失せろ、青春

田無 竜

序章

「普通人間」

 青春が、見当たらない。


 桜満開の季節。

 僕らの門出を迎え入れるのは、ピンク色の一里塚。

 地上はピンクで、空は白い雲が覆い、『青』の景色は目に映らない。

 温暖化の所為か、『春』という季節も曖昧に感じる。


 『青春』はどこかへと逃げ去って、僕らは置いてけぼりを食らいながらそれでもモラトリアムの迷宮に囚われる。


     *


 ここは、都立あおざくら高等学校。

 名前の『青桜』というのは、桜の木の若葉のことを言うらしい。

 僕からしてみれば桜の木の若葉は青色ではなく緑色なんだが、昔の人は違ったらしい。


 まあ構うことはない。

 僕も丁度、青春なんて劇的なものは要らないと思っていたところだ。

 猛烈な激しさも、緩慢な穏やかさも要らない。


 僕が欲しいのは『普通』。 

 普通で良い。

 平凡な日々を送れるのならそれが一番最良だ。


 僕の調べによると、現役高校生の半分以上は青春を満足に送れていないらしい。

 理想が高い所為もあるかもしれないが、ならば僕は青春を送らない側、すなわち多数派に流れるべきだろう。


 それが普通。普通なんだ。

 ああ、僕は普通を愛している。普通最高。

 普通であろうとすることが、僕のあるべき姿なんだ。


     *


 本懐を胸に抱え、僕はこの青桜高校に入学した。

 入学式は滞りなく終わり、現在はクラスでのロングホームルーム。

 顎髭の目立つ担任の先生が、僕らに激励を与えてくれている。

 未来がどうの、夢がどうのと、とてもありきたりな『普通』の言葉を吐いてくれている。

 なんて素晴らしい先生だ。


 そんな有難い激励が終われば、今度は僕らが口を動かす番。

 詰まるところ自己紹介だ。

 こういう時に真面目に聞く奴は普通じゃない。

 真に普通ならば、自分にとって有用な部分だけを聞き取るものだ。


 例えばそう、部活だな。

 クラスメイトに同じ部の人間がいれば、そんなに過ごしやすいことはない。

 僕は何でもござれな気分なので、クラスの中で話しやすそうな人が入る部に、僕も入るとしよう。


     *


 最悪だチクショー。

 話しやすそうなクラスメイトが入る部に入る、という考えは悪くなかった。


 しかし入学式翌日、放課後の体験入部。

 これが問題だった。


 バドミントン部をチョイスしようとした僕は、ちょっとキラキラした感じの人に『一緒にサッカー部見に行かないか?』と誘われ、断った。


 断るだけなら良かった。

 理由を聞かれ、僕はつい『今日は用事が……』と言ってしまった。


 それをバド部希望のクラスメイトが聞いていた。

 件の話しやすそうな子たちだ。



 ──「え? 今日用事あんの? じゃ、俺らだけで行くか」



 というわけで、折角僕が馴染めそうだったグループの子たちは、僕を省いて体験入部に行ってしまったのだ。


 さて参った。

 このままじゃ普通の学生になれない。

 流石に友達の一人か二人はいないとだってのに。


 嘘だったと言い訳するのは普通じゃない。

 今から無理やり用事がなくなったと言って現れるのも、何というか珍妙だ。

 僕は所在をなくし、適当に校内の視察に入ることにした。


     *


 気になってやって来たのは図書室。

 自習スペースが中にあるとのことで、その辺りも見ておきたいと思う。

 まあ、普通の新入生は使わないだろうけど。


 入ってみると中は閑散として、本から漂うノスタルジーな匂いが場の空気を作っていた。

 ジャンル別に棚が分けられているけれど、所々間違ったジャンルの本が混ざって並んでいる。

 図書委員は仕事が粗いようだ。


 奥に進んでいくと、確かに自習用の机がいくつか並んでいるのが見えた。

 そこで僕は、一人の女子が座って本を読んでいる姿を発見する。


 あ。視線が合った。

 黒髪ロングの、いかにもなお嬢様という雰囲気の女子だ。


 いや、でも、どことなく危うい気分にさせられる。

 もしかするとその鋭い視線が原因かもしれない。


 というわけで、普通な僕は普通にここで失礼する。

 知っているかい? 

 今時の男子高校生は、異性との付き合いが無い方が普通寄りなんだと。

 僕調べでは。


 つまり、君のような女子と『出会い』を演じる気は、さらさらないということさ。

 なので僕は、彼女に背を向ける。



 ──……ッ!?



