一章

「安城水月」①

 あー、聞こえない。聞こえない。

 何言ってるか分かんない。


 分かんないって言ってるでしょ。

 だからもう一回言って。

 お願いだから。もう一回。


 行かないで。まだ行かないで。

 私とお話して。ねぇお願い。

 ほんの少しだけでいいから。

 これで終わりなんて嫌だから。


 ねぇ……ねぇって。

 何で……どうして……何でなの……。


 私の何がいけなかったの? 

 ああ、そんなことも分かってないところ? 

 なら私は……どうすれば良かったの……?


     *


 あおざくら高校二年三組出席番号一番、あんじょうつき

 今日、四月十四日をもって、彼氏と別れることになりました。


 人生で三度目の破局です。

 今月の運勢大吉なのに。

 ラッキーカラーの青色を取り入れてなかったせい?


 でも、流石に三回も経験すると、もう涙も出なくなる。

 ええ、出てませんとも。


「……ッ」


 頬に何か垂れてる気もするけれど、これはきっと気のせい。

 でも何なんだろう。

 私は何で、こうも毎回新しい季節になるたびにフラれるんだろう。

 そういう季節か? これが春? 

 だとしたらこれが青春? 


 いや違う。

 ラッキーカラーは確かに持ってなかったみたい。


 溜息が止まらない。

 暫くは……恋愛はもういいかな。

 うん、いい気がする。


 いや待てよ。そうだ。新入生。

 新入生は私のこと知らない。

 つまり、私がフラれたばかりの女だということを知らない。

 要するに狙いどころでは?


 あ。もしかしてこういうところが良くないのか? 

 いやでも、切り替えが早いだけで別に、付き合ってる最中はそんな、すぐ目移りするようなことはしなかったと思うけど。


 しかし、新入生というのはかなり良さげ。

 年下男子と聞くと、可愛い系というか犬系を想像するだろうけど、私はそんな甘っちょろいタイプじゃない。


 望みは敢えて、大人っぽい雰囲気の子。

 というかそれが好みだから。

 逆に私が年下に甘えるという、そんな展開が最高。


 ただ問題は、私が一年の子と知り合う機会が無いってところ。

 女子バレーボール部だし、男バレの方とはほぼ接点無いし。

 マジで手段が無い。

 どうしたもんかな……。


 悩みながら、私は東階段に向かって行く。

 上の階の三年生はこの季節に沸き立っているようで、騒々しい。

 けれど、意外にも下の階の一年生は静かだ。

 多分、まだ高校に慣れてないんだろうな。


 もっとも、一番やかましいのは我らが二年生なんだけども。



 ──……ん?



 踊り場に、掲示板を前にして妙な様子の一年生がいた。

 なんだか勝手にチラシを弄っている。

 これは良くないんじゃない?


「キミ」


 声を掛けたら動きを止めた。

 どうやらチラシの画鋲を抜いているみたい。


「はい?」


 若白髪が見えるけど、至って平凡な男の子だ。

 中肉中背で、指定の灰色ブレザーを適度に着崩してる。

 LQ(恋愛指数)、およそ八十五と言ったところか。


「駄目だよ勝手に取っちゃ」

「……ああ。いや、壁に張られてたんで。駄目でしょ、掲示板からはみ出ちゃ」

「どゆこと?」

「普通に考えて、画鋲を刺して良いのは掲示板だけ。壁に穴開けちゃ駄目じゃないですか」

「外してどうするの?」

「? 外して終わりです」

「え……い、いや、駄目でしょ」

「そうかな……駄目ですか。普通じゃない?」

「え?」

「なら普通は無視するのか。いや、それとも別の場所に張るか……。でもそもそも、張る場所が無いからはみ出た部分を壁に張ってたわけだけど……」


 勝手に一人で考えてる。何だこの子。


「隙間無いかな?」

「無いです。いや、ちょっとだけなら……。でも普通じゃないな」

「どゆこと?」

「他のチラシの上に被っちゃいます」

「じゃあ掲示板の外にはみ出すしかないね」

「……それが普通ですか?」

「いや普通って何」

「壁に画鋲刺すのは、普通なんですか?」

「え? いやどうだろ……。普通は……うーん……掲示板にだけ刺して、はみ出た部分は放置……じゃない?」


 そう言うと、彼はポンと手を打った。

 大袈裟だな。


「そうか……ッ! 失念してました。いや、確かにそれが普通。まったく……参りました」


 ウンウンと頷いて、何なんだ一体。

 少なくともキミは、全く普通じゃなさそうだね。


 結局、彼は壁に刺さっていた画鋲だけ抜いて、風で揺れるチラシの半分を無視して放置することにした。


 まあ、確かに壁に画鋲を刺すのは良くないよね。

 良い子ではある。でも変な子だ。

 そう思っていると、彼は急に『しまった』という表情をして回れ右をした。


「? ちょっと……」

「では」


 何だろう。

 私とこれ以上話すのが嫌になったのかな? 

