第4話 告白と、越えてはいけない扉
告白は禁断の扉を叩き、二人を試す。
あの夜から、少し時間が過ぎた。
触れない口づけの記憶は、まだ胸の奥で熱を放っている。
九月の空はやわらかい雲に覆われ、風は夏より少し冷たい。
私は十八歳になったばかりの秋を、その熱を抱えたまま迎えていた。
「おはよう、沙羅」
ダイニングには味噌汁の湯気。
由紀さんの声は落ち着いているのに、目は私をすべるように通り過ぎた。
「……おはようございます」
いつも通りを守れば、戻れるのだろうか。
そう思いながら口にした味噌汁は、やさしい出汁なのに薄く感じられた。
◇
学校では、笑い声が遠い。
黒板の文字は並んでいるのに、頭の奥ではあの夜の言葉が繰り返される。
──寂しくない?
──守ろうとするほど、近づきすぎてしまう。
昼休み、スマホを開く。
「お昼食べましたか?」と打って消す。
「先日の夜のこと、話したいです」と打って消す。
白い画面だけが残る。
消せないのは、送らなかった言葉の方だった。
◇
放課後。
玄関の前で一瞬立ち止まる。
扉を開けたら、世界が変わっているかもしれない――そう思った。
「おかえり、沙羅」
リビングから声。
由紀さんは雑誌を膝にのせていたが、目は文字を追っていなかった。
「今日、寒くなかった?」
「少しだけ。でも歩いていたら温まりました」
言葉は短く消え、沈黙が部屋を覆った。
◇
夕食の支度。
「手伝います」
震えないように声を整える。
葱を刻む私の手に、背後から彼女の息。
首筋をかすめる温度に、息が止まった。
「上手になったね」
「教えてもらったから」
「……ううん。沙羅が覚えようとしたから」
胸の奥をつままれたように痛くて、嬉しかった。
◇
父は「遅くなる」とだけ連絡を寄こした。
二人きりで片付けを済ませ、リビングに戻る。
「沙羅」
名前を呼ばれるだけで、決意が形になる。
「私、あなたが好きなんです」
由紀さんの瞳がわずかに揺れる。
驚きではなく、受け止めるときの波紋のように。
「……沙羅」
「母でも娘でもない、その外側にいる由紀さんが好きなんです」
「だめだよ」
否定は固い。
けれど、その芯は震えていた。
「私は母親。あなたは娘。守る線がある」
「線を見ているだけじゃ、気持ちは消えません」
沈黙。時計の針が一度だけ音を立てる。
「……私もね」
由紀さんの声は小さく揺れた。
「あなたといると救われる。母親としても、一人の女としても」
「怖いのは、私も同じです」
「でも逃げたくない」
私は正面に座り直し、彼女と膝を触れ合わせた。
「お願いです。嫌いにならないで」
「嫌いになんて、ならない。けれど……これ以上は」
曖昧な「これ以上」が、かえって熱を募らせる。
◇
私は手を伸ばし、彼女の手の甲に指を置いた。
由紀さんは強く握り返してきた。
視線が絡む。
「今夜だけは、逃げない」
「……はい」
近づく。
唇が触れる。
最初の口づけは短く、波紋が広がった。
二度目は長く、背中に回る腕の力が増す。
「……沙羅」
呼ばれるたび、心がほどけていく。
「ここまで」
由紀さんが唇を離した。
額と額が触れ、呼吸だけが混ざった。
「線を忘れたくない」
「忘れません」
「本当に?」
「……はい」
離れたくなくて、私は肩に頬を寄せた。
二つの鼓動が重なったり外れたり。
それが今夜だけの音楽になった。
◇
廊下の明かりは小さい。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
三歩目で振り返ると、彼女も振り返っていた。
小さく手を振り、笑う。
それが今夜の救いになった。
部屋に戻り、扉を閉める。
──私は戻らない。
戻りたくない。けれど戻らなければならない夜があることも、今は知っている。
だから今夜の「ここまで」は、二人の意志で選んだ線。
細い線でも、二人で持てば強くなる。
布団に潜り、暗闇の中で思い出す。
「沙羅」
前より少し深く呼ばれた名前。
その違いに、小さく笑った。
明日、私たちはまた日常を演じるだろう。
味噌汁の匂い、卵焼きの甘さ、洗濯物の柔らかさ。
その全ての上に、今夜の約束が透明な膜のように重なっている。
……そして、いつか。
その膜の向こうに、新しい線が現れるなら。
恐れではなく、願いと呼べる形であってほしい。
秋が深くなる音が、遠くでかすかにした。
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【あとがき】
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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【共通タグ】
禁断/背徳/百合/依存/秘密/官能ロマンス
【話別タグ】
禁断の告白/揺れる理性/越えてはいけない扉
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