黒幇門

Tusk

万刃淘汰

第1話 忌子

 発生源は不明。

 突如として現れた昆虫型の生命体は、人間の鼻腔や口腔から体内に侵入し、脳髄へと喰い進んで松果体に寄生する。

 一見すると、巨大な蚊のような姿だったとされるその生命体は、繁殖方法も不明。

 そもそも昆虫なのか、それ以外の何かなのか。地球由来の生物かどうかさえ、今となっては知る由もない。

 それらの生命体は一時的に異常発生し、世界中で無数の人間に寄生した後、忽然と姿を消したという。

 そして、寄生された人間は、半ば不死身の肉体を得る代わりに、理性を失った化け物と化した。

 人々はそれを「ゾンビ」と呼んだ。

 世界はそのゾンビによって壊滅し、──そして、十七年の時が流れた。




── 黒幇門 ──



 世界が壊れ、秩序と文明が崩壊した直後。

 タイガは、ここ華蓮国(かれんこく)で産み落とされた。


 ゾンビによる混乱は収まらず、残された食糧や水を奪い合い、生き延びた人々が殺し合う日々。──そんな地獄の只中で、タイガは不幸にもこの世に生を受けたのだ。


 だが、それはせめてもの情けだったのか。

 あるいは神の施しか、あるいは悪魔の戯れか。

 タイガは、生まれながらにして異常に研ぎ澄まされた感覚と、常軌を逸した身体能力を備えていた。

 生後間もなくして父の指を握るその力は、悶絶するほどの握力。さらに、遥か遠方でゾンビが引きずる足音を察知しては、突然泣き出すこともしばしばだった。

 最初は気づかなかった両親も、やがてその異常性におののき、「悪魔に憑かれた忌子」ではないかと恐れ始めた。


 これは祝福なのか。あるいは呪いか。

 明らかに常人とは異なる──いや、人の子とさえ思えぬその脅威。


 タイガは、恐怖に怯える両親のもとで育てられていった。

 そして、彼が五歳を迎えようとする頃のことである。

 ついに両親は、タイガを「忌子」として見限り、その怪物じみた身体能力を活かせそうなある組織に、彼を売り払ってしまった。

 一度暴れ出せば、父親の力でも抑えられず──下手をすれば命を奪われかねない。その恐怖が、二人に息子を手放す決断をさせたのだ。


 秩序も通貨も崩壊し、物々交換が主流となったこの時代。

 しかし、そんな時代でさえ、タイガは二束三文で引き渡された。

 それだけ両親にとって、彼の存在は恐怖そのものだったのだ。


 ──その組織の名は「黒幇門(こくほうもん)」。

 この地獄のような時代にも闇社会のシェアを握り、各地で要人の暗殺を請け負う巨大な裏組織である。

 同時に、華蓮国各地から孤児をかき集め、任務のためなら命さえ惜しまぬ無敵の「暗殺マシーン」を育て上げる──そんなブローカー的機関でもあった。

 タイガはこの黒幇門の手によって、その異常な身体能力を武器に、やがて最強の暗殺者として育て上げられていくことになる──。



「羔児(こうじ)たちよ……! この十数年、よくぞ厳しき鍛錬に耐え、勤しんだ!

