第4話 告白と、越えてはいけない扉

告白は禁断の扉を叩き、二人を試す。

あの夜から、少し時間が過ぎた。

触れない口づけの記憶は、まだ胸の奥で熱を放っている。

九月の空はやわらかい雲に覆われ、風は夏より少し冷たい。

私は十八歳になったばかりの秋を、その熱を抱えたまま迎えていた。

「おはよう、沙羅」

ダイニングには味噌汁の湯気。

由紀さんの声は落ち着いているのに、目は私をすべるように通り過ぎた。

「……おはようございます」

いつも通りを守れば、戻れるのだろうか。

そう思いながら口にした味噌汁は、やさしい出汁なのに薄く感じられた。

学校では、笑い声が遠い。

黒板の文字は並んでいるのに、頭の奥ではあの夜の言葉が繰り返される。

──寂しくない?

──守ろうとするほど、近づきすぎてしまう。

昼休み、スマホを開く。

「お昼食べましたか?」と打って消す。

「先日の夜のこと、話したいです」と打って消す。

白い画面だけが残る。

消せないのは、送らなかった言葉の方だった。

放課後。

玄関の前で一瞬立ち止まる。

扉を開けたら、世界が変わっているかもしれない――そう思った。

「おかえり、沙羅」

リビングから声。

由紀さんは雑誌を膝にのせていたが、目は文字を追っていなかった。

「今日、寒くなかった?」

「少しだけ。でも歩いていたら温まりました」

言葉は短く消え、沈黙が部屋を覆った。

夕食の支度。

「手伝います」

震えないように声を整える。

葱を刻む私の手に、背後から彼女の息。

首筋をかすめる温度に、息が止まった。

「上手になったね」

「教えてもらったから」

「……ううん。沙羅が覚えようとしたから」

胸の奥をつままれたように痛くて、嬉しかった。

父は「遅くなる」とだけ連絡を寄こした。

二人きりで片付けを済ませ、リビングに戻る。

「沙羅」

名前を呼ばれるだけで、決意が形になる。

「私、あなたが好きなんです」

由紀さんの瞳がわずかに揺れる。

驚きではなく、受け止めるときの波紋のように。

「……沙羅」

「母でも娘でもない、その外側にいる由紀さんが好きなんです」

「だめだよ」

否定は固い。

けれど、その芯は震えていた。

「私は母親。あなたは娘。守る線がある」

「線を見ているだけじゃ、気持ちは消えません」

沈黙。時計の針が一度だけ音を立てる。

「……私もね」

由紀さんの声は小さく揺れた。

「あなたといると救われる。母親としても、一人の女としても」

「怖いのは、私も同じです」

「でも逃げたくない」

私は正面に座り直し、彼女と膝を触れ合わせた。

「お願いです。嫌いにならないで」

「嫌いになんて、ならない。けれど……これ以上は」

曖昧な「これ以上」が、かえって熱を募らせる。

私は手を伸ばし、彼女の手の甲に指を置いた。

由紀さんは強く握り返してきた。

視線が絡む。

「今夜だけは、逃げない」

「……はい」

近づく。

唇が触れる。

最初の口づけは短く、波紋が広がった。

二度目は長く、背中に回る腕の力が増す。

「……沙羅」

呼ばれるたび、心がほどけていく。

「ここまで」

由紀さんが唇を離した。

額と額が触れ、呼吸だけが混ざった。

「線を忘れたくない」

「忘れません」

「本当に?」

「……はい」

離れたくなくて、私は肩に頬を寄せた。

二つの鼓動が重なったり外れたり。

それが今夜だけの音楽になった。

廊下の明かりは小さい。

「おやすみ」

「おやすみなさい」

三歩目で振り返ると、彼女も振り返っていた。

小さく手を振り、笑う。

それが今夜の救いになった。

部屋に戻り、扉を閉める。

──私は戻らない。

戻りたくない。けれど戻らなければならない夜があることも、今は知っている。

だから今夜の「ここまで」は、二人の意志で選んだ線。

細い線でも、二人で持てば強くなる。

布団に潜り、暗闇の中で思い出す。

「沙羅」

前より少し深く呼ばれた名前。

その違いに、小さく笑った。

明日、私たちはまた日常を演じるだろう。

味噌汁の匂い、卵焼きの甘さ、洗濯物の柔らかさ。

その全ての上に、今夜の約束が透明な膜のように重なっている。

……そして、いつか。

その膜の向こうに、新しい線が現れるなら。

恐れではなく、願いと呼べる形であってほしい。

秋が深くなる音が、遠くでかすかにした。

────────────────────

【あとがき】

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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【共通タグ】

禁断/背徳/百合/依存/秘密/官能ロマンス


【話別タグ】

禁断の告白/揺れる理性/越えてはいけない扉

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