第5話 初めての夜 ― 禁断の抱擁
罪と欲望が重なり、初めての夜が訪れる。
キスを交わしたあの夜から、私はまともに眠れていない。
枕に頬を押しつけるたび、唇の内側がひりりと疼く。
目を閉じれば、睫毛の影、短い息、背に回る腕――すべてが輪郭くっきりで戻ってくる。
──忘れようとしても、無理だった。
朝。
湯気の細い柱。卵焼きと焼き鮭。
向かいの真紀さんは、箸を持ったまま俯き気味に言った。
「……昨日のことは、忘れましょう」
静かな声。
けれど瞳の奥で、小さな揺れが途切れない。
「……無理です」
自分の声が震え、私はそれ以上言えなくなった。
湯気の向こうで、彼女の指がわずかに強張っていた。
◇
数日たっても、胸のざわめきは消えない。
教室の風は季節の匂いを運ぶのに、黒板の文字は模様にしか見えない。
昼休み。
「ちゃんと寝てる?」と美帆。
「うん、大丈夫」
言いながら、手の汗が冷える。
スマホを開いては、〈今日は早く帰りますか?〉を打って消す。
〈先日の夜のこと、話したいです〉を打って、また消す。
画面は白いまま。
熱は、指先だけに残った。
◇
放課後。
風が袖口を冷やす。
歩幅を大きくして家へ向かう。
──今夜は、父がいない。
鍵を回す。
柔軟剤と出汁の残り香。
「おかえり、沙羅」
その声だけで、胸の灯りが一段明るくなる。
私は「ただいま」と返し、台所へ。
◇
夕食の支度は、自然に二人の仕事になる。
私が葱を刻み、彼女が火を整える。
とん、とん、とん。
刃の音が呼吸の速度を決める。
「包丁、少し寝かせるといいよ」
背後から腕が伸び、指が私の指を包む。
肩口に落ちる吐息。喉がきゅっと縮む。
「……こう?」
「うん、上手」
短い言葉なのに、褒められた場所が熱くなる。
◇
夜十時。
父からの連絡はない。
雨音。テレビの光だけが壁に揺れる。
私はクッションを抱え、横顔を盗み見る。
真紀さんは雑誌を開いているが、ページは動かない。
「沙羅」
名前を呼ばれるだけで、胸の灯りが大きく膨らむ。
「私ね、これ以上はだめだって、何度も言い聞かせてるの」
「……」
「母親でいるために。でも、あなたといると……全部が揺れるの」
膝のクッションが滑り落ちた。
そっと彼女の指先に触れる。
ひやり。すぐに私の熱を吸って柔らかくなる。
「止めたくない。もう、止められない」
次の瞬間、強く抱き寄せられた。
背中に回る腕。胸に埋まる頬。
鼓動が同じ速さで重なっていく。
「……好きよ、沙羅」
耳元でほどけた言葉に、涙が滲む。
私はその温度に応えるように、腕を回した。
唇が触れる。
離れて、また触れる。
二度目は、長く、深く。
呼吸を分け合うたび、世界の明かりが一段ずつ暗くなる。
彼女の温度だけが、はっきり残った。
「もっと……」
自分の声が掠れる。
彼女は答えず、もう一度、長く口づけてきた。
指が頬をなで、髪を梳き、肩を辿って背へ。
私はただ呼吸を合わせる。
──そのとき。
階段のあたりで、小さく軋む音。
二人で息を止め、耳を澄ます。
……何もない。
けれど、父が帰るかもしれない現実が、体を強張らせた。
欲望と罪悪感が、同じ速さで膨らんでいく。
それでも、離れたくなかった。
◇
「今日は……ここで止めよう」
荒い息の合間の囁き。
私は頷き、額をそっと合わせた。
触れるだけで、また近づきたくなる。
「私たち、もう戻れないね」
「戻りたくありません」
「……ずるい子」
「ずるい大人」
笑った。けれど、声は震えていた。
もう、さっきまでの沈黙とは違う温度がある。
──私たちはもう、引き返せない。
────────────────────
【あとがき】
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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【共通タグ】
禁断/背徳/百合/依存/秘密/官能ロマンス
【話別タグ】
初めての夜/触れ合う心と体/止められない欲望
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