第2話
「え、食べるわけないじゃん。何言ってるの?」
自由研究集中期間、二日目。
証拠隠滅計画を話したらユウトにガチめのテンションで怒られた。
まだ一晩しか経っていないが、ユウトはすでにウナギに愛着を持ち始めているらしい。
「でも、ママにはまだ言ってないんだぞ。バレたらどうする」
「説得する。ママだってウナギ好きだもん、分かってくれるよ」
「そりゃ食べる方のウナギだったら日本全国で嫌いな人を見つける方が難しいだろうけどさ……」
うーん。説得なんてできるだろうか。
水槽の掃除をまめにしなきゃいけないのを知ったら、ミサキ嫌がりそうだしな……。
そんなことを考えながら、俺たちが今向かっているのは
ウナギの生態や育成方法について詳しく知るために、見学させてもらうことにしたのだ。前日の申し込みだったのでダメ元だったが、小学生の自由研究のためということで快く引き受けてもらった。ありがたい。
養鰻場は畑や田んぼの並ぶ町外れにあった。カーナビが示した場所にはビニールハウスが六つほどあるだけで、一瞬場所を間違えたのかと思ったが……スタッフに案内されてビニールハウスの中に入ると、そこには巨大なプールが設置されていて、むわっとした湿気と魚臭さが出迎えた。
「おおおっ」
興奮したユウトはプールのそばに駆け寄っていく。黒々とたくさんのウナギたちが中で蠢いていた。
「すごい数ですね。何匹いるんですか」
「ざっと二万尾くらいですかね。多かった時は五万尾とか育ててた時もあったんですがね」
室内はごうごうと機械の音がうるさく、大声で会話しないとなかなか相手に声が届かない。
「そんなに減ったのはあれですか、やっぱり温暖化とか、環境の変化のせいなんですかね」
「ええ。十年ほど前にウナギが絶滅危惧種に指定されてからは、稚魚を採って良い量が制限されるようになりましたから。値段も上がるし、なかなか厳しいですよ」
ウナギのプールを見学しながら、俺たちはウナギの育て方について色々質問してみた。養鰻場ではどんなエサを与えているか、水質はどのように管理しているのか、そして美味しいウナギはどう見分けるのか。ユウトは事前に準備してきた質問の他にも気になることがあったようで、ひたすらスタッフの人を質問攻めにした。見学時間の三十分はとうに過ぎていたので、止めに入ったくらいである。
「最後に一つ聞きたいんですが、ウナギを自宅で産卵させるのに必要なのってなんだと思います?」
するとスタッフはぱちくりと瞬きをした。
「あ、ええと、ご自宅でウナギを……?」
「そうです。観賞用のを飼いまして、繁殖までを自由研究のレポートに書こうと思ってるんです」
「ちなみに、その子は今大きさいくつくらいなんでしょうか?」
「十五センチくらいですね」
そう答えると、スタッフは気まずそうに頬を掻きながら言った。
「あの、大変言いづらいのですが、繁殖は難しいかと思います……」
「でも、オスとメス二匹いるんですよ」
「ペットショップの店員がそう言いました? ……だとしたら、それは嘘ですね」
「えっ」
そんなバカな。ユウトと思わず顔を見合わせる。
スタッフは何も非はないのに、俺たちに対して申し訳なさそうに丁寧に説明してくれた。
ウナギは成熟して繁殖期を迎えるまでは雌雄同体なんです。
成熟するのは三十五センチ以上が目安と言われていること。
そして……そこまで達するのにかかる年数は、五年から十年とされているらしい。
本当は養鰻場見学後に隣接した食堂でウナギを食べて帰るつもりだったのだが、俺もユウトもとてもそんな気にはなれず、コンビニで適当に買って車の中で昼食を済ませた。
行きよりも重いアクセル。
よりにもよって渋滞にハマり、家に着いたのはすでに十六時過ぎだった。夏休みは残り一日と半分もない。
「しょうがない。さらに嘘を重ねよう」
ユウトの部屋で、半分埋まったところで止まっているレポート用紙を眺めながら、俺は決意した。
あれからネットでも可能な限り調べてみたが、スタッフの言っていたことは本当だった。
おまけに、たぶん気を遣って言わなかったんだと思うが、ウナギが産卵する場所は日本列島から遠く離れたグアム島付近の海で、しかも水深二百メートルより深い深海域だと言われている。
そのうえ……国内では今のところ人工授精でしか養殖場での産卵が成功していない。大人のウナギをホルモン投与によってオスとメスに分け、そこから卵と精子を取り出し人工的に受精させるのだ。
つまり自宅のこんな小さい淡水の水槽で繁殖させるのはまずもって不可能なのである。
そうなったらもう、嘘をつくしかない。
「いいかユウト。このウナギは五年前から飼ってたことにするんだ。で、生き物ってのは何事も例外があるからたまたま家庭で成熟して雌雄に分かれた、だからその過程を思い起こしてみて新たな発見に繋げるっていうていで行こう」
「でもぼくの友達、うちでペット飼ったことないの知ってるよ。ばれちゃうよ」
「そしたら親戚の親戚がたまたま釣り上げて、譲り受けたことにしよう」
「養鰻場の人が言ってたよ、許可のない人が勝手にウナギを採ったらだめなんだって」
「大丈夫。小学生の自由研究でそこまで裏取りしないだろ。何かツッコまれても、そのウナギはもう死んでしまいましたってごまかせば良いわけだし」
ユウトの視線がだんだん冷めていく。