いよいよ貴様らに課される最後の試練──“万刃淘汰(ばんじんとうた)”は、一週間後と定められた。この最後の余暇を、存分にその翼を休めることに使うがよい!」


「「「遵命(ズンミン)!」」」


 暗殺者となるべく育てられる孤児たちは、“羔児(こうじ)”と呼ばれる。

 彼らは師匠であり父親である“大師父(たいしふ)”のもと、思春期を越え成人を迎えるまで、過酷な鍛錬と試練を課されてきた。


 そして成人を前に、正式に“暗殺者”として認められるためには── “万刃淘汰(ばんじんとうた)”と呼ばれる、最も苛烈な試練を乗り越えねばならない。

 それは、同期の羔児たちが最後のひとりになるまで、殺し合いを強いられるという、極めて残忍な儀式である。

 すなわち──同胞として育てられた仲間たちを、全員殺さなければ一人前とは認められない。

 この儀式は、羔児が“人の心を捨てる”ために執り行われる、人格破壊の儀式なのだ。


 当然ながら、この万刃淘汰を前に逃げ出そうとする者も存在する。

 しかし、そんな羔児は組織にとって“不要な害虫”と見なされる。

 一度でも逃亡を企てた時点で、その羔児は暗殺者の資格を失い、組織の手で始末されるのが定めだ。

 万刃淘汰の一週間前に余暇が与えられるのは──そうした“裏切り者”を炙り出す目的も兼ねている。


 この期間、十数年にも及ぶ鍛錬が停止され、アジト内であればある程度自由に過ごすことが許される。

 一見、安堵の時間に思えるかもしれない。

 だが実際には、迫り来る“死合い”への恐怖に苛まれる、地獄のような一週間となる。

 その恐怖こそが、逃げ出す者を露わにするのだ。



「タイガ……お前は、この一週間をどう過ごすつもりなんだ?」


 万刃淘汰を前に、各々が散っていく中──

黙ってその場を去ろうとするタイガに声をかけてきたのは、同期の羔児“キビ”という少年だった。


 キビは、タイガに次いで二番手の実力を持つ羔児。

 タイガのような異常な身体能力こそ持たないものの、素早い動きと武器の扱いに長け、地頭の良さと機転の速さで頭角を現していた。

 細身の優男で、女性のように髪を団子状にまとめているせいか、外見だけではその素質に気づけない者も多い。


 タイガと特別親しかったわけではないが、キビの方から度々話しかけてくるため、ある程度の交流はあった。


「……別に。宿舎に戻って寝て過ごす。」


「なっ……!? お前、最後の貴重な余暇だぞ!?

幹部用の食堂で好きなもんが食えるし、色だって買えるんだぞ? それで後悔しねぇのか?」


「興味ねぇよ。ダラダラして過ごす。」


「ぷっ……ハハハハッ! 全く、変なヤツだなぁ、お前は。」


 キビは、羔児にとって最後となるかもしれない一週間にもかかわらず、普段と変わらぬタイガの様子に思わず笑った。


「……別にいいだろ。俺の勝手だ。」


「ハハハッ! いや、すまん。その通りだ。」


「……フン。」


「だけどよ……さすがって感じだな、タイガ。」


「……あん?」


「俺たち同期の中で、お前は明らかに戦闘力が抜けてる。

十中八九、生き残るのはお前だろうな。」


「……。」


「つまり──お前には“万刃淘汰の後”がある。

だから、この一週間に思い残すことがあろうと、気にも留めねぇんだろ?」


「……っ!? 別に、そんなつもりじゃ──」


「だが、気をつけろよ、タイガ。」


「……?」


「お前の戦闘力が圧倒的だってことは、同期の全員が分かってる。

万刃淘汰を生き延びるために──お前が最大の“障害”なんだよ。」


「……何が言いてぇんだ?」


 タイガは、含みのある言い方に苛立ち、舌打ちしながらキビを睨みつけた。

 するとキビは、宥めるように手のひらを向け、ひょいと後ろへ下がる。


「おっと、怒るなよ。俺は忠告と……ちょっとした“提案”をしに来ただけさ。」


「……提案?」


「そそっ、提案だ。

──お前が、“同期全員から的にされないため”のな!」


「……!!」


 タイガは、キビの一言にハッと息を呑んだ。


 ──そう。

万刃淘汰は、生き残るために仲間を殺す試練。


 その中で、タイガは“全員にとっての最難関”だった。

 つまり、協力してタイガを真っ先に排除する──

そんな共闘が起きる可能性すら、充分にあるということだ。

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