第35話 現世からの帰還

眩しさが引いていくと同時に空気が変わった。

独特の機械臭に人工的な白い照明が冷たく照らす部屋。

——転送前にいた部屋だ。


床に膝をつき、ゆっくりと立ち上がる。

周囲には、背広の男と白衣の男。

無表情のまま、こちらを観察するように見下ろしていた。


「現世へのタイムトラベル、お疲れ様でした」

背広の男が形だけの微笑を浮かべる。

「目的のものは無事に手に入ったようですね」

「ああ」


俺は頷き、持ってきた品を差し出した。

小瓶に包んだ瑠