 明らかにそんな雰囲気。少し気に障るなぁ。


「待って」

「な、何すか」

「私、なんか変なこと言った?」

「え? い、いや別に」

「あそうだ。何で掲示板見てたの? ああいや、部活のチラシ見てたんだよね。どこに入るか考えてた?」


 彼の表情はますます怪訝な面持ちに変わっていく。

 いや、私もちょっとしつこいかな。


 不思議だ。

 変な子を前にすると、こっちもなんだかタガが外れるみたい。


 彼の方はまた少し思案して、それからこちらに答えることにしたらしい。

 何を悩んでたのかな。


「……入る部は考えてます。バド部にしようかと」

「良いね! 私バレー部だから、体育館で会うかもね」

「え……」


 やっばい。

 しつこいっていうか、この言い方はもう気があると思われてもおかしくない。


 どうも私は今、失恋の動揺と春の陽気、そして彼が作り出したヘンテコな雰囲気に呑まれてるらしい。

 いやまあ、元々思ってることと逆のことばかり口に出ちゃうタイプだけど。


 非常に申し訳ないけど、正直彼は好みじゃない。

 LQ(恋愛指数)八十五くらいだろうし。

 ホントにごめん。


「じゃ、じゃあ」


 今度こそという形で、彼はこの場から逃げ去ろうとしている。

 近くを通り過ぎていく生徒たちには、果たして私達がどう見えているのだろう。


 逆ナン? 

 そう見えてたらやだな。

 噂されないよね? 


 というか私が彼に逃げられてるみたいな図になってるのもやなんだけど。

 なら彼が逃げてしまう前に手を打つしかない。


「ね」

「……何すか」

「またねー」


 私はテキトーに笑顔を向けて去る。

 手も振りながら。


 どーだ。

 キミより先に私からこの場を離れてやったぞ。


 ……何の勝負だ。

 ごめんね、一年生クン。

 プライド高い上級生でごめんなさい。


 背を向けたらもう彼の表情は見なかったけど、きっと困惑していたことだろう。

 だって私もそうだから。


 年下の男の子と、いきなりここまで会話できるとは思わなかった。

 天運か? 

 彼は別にだけど、一年生との繋がりがあるっていうのはかなり良さそう。

 ただ、利用するような感じになるのが申し訳ないな……。


「……あ」


 階段を駆け上がっていった私は、そこで偶然元カレの姿を発見した。

 いや、別に偶然じゃない。

 三階は二年の教室しかないんだから、見かけることくらいよくある。


 女の子と喋っているみたいだ。

 私の知らない、多分彼と同じクラスの女の子だ。


 私はそれこそ胸に画鋲が刺さったかのような痛みが走るけど、見かねて抜いてくれる人は誰もない。

 いや、多分抜いても痛みが消えることはない。


 振り返って階段の踊り場を見ると、もうさっきの一年生はいなくなっていた。

 はみ出たチラシは風で揺らめいて、まるで画鋲に刺されて痛がっているようだった。


     *


「うち片親なんだよねー」


 えらい重たいカミングアウトを、当たり前のようにしている一年生の女子がいた。

 月は変わって五月になり、多少周りと仲を深めたんだろう。

 でもそれは悪手じゃないかな。


 ほら、一緒にいるイケメンな男の子、完全に言葉失ってるよ。

 ……いや、どうもずっと無口なだけみたい。

 無表情だし分かりにくい。


 イケメンだけど、LQ(恋愛指数)は百そこらかな……。

 ずっと下を向いて猫背なのが良くない。

 まあ、私個人の感想です。


 でもそっか。

 私も父親いないけど、意外と多いんだなぁ、同じ人。



 まあ暗い話はこの辺にしておいて、LQ(恋愛指数)について説明しようかな。


 LQはLoveQuotientの略。

 IQ(知能指数)みたいな感じの造語らしくて、恋愛能力の高さを示しているようで別に具体的な数値を出せる指標じゃない。


 ただ、私はこう、長年の訓練により、何となく、人のLQを推定できる。

 ……できることにしている。

 脳内で。脳内だけでね。


 そして個人の感想だけど、恋愛指数が同じくらいの者同士じゃないと、上手く付き合うことは出来ないと思ってる。


 ちなみに私のLQは百十五。

 男子より女子の方がLQは高くなると、勝手に思い込んでます。


 平均は九十五くらいかな? 

 今のところ、LQの差が十以内なら付き合うところまで行けてる。

 全員別れたわけだけど。


 小学校六年の頃に一人目、中学一年の頃に二人目、そして高校一年で付き合った彼とも一年持たずに終了。

 それぞれとのLQの差は十、五、三。

 これはもう、ドンピシャを狙いに行くべきなのかもしれない。


 LQが同じなら、もっと上手くやれるはず。

 ……まあ、そのLQを推定するのは私自身なんだけど。


 さて。

 実はさっきから一年生のフロアを見ていたところだけど、あまりこの階に長居すると変な目で見られることになるかもしれない。

 そろそろ階段を昇ろう。


 顔が良くても、LQが高過ぎたら私じゃ釣り合わない。

 年下で私と同じくらいのLQの子を探すのは、難しいなんてもんじゃない。

 かといって二、三年は狙えない。


 私が以前まで付き合ってた相手は陸上部で一、二を争う足の速さを誇るそうこう鹿くん。

 うちの学年で知らない人はいないだろう有名人。

 私達が別れたことは、多分みんな知ってる。

 別れたから新しい相手を探してるなんて知られたくないし、狙えるのは何も知らない新入生しかない。


 プライドが高いうえに勝手に人の批評をして、私はなんて浅ましい女なんだ。

 そんな私を受け入れてくれる、理解ある彼氏クンを募集してます。

 ……なんて。

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