石ころを駅まで蹴って帰った俺たちの三十分戦争
御恵璃緒
石ころを駅まで蹴って帰った俺たちの三十分戦争 🎉
《男子高校生、くだらない戦争》シリーズ/第1話
石ころを駅まで蹴って帰った俺たちの三十分戦争
チャイムが鳴った瞬間、俺たちは石に人生を賭けた。
理由は後回し。まずは石だ。
ルールは三つ――手で触るな/責めるな/命>石>プライド。
放課後の空気は、揚げ物のにおいと部活の号令でできている。校門を出たところで、誰かが言った。
「この石、駅まで蹴って帰ろうぜ」
ひと蹴り目。コツン。石は淡い砂埃を連れて前へ。
「ナイスパス!」前に走ったやつがさらにコツン。意味不明な一体感で列ができる。チーム名を欲しがって全員黙る、までが一連の儀式。
《難所① 横断歩道》
信号は青の点滅。「いける、今!」石はタイミングを読まない。斜めに転がって車道へ。
「ストップ! 生きろ俺たち!」
勇者が片足でバランスを取りながらつま先で引き戻す。クラクションが短く鳴り、ドライバーがあきれ笑い。渡り切った瞬間、自然発生する拍手。バカの秩序。
《難所② コンビニ前の傾斜》
石は坂が好きだ。勝手にスピードがつき、縁石で跳ねて植え込みへ。
「見失った!」
ジャージのまま突っ込むやつ、枝をどけるやつ、土の匂い、笑い声。
「いた!」葉っぱ一本ささった頭で報告する顔に、笑いが一段深くなる。
「名前つけようぜ」「……マサオ」即決。理由はない。言えば分かる類いの正しさ。
《難所③ 自販機の下》
弱めのひと蹴りが銀色の腹へ吸い込まれる。「終わった」膝に手を当てる終戦顔。暗闇の奥でマサオが小さく光る。
「靴、貸せ」勇者がローファーを差し込み、がり、がりり、がつ。
「出た!」
「報告! マサオ生還。作戦続行!」
歓声。通りすがりの小学生が拍手に混じる。犬が吠える。マサオは平然と転がっている。
開始十五分。誰も時計を見てないのに全員なんとなく把握している。三十分で駅に届けば勝ち。勝ちって何だ。知らん。だが勝つ。
《難所④ 公園の砂地》
砂はマサオを飲み込む。蹴りのエネルギーが吸われる。
「重い! 急に重い!」
文系が摩擦係数をささやき、理系が反射で否定する。運動部は聞いてない。足首でやさしく、しかし確実に。地味な作業は笑いが減って息が合う。新聞の向こうでベンチの老人が口角を上げる。世界は案外、こちら側だ。
《難所⑤ 雨どいのグレーチング》
格子はマサオの幅より少し広い。黙る一同。無風。蝉の声。
「……いく」軽い足さばきのやつが斜め上から撫でるようにトン。
すれすれを通って、セーフ。
空気が爆発。背中を叩く音、笑い声、謎の「オーイェー!」むせるやつ。大丈夫、生きてる。
駅が視界に入る。人の流れが濃くなる。女子高生は器用に避け、サラリーマンは眉をひそめつつよけ、子どもは目を輝かせてついてくる。ここからが本当の戦場だ。
「前、ベビーカー!」「右、スーツ!」「後ろ、チャリ!」指示は意味があるようで、ほぼない。だが言わずにいられない。
最後の横断歩道。信号は赤。赤の上でマサオが静かに待つ。呼吸が整い、汗が首筋をたどる。誰かが笑う。
「なあ、これ、何なんだろうな」
応えは要らない。青になる。「行くぞ」
ラストスパート。人の波を縫い、縁石で跳ね、靴の甲でコントロール。横から小さな子が「がんばれ!」って言う。俺たちは急に大人になって、笑顔でうなずく。
駅前ロータリー、噴水の縁、回転ドアの手前――ゴールは黄色い点字ブロックの先端、三番目の点の真上。今決めた。全員が当然のように理解した。
最後のひと蹴りは、誰でもよかった。控えめなつま先がマサオを押す。小さく一回転。カチとおさまる。
世界の音が戻る。到着メロディ、バスのブレーキ、スーツの擦れる音。輪になる俺たち。何も言えず、ただ笑う。喉の奥が熱い。くだらなすぎて、泣きそうだ。
「終戦だな」
誰かがつぶやく。拍手が起きる。知らない人の手が混じる。「写真撮ってもらえますか?」と言われ、困って笑う。いや無理。手で触るなのルールはまだ効いてる。
解散。電車、バス、自転車。ふと振り返ると、マサオは喧騒の真ん中で石の顔をしている。誰かが蹴ればまた旅が始まるかもしれない。今日はいい。今日はもう、充分だ。
翌朝。同じ場所にマサオはいない。掃除の人が押しやったのか、別の誰かが旅に連れ出したのか。空白だけが残っていて、俺たちは同時に見て、同時に笑う。
「昨日の、さ」
「うん」
「くだらなかったな」
「最高だったな」
たぶん明日になったら宿題も忘れるけど、マサオの重さだけは忘れない。
世界は広い。けど、石ころ一個ぶんの広さでも全力で走れば、ちゃんと汗をかける。
そういうのを、勝手に誇りって呼ぶことにした。
――了
【次回】バナナの皮は本当に滑るのか――科学と根性の共同実験。
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