第一話:誕生日の祈り

 フィナは、森の土が放つ湿った匂いを吸い込んだ。


 十五回目の誕生日も、いつもと変わらない一日が始まる。腰に提げた小さな籠には、スープの具になる葉や、薬草として売れる根が少しずつ溜まっていく。


 都市国家ガイズの郊外にあるこの家が、彼女の世界の全てだった。物心つく前に流行り病で両親を亡くし、祖母と二人、貧しくも穏やかに生きてきた。

 友達と呼べる相手は、森の小動物たちだけ。学校で教えられるという『現象魔法』なんて、フィナにとっては遠いおとぎ話ファンタジーの世界だ。


 彼女の知る魔法は、ただ一つ。日々の無事を願う、祖母の「お祈り」だけだった。


「でも、今日でそれも変わるかも」


 フィナはそっと呟き、胸元で揺れる、革紐に通しただけの小さなドングリに触れた。祖母がずっと前から教えてくれていたこと。この世界に生まれて十五年、大人になる今日、特別なことが起きるのだと。


「十五歳になるとね、お祈りすれば、友達がもらえるんだって」


 誰に言うでもなく、期待に胸を膨らませる。どんな子だろう。一緒にこの森で木の実を探したり、街の噂話に花を咲かせたりできるような、優しい子がいい。フィナの孤独な世界に、彩りをくれる誰か。その存在を信じる心が、彼女の足取りを軽くしていた。


 陽が傾き始めた頃、籠をいっぱいにしたフィナがそっと家の扉を開けると、香ばしい匂いがふわりと鼻をくすぐった。


「おかえり、フィナ。誕生日おめでとう」

 皺の刻まれた顔をほころばせ、祖母がテーブルに料理を並べていた。すり潰したドングリを焼いた渋いパイに、森で採れた野草を絞った禍々しいジュース。ささやかな、けれどフィナにとっては世界で一番のご馳走だった。


 夢中でパイを頬張り、ジュースで喉を潤す。満腹になったフィナが幸せなため息をつくと、祖母は「さあ、おいで」と優しく手招きした。渡されたのは、手のひらに収まるほどの、蒼く滑らかな石だった。ひんやりと、そして不思議なほど手に馴染む。


「『召喚の石』だよ。フィナがずっと前から欲しがっていた、プレゼントよ」

 祖母は真剣な眼差しで、庭先に積まれた藁の山を指差した。


「その石はね、フィナが望んだお友達を、ちゃんと連れてきてくれる。あの俵の上に行って、強くお祈りなさい」



 連れてきてくれる? この石が?


 フィナにはよくわからなかった。けれど、祖母の言うことに間違いはない。幼い頃から聞かされ続けた、「大人になったら友達をもらえる」という、たった一つの希望。その石は、その約束を本当にしてくれるための、大切な媒体なのだとフィナは信じていた。  


 フィナは言われた通り、家の奥の俵の山によじ登り、蒼い石を両手で強く握りしめた。満腹感からくる心地よい眠気と、長年刷り込まれてきた純粋な信頼が、彼女の意識を不思議な感覚へと誘う。


(どんな子がいいかな)


 心の中で、必死に願った。


 その可憐な見た目とは裏腹に、フィナの望みは驚くほど傲慢だった。


(髪は、雪みたいに真っ白で。目は、この石みたいに綺麗な蒼。すっごく可愛くて、あたしよりちょっと小さいの。話が面白くて、それから、ちゃんとあたしの言うこと文句を言わずにを聞いてくれる子がいいな)