 だがここで、僕は腕を掴まれた。


「……」


 何とか言えよと言いたいところだが、僕は動揺して口を動かせない。

 自己紹介では流暢に普通な挨拶をかましたってのに。

 しかしどういうつもりだ? この子は。


「……あ」


 掴んだ傍から手を放す。

 僕にはもう、彼女の魂胆がまるで読めなかった。

 体を彼女の方に向けると、少しだけその顔が赤みがかっているのが見受けられた。


「何すか」


 突飛な行動をしたことで恥を覚える。

 こんな普通の反応をしてくれたことで、僕は逆に安堵していた。

 無論、突飛な行動の意図は分からないが。


 しかし安堵したのは僕だけではなかった。

 彼女も僕が口を利いたことで、最初に選んだ恥への道を安心して進むことにしたらしい。

 僕をキッと睨むような視線が、その証拠だ。


「……座って」


 睨まれながらそう言われては、僕も従わざるを得ない。


 ……と、言いたいところだが、僕は普通を目指す人間。

 ここでこんな特別なイベントは発生させたくない。

 無視して帰る。


「待って」


 そう言われると一旦動きを止めてしまうのが、普通たる所以。


「何すか?」


「ち……ちょっと……話が。だから座って」


「何すか話って」


「座って」


 強い口調になった。

 別に怖くはないが、ここで無視するのは普通じゃない。

 女の子の強い誘いを断るのは、普通の男子高校生のすることではないのだ。


 席に座ると、圧のある彼女の瞳をまじまじと見つめることになる。

 まるで全てを飲み込むような、深淵の闇のような黒い瞳だ。

 いや、僕だって黒目か。


「……それで、話とは」


「……」


 また赤くなってしまっている。

 この状況を冷静に俯瞰して、またも恥に襲われ始めたのだろう。

 しかし、これは君の選んだ道だ。


「……入学式」


「はい?」


「助けてたでしょ?」


「!」


 まさか。見られていたのか。

 入学式の日となると、この人も一年なのか。

 いや、そんなことはどうでもいい。


 入学式の日、僕は普通に登校した。

 ああ、僕は普通だった。

 だというのに、偶然にも普通でない出来事が僕の前で起こったのだ。



 ……木の上で、子猫が降りられなくなっていた。

 これって一体どれくらいの確率なんだろう。

 ここで鳴いている子猫を放置するのが果たして普通なのか、否か。


 流石に僕の調べにもそんなデータは無い。

 ただ、一般的には善性の行動は普通寄りである可能性が高い。

 余程のリスクを負わない限りね。


 別に子猫を木の上から降ろすくらいなら、普通の範囲で留められるのではないかと僕はそこでそう判断した。


 つまり──これがということだ。


「どうして?」


「へ?」


「どうしてあんな風に出来るの? 教えて」


 それは……木登りの方法のことか? 

 そんなことを聞いてどうする。


「えっと……汚れるのを気にしたら駄目みたいで。全身を木と接着させておけば、摩擦が大きくなってバランスが崩れにくくなる」


「そうじゃなくて」


「どういう……」


「……どうしてあんな、ことが出来るの?」



 どうやら僕は、完全に完璧な間違いを犯したらしい。


 ……そうだ。

 あれは幼稚園、年少組の頃のこと。

 ヘビイチゴを『美味しい美味しい』と言いながら食べていたら、よーくんに『お前おかしい』と言われたんだ。


 あの時僕は、普通でなければ周りに距離を置かれるということを知った。

 だから僕は『普通』に拘ることにしたんだ。

 普通でいれば、周りから距離を置かれることはない。

 自分自身が、傷付くことがない。


 そのために細心の注意を払ってこれまで生きてきた。

 今日だって、昨日だって、きっと明日も。

 僕は無視するべきだったんだ。

 子猫なんて、放置すれば良かったんだ。

 その所為で僕は『普通じゃない』と思われてしまった。


 こんなに悔しいことはない。

 こんなに悲しいことはない。

 ……こんなに恐ろしいことはない。


「……僕が、『普通じゃない』だって?」


「うん」


 僕は机をダンッと叩きながら立ち上がった。


「ふざ……」


 そこでクールになり、僕は着席し直す。

 しかし、一瞬ビクッとした彼女が見せる怪奇なものを見る目は、もう元に戻らない。


「……ごめん」


「いや。……何? 何なの? 貴方は……」


「……普通は、無視していくものだったのかな? 子猫が木の上で鳴いてていても」


「……まあ、私ならそうする。貴方は特別。特別なことが出来る……特別な人間」


「は?」


 何故か分からないが、彼女が苛立っているように見えた。

 そして彼女の方も、僕が苛立っているように見えているだろう。

 いや、実際苛立っている。


「どうして出来るの? どうして……」


「いや。無視するのが普通だと知らなかったからだよ。知ってたら無視してた」


「何言ってるか分からない……。やっぱり貴方は普通じゃない……」


「何でだよ」


「教えて」


 彼女は少しだけ身を乗り出し、その鋭い目は懇願する柔らかなものになっていた。


「……特別になる方法。私は分からない……から」


「何言ってんの」


「誰も彼も、分かってない。分かってないくせに、人間はみんながみんな特別で、唯一無二の存在だとかなんとか言って。気持ち悪くない? 私は気持ち悪い。ここで貴方に会えなかったら、今日も私はそんなみんなと同じつまらない普通の日常を送って終わるだけだった。こうして話せてるのも奇跡。こんな普通じゃない話が出来るのは奇跡。他愛もないどうでもいい話しかしない、そんな日常が私は嫌で嫌で仕方ないの。みんなが嫌い。ありきたりの『』が……私は大嫌いなの」



 ハッキリ言って、チンプンカンプンだ。

 これが同じ日本語だという事実に驚嘆すら覚える。

 何なのだこの女の子は。

 全くもって意味不明だ。


「……も、もう良いかな? 君は充分変だよ。僕がいなくてもさ」


「違う。貴方が現れたから、私は普通じゃないことが出来たの。貴方が今ここに来なかったら、ただ本を読むだけで、何も起きないことに絶望して終わってたの。今日っていうどうでもいい日は」


「僕は関係ないって。それじゃ」


「ちが──」



 もう良いだろう。

 この子はあまりにも普通じゃない。

 これ以上会話を続けていたら、僕も普通でいられなくなりそうだ。


 しかし……何だっけ?

 『普通人間』?


 普通の人間ってこと? 

 よく分からないけど、結構じゃないか。

 それが僕の目指すべきところだ。


 一体どうしてそこまで『特別』に拘るんだろう。

 まったく……理解に困るよ。


 ……あ。

 名前……聞き忘れたな……。

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