛烈な勢いで後ろへ流れていく。その時、彼の鼻腔が、これまでで最も強く、そして新しい匂いを捉えた。
「――この臭いは……間違いない!」
茂みを抜けた先、開けた場所に残された、生き物が通った跡。そこに残された浦島兄弟の臭い。桃田は確信した。
「見つけたぞ、浦島兄弟……ッ!」
月に向かって咆哮を上げると、彼は再びその後を追い始めた。その瞳に宿るのは、友を狩るしかなくなった英雄の、悲壮な光だった。
◇
桃田がその痕跡を発見する、少し前のこと。
鬱蒼とした森の中を、一匹の亀が、草木をかき分けながら悠然と進んでいた。見た目は、森に住むごく普通の亀だ。だが、その小さな甲羅の内側に、一つの村の運命が丸ごと隠されていることを、知る者はまだいなかった。
その亀の進路を見下ろす、切り立った崖の上に、一つの人影があった。
人影、と呼ぶには、その輪郭はあまりにも不定形だった。まるで水が人の形を保っているかのような、半透明の体。全身から絶えず水滴が滴り落ち、月光を浴びて不気味にきらめいている。
アクエリアス・ファクターEX。
水瓶座の名を冠する、最初の執行者。
その顔には、目も、鼻も、口もない。感情というものが、そこには一切存在しなかった。ただ、脳に直接刻み込まれた命令だけが、その行動原理の全てだった。
――最優先ターゲット、ジェミニ、キャンサーを、補足、そして排除せよ。
異形の執行者は、ただ静かに、眼下の獲物を見据えていた。
その無感情な瞳が、ゆっくりと動く亀の姿を、完全に捉えていた。
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