第5話 初めての夜 ― 禁断の抱擁

罪と欲望が重なり、初めての夜が訪れる。

キスを交わしたあの夜から、私はまともに眠れていない。

枕に頬を押しつけるたび、唇の内側がひりりと疼く。

目を閉じれば、睫毛の影、短い息、背に回る腕――すべてが輪郭くっきりで戻ってくる。

──忘れようとしても、無理だった。

朝。

湯気の細い柱。卵焼きと焼き鮭。

向かいの真紀さんは、箸を持ったまま俯き気味に言った。

「……昨日のことは、忘れましょう」

静かな声。

けれど瞳の奥で、小さな揺れが途切れない。

「……無理です」

自分の声が震え、私はそれ以上言えなくなった。

湯気の向こうで、彼女の指がわずかに強張っていた。

数日たっても、胸のざわめきは消えない。

教室の風は季節の匂いを運ぶのに、黒板の文字は模様にしか見えない。

昼休み。

「ちゃんと寝てる?」と美帆。

「うん、大丈夫」

言いながら、手の汗が冷える。

スマホを開いては、〈今日は早く帰りますか?〉を打って消す。

〈先日の夜のこと、話したいです〉を打って、また消す。

画面は白いまま。

熱は、指先だけに残った。

放課後。

風が袖口を冷やす。

歩幅を大きくして家へ向かう。

──今夜は、父がいない。

鍵を回す。

柔軟剤と出汁の残り香。

「おかえり、沙羅」

その声だけで、胸の灯りが一段明るくなる。

私は「ただいま」と返し、台所へ。

夕食の支度は、自然に二人の仕事になる。

私が葱を刻み、彼女が火を整える。

とん、とん、とん。

刃の音が呼吸の速度を決める。

「包丁、少し寝かせるといいよ」

背後から腕が伸び、指が私の指を包む。

肩口に落ちる吐息。喉がきゅっと縮む。

「……こう?」

「うん、上手」

短い言葉なのに、褒められた場所が熱くなる。

夜十時。

父からの連絡はない。

雨音。テレビの光だけが壁に揺れる。

私はクッションを抱え、横顔を盗み見る。

真紀さんは雑誌を開いているが、ページは動かない。

「沙羅」

名前を呼ばれるだけで、胸の灯りが大きく膨らむ。

「私ね、これ以上はだめだって、何度も言い聞かせてるの」

「……」

「母親でいるために。でも、あなたといると……全部が揺れるの」

膝のクッションが滑り落ちた。

そっと彼女の指先に触れる。

ひやり。すぐに私の熱を吸って柔らかくなる。

「止めたくない。もう、止められない」

次の瞬間、強く抱き寄せられた。

背中に回る腕。胸に埋まる頬。

鼓動が同じ速さで重なっていく。

「……好きよ、沙羅」

耳元でほどけた言葉に、涙が滲む。

私はその温度に応えるように、腕を回した。

唇が触れる。

離れて、また触れる。

二度目は、長く、深く。

呼吸を分け合うたび、世界の明かりが一段ずつ暗くなる。

彼女の温度だけが、はっきり残った。

「もっと……」

自分の声が掠れる。

彼女は答えず、もう一度、長く口づけてきた。

指が頬をなで、髪を梳き、肩を辿って背へ。

私はただ呼吸を合わせる。

──そのとき。

階段のあたりで、小さく軋む音。

二人で息を止め、耳を澄ます。

……何もない。

けれど、父が帰るかもしれない現実が、体を強張らせた。

欲望と罪悪感が、同じ速さで膨らんでいく。

それでも、離れたくなかった。

「今日は……ここで止めよう」

荒い息の合間の囁き。

私は頷き、額をそっと合わせた。

触れるだけで、また近づきたくなる。

「私たち、もう戻れないね」

「戻りたくありません」

「……ずるい子」

「ずるい大人」

笑った。けれど、声は震えていた。

もう、さっきまでの沈黙とは違う温度がある。

──私たちはもう、引き返せない。

────────────────────

【あとがき】

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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【共通タグ】

禁断/背徳/百合/依存/秘密/官能ロマンス


【話別タグ】

初めての夜/触れ合う心と体/止められない欲望


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