自分だって分かっている。こんなのもう、無理筋だって。
「どうしてパパは、そこまでして嘘をつこうとするの」
渋々レポートを書き出していた手を止め、ユウトがこちらを見上げてくる。
子どもの曇りないガラス玉のような瞳に見つめられると、胸がギュッと締めつけられるような思いがした。
「どうしてって、そりゃあ……結果がほしいからだよ」
少し、昔話に立ち返ろうと思う。
俺とミサキの出会いは職場である。
新卒の同期で、営業職に配属されて、負けず嫌いだった俺たちは互いに営業成績を競い合うライバルだった。
彼女はなかなか手強くて、いつも俺とは違うアプローチで着実に契約を取ってくる。
そんなところに最初は嫉妬して、憧れて……いつの間にか惹かれて。
そしてそれは、彼女の方も同じだった。
ある時、俺たちはライバルじゃなく、一緒にチームを組んで大阪の大手企業に飛び込み営業をかけることになった。色々苦労も紆余曲折もあったけれど、二人で協力してなんとか契約を勝ち取って、それで感極まって打ち上げで想いを打ち明けた……それが、恋人になるきっかけであった。
それからはとんとん拍子に進んだけれど、一つ問題があった。
我が社は社内結婚をすると片方が別部署に飛ばされるのだ。
どちらが異動するのか、さんざん話し合った。
俺は今の職場以上に自分に合うところが見つけられないような気がして怖かった。だから、ミサキと約束したんだ。
彼女の分も結果を出す。だから、代わりに異動してほしいと……。
そうしてミサキは結婚後経理部に異動したのだが、あまり肌が合わなかったらしい。ゆくゆくの育児のしやすさも考えて、家から近い別の会社に転職することになったのである。
それから約十年。
俺は彼女との約束を守るために必死にやってきた。
だけど、年月というものは残酷で。
「……ユウト。七月の連休前に、パパが出張に行ってたのを覚えてるか」
「うん。毎年大阪に行くやつだよね。ケイヤク更新、だっけ?」
「そう。あれな……実はパパ、今回から担当外されたんだ」
ここ数年の俺の営業成績は右肩下がり。
歳を取って昔ほどの無茶が効かなくなり、取引先の代替わりもあって話が上手く合わないことも増えて。
長年ずっと窓口をやらせてもらっていた相手さえ、後輩に引き継ぐことになってしまった。
「でもママとの約束があったから、言えなくて。出張行ってるふりして都内のビジホでヤケ酒してた。……それが、パパのつまらない現実なんだ」
ユウトはただぎゅっと唇を結んで俺を見てきた。
思わず、目を逸らす。
真摯で曇りのないその目を見ていたら、涙が出そうだった。
「がっかりするだろ。家族にはそんな思いさせたくないんだよ。だから嘘をつく。『嘘から出たまこと』って言葉があるように、それが真実になるまでごまかし続けるんだ。結果さえ出ればみんな幸せになれる。……な、ユウトだってさ、この自由研究が上手くいって『クラッチ2』が手に入ったらうれしいだろ?」
「そうだけど……」
ユウトはしばらく押し黙っていた。
そしてそのまま勉強机に向かった。
自由研究の続きをやることにしたのかと思えば、引き出しから一冊のノートを取り出した。絵日記のようである。
「僕、嘘をつかないパパも好きだよ」
そう言って開いたページは、お盆の時期に行った旅行のことが書かれていた。
もともとは三人で行く予定だったが、ユウトの夏風邪の看病で疲弊したミサキを休ませるために父子二人で行くことになった家族旅行。
普段はホテルやら観光スポットやらレストランやら全部ミサキが調べてくれていたが、この時は彼女にお任せできないことをすっかり忘れていた。前日に準備して間に合わせようと思っていたのに寝落ちしてしまい、結局何も決まっていないままブラブラする車中泊になったのだった。
「あれは、なかなか酷い旅行だっただろ」
「でも、楽しかった。あっちこっち迷ったり、思いつくままご飯食べたり、狭い車の中で寝るのだって、初めてで面白かったよ」
ユウトの絵日記には、確かにその日の出来事がページいっぱい綴られていて。
焦った表情で運転する俺の後ろで、ユウトがニコニコ笑っている絵が、なんとも眩しくて、
目頭が、熱くなった。
その晩、ミサキはユウトが寝静まった頃に帰ってきた。
最近彼女はジムに通うようになって、遅くまで運動しているらしい。
「ご飯、まだ残ってる?」
「ああうん、一応あるけど」
冷蔵庫にしまっていたおかずを取り出すと、ミサキはぱくぱくと勢いよく食べ出した。そんなに腹が減っているなんて、いったいどれだけ激しい運動しているんだ。
「あのさ、ミサキ」
食事中の彼女は普段より警戒心が薄い。
だから、今ならいけるかもしれないと思った。
彼女についた嘘について、謝るんだ。
そう決意して、彼女の向かいに座った、その時。
食卓の上に置かれたスマホの画面がつい目に入った。
SNSの投稿画面。打ち途中の文字。
「まだ足りない。もっと深く、あの人とシンクロしたい」
ミサキはハッとしたように、慌ててスマホを裏返した。
「ごめん、今何か言った?」
「ううん」
まるで怯えて隠れ家に引っ込んだウナギのように。
俺のなけなしの勇気は……その晩二度と顔を出すことはなかった。
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