バナナの皮は本当に滑るのか
《男子高校生、くだらない戦争》シリーズ/第2話
バナナの皮は本当に滑るのか
昼休み、俺たちは摩擦に喧嘩を売った。
理由は後回し。まずはバナナだ。
ルールは三つ――安全第一/校内では走るな(建前)/教師を巻き込むな。
《準備》
購買で入手したバナナ三本。青め、普通、黒点まみれ(通称:完熟キング)。
場所は廊下のリノリウム、昇降口の石タイル、体育館フロア。
三角コーンは工作室から勝手に拝借。モップと雑巾も手配。体制は異様に万全。
《予備実験①:青め》
皮を内側が上にくるように置く。片足で静かに乗る。
「……滑らん」
理系っぽいやつが小声で始める。「果皮内側の多糖類が――」
「声が難しい」
「要するに、水分が足りない」
青い皮はプラスチックと変わらない。足の方が勝った。まだ助走だ。
《予備実験②:普通の熟れ》
昼の太陽で少し柔らかい。踏む角度を五度ずつ変える。十度、二十度、三十度。
「お、今、ちょっと行った!」
足裏がわずかにすべる。人差し指一本ぶん。
「速度が足りない」運動部はすぐ暴論に着地する。
「走るな(建前)」「小走り(実務)」
皮は薄く潰れて、透明な何かが光る。湿った科学。
《本実験:床材別》
〈昇降口・石タイル〉砂粒が噛んで、滑りそうで滑らない。靴底がガリっと鳴る。
〈廊下・リノリウム〉皮の位置を微調整。つま先から斜めに、体重は六割。
ズッ……! 「うおっ!」
動いた。半歩、いや三分の二歩。膝が笑う。心臓が笑う。
「記録員!」「半歩!」軍事っぽい役職は勝手に生える。楽しい。
〈体育館・フロア〉キュッと鳴る靴底。ワックスの匂い。ここが一番危ない。だから一番やりたい。
三角コーンで即席レーン。見た目だけ完全に大会。
皮の上へ、つま先を添える。
「いくぞ。速度は控えめ、角度二十五」
トン。ピタ。……静止。
体育館は正義が強い。安全の神が笑っている。
「靴下は?」「危険すぎる」正論が珍しく勝つ。
《事故寸前》
それでも、もう一度だけ挑む。完熟キングを廊下で。
つま先をさらに浅く、角度十五、速度ほんの少しだけ上げる。
ズザァ。身体が前へ流れる。肩が落ちる。
「やべ!」誰かが腕をつかんで引き戻す。壁が一枚分だけ遠ざかる。
呼吸がそろって、笑いが爆発する。
「報告! 完熟キング、潰れると本気出す!」
「作戦続行!」
記号が定着していく音がする。
《教師乱入》
「お前らは何の授業をしている」
落ちてきた声は渇いていて、しかし怒鳴ってはいない。
「物理と保健」「あと清掃」
モップを掲げると、教師はため息をひとつだけ落とした。
「……せめて先に清掃をしろ」
怒られたのか、許されたのか、よくわからない。たぶん両方。世界は案外、こちら側だ。
《撤収》
床はすぐに元通り。バナナの匂いだけが少し残る。
コーンを片付け、皮は一本ずつ新聞紙に包む。ゴミ箱の口がやけに遠い。
「入ると思う?」「角度三十、回転ちょい右」
ひと投げ。スッと吸い込まれる。なぜか拍手。昼休みの歓声は、いつだって安い。
《結論(雑)》
滑るのかと問われたら、滑ることもある。
でも一番滑ったのは、たぶん俺たちの理性。
それでこそ、昼休みは輝く。
チャイムが鳴る。理科室の薬品の匂い、体育館の号令、廊下の足音。世界はまた授業に戻る。
二秒だけ立ち止まって、同じ方向を見て、にやっと笑って、それぞれの教室へ散っていく。
科学は尊い。が、尊さに一番足を取られたのは俺たちだった。
世界は広い。けど、昼休みの床一枚ぶんでも真剣なら、ちゃんと面白い。
――くだらないのに、あのバナナの匂いを思い出すと笑ってしまう。
青春って、きっとそういう無駄の積み重ねなんだ。
――了
【次回】スイカの種、最長飛距離チャレンジ――風速と口笛と、夏休み前の約束。
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