第3話

 昨晩は比較的簡単な任務だったが、負の感情を多く吸い込んでしまった。能力は制御できない。周囲にいる者の心を全て、感じてしまう。ハルオはそんな自分を心配して、先に帰れと言ってくれた。ハルオは今回ほとんど怪我をしていないから、言葉に甘え、先に帰還してすぐに寝てしまった。

 起きる頃には帰ってきてるだろう。そう信じ切っていた。しかし、目が覚めたとき、二人で使用している自室にはハルオはおらず、帰ってきた痕跡もなかった。

 嫌な予感がナメクジの様に背中を這った。ハルオを探すため、アキトは部屋を飛び出した。


 ハルオは確か、コンビニに寄ると言っていた。まずは、拠点から近いコンビニに向かう。ハルオの心の僅かな痕跡も見逃さないように、神経を研ぎ澄ませる。街に溢れる人の心に溺れそうになるのを、その吐き気を必死に抑えて走る。

 コンビニに着いたが、ハルオはいなかった。その後も、街中を探し回るが、ハルオの痕跡すら見つからない。まるで、ハルオの存在ごとごっそり無くなってしまった様だった。



 任務の合間を縫って、ハルオを探し続けた。ここ何日か、寝る間も惜しんで、ハルオの強く無邪気で暖かい心の形を追い求めていた。

 その日も見つからないまま、仕事用の携帯が鳴る。付近の工場に怪物が侵入し暴れているという通報だった。急いで現場に向かった。


 現場は小さな工場が集まる地区の端。建物は所々崩れ、逃げ惑う人々の恐怖の感情で埋め尽くされていた。

 工場の奥に怪物はいた。床には何十もの人間の破片と血が広がり、壁は爪で抉られたように裂けている。その怪物は黒く醜い肉塊に覆われ、突出した骨は翼とも爪とも見える。かろうじて残った人間部分は、顔の右半分。その顔を見たとき、アキトは息を飲んだ。

「っ、ハルオ!」

 声に反応して、怪物は振り返る。右半分がハルオに酷似した怪物の顔から、荒く不規則な息と唸り声、血混じりの涎が漏れる。目が合った時、怪物の心が、洪水の様に流れ込んできた。

(痛い。痛い。痛い。熱い。痛い。壊れる。もうやだ。熱い。痛い。助けて。)

(----アキト。)

 脳が焼けるような苦痛と絶望の濁流。認めたくない。が、間違うはずがない。目の前にいるのは、怪物は、ハルオだった。


 「くそっ...」

 絶え間なくハルオの苦痛を感じる。内部を何かに蝕まれている。崩れていくハルオの自我が、「殺してくれ」と、「楽にしてくれ」と叫んでいた。

「嫌だよハルオ!お前を殺すなんて...。」

 ハルオは痛みのままに暴れる。その爪を刀で躱す。触れるたびに痛いほど感じる、衝動と理性のせめぎ合いを。アキトを襲う直前、ハルオの動きは鈍くなる。ハルオの自我が、アキトを傷つけることを拒んでいる。

「本当に、それしかないのかよ...。」

 ハルオが抵抗するたびに、自我が壊れていく。もう少しで、ハルオは完全な怪物になってしまう。死を望む声は続いていた。

 迷うアキトに、再び爪が襲う。それがアキトの肌に到達する直前で、動きが止まった。アキトはハルオの顔を見る。怪物の瞳に一瞬だけ、人間の光が見えた。

(お前が、俺を殺してくれ。)

 その言葉を聞いて、アキトは決心した。刀を握り直し、その刃先をハルトの左胸に突き刺した。


 刺した心臓から、刀を伝って、アキトの手のひらに、ハルオの血のぬくもりと体の柔らかさが、生々しく刻み込まれた。ハルオの記憶の断片が走馬灯になって、胸の中に吸い込まれていく。

(ありがとう、アキト。)

 ハルオの命が消えていく。その最期に感じたハルオの気持ちは、安堵だった。

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