 その願いが最高潮に達した瞬間だった。


 カッ、と。


 握りしめた石が、目をくらませるほどの純粋な蒼光を放った。


 光は奔流となってフィナの手から溢れ出し、目の前の空間を、そして足元の俵の山を飲み込んでいく。あまりの眩しさに、フィナは思わず目を固く閉じた。


 やがて、嵐のような光が嘘のように静まると、フィナはおそるおそる瞼を上げた。


 光が覆っていた俵の上。そこには、一人の少女が、きょとんと立っていた。


 月の光を編んだような、真っ白な髪。夜明けの空を閉じ込めたような、蒼い瞳。フィナより少しだけ背の低い、華奢な身体。薄い寝間着のような服を着ており、無防備に跳ねた髪には、ついさっきまで寝ていましたと言わんばかりの酷い寝癖がついている。



 フィナの、傲慢で自分勝手な注文通りの、完璧に可愛らしい少女が、そこにいた。



 目の前の光景が理解できず、白髪の少女は混乱のあまりその場にへたり込んだ。足元の俵が、藁の乾いた感触を薄い衣服越しに伝えてくる。知らない匂い、知らない夜の空気、そして、自分を見つめる見知らぬ人間。


「わあ!すごい!本当に来てくれたんだ!」

 フィナは満面の笑みを浮かべ、ウキウキとした足取りで俵の山に駆け寄った。


 だが、その無邪気さが、少女にとっては得体の知れない脅威に映った。


 「ひっ…!こ、来ないで…!」

 少女は恐怖に顔を引きつらせ、這うようにして後ずさる。


 その怯えように、フィナははっと足を止めた。森で手負いの野犬に出会った時のことを思い出す。フィナはゆっくりとしゃがみ込み、両手を広げて自分が無害であることを表情で示すように、にっこりと微笑んでみせた。


フィナの根気強い呼びかけに、少女の震えがなんとか少しだけ収まる。少女は警戒を解かないまま、か細い声で、もっともな質問を口にした。


「ここ…は、どこ…?」

「フィナのおうちだよ!」


 フィナは、質問の意図が全く分かっていない0点の回答を返した。少女の眉が困惑に歪む。会話が成立しない。その事実が、少女の不安を再び煽った。


 その時、穏やかな足音と共に、フィナの祖母が二人に近づいてきた。その手には、簡素な麻の服と木製の櫛が抱えられている。祖母は、まるで最初からこうなることが分かっていたかのように嬉しげな顔で、それを少女に差し出した。


「夜は冷えるだろう。さあ、これを着なさい」

 有無を言わせぬその口調に、少女はなすすべもなかった。

 急すぎる展開に思考が追いつかず、震える手でザラザラの服を受け取り、言われるがままに二人の目の前で着替える。チクチクして着心地は最悪。


 少しでも状況を理解しようと、少女は目の前の、自分を呼び出したらしい少女に再び問いかけた。

「『都市国家バイト』は…どこにあるか知らない?」


 バイト。聞いたことのない名前だった。

 フィナは首を傾げ、隣で穏やかに話を聞いていた祖母に助けを求める。


「おばあちゃん、知ってる?」

 祖母は少しだけ夜空を見上げ、やがて静かに口を開いた。


「バイトかい。……ここからなら、西へ馬車を乗り継いで半年も行けば着くかねぇ」


 西へ、半年。その言葉が、少女の最後の希望を打ち砕いた。目の前が真っ暗になり、立っていることすら億劫になるほどの絶望が全身を襲う。


 少女が明らかに落ち込んでいるのを見て、フィナは焦った。せっかく来てくれた友達の機嫌を損ねてしまった。なんとかして、ご機嫌を直してもらわなければ。フィナは必死に言葉を探し、そして、少女が口を開こうとした最悪のタイミングで口を開いた。


「あn」

「あのね!私の名前はフィナ! あなたは、私の友達になってくれるの!私がそうお願いしたから!なんでも言うことを聞いてくれる、ずーっと一緒の友達として、あなたを召喚したんだよ!」


 自信満々に告げられた言葉は、少女の心臓に氷の杭を打ち込むようだった。絶望に沈む少女の顔を覗き込み、フィナは天使のような笑顔で、最後の質問を投げかけた。


「ねえ、あなたの名前は、なんていうの?」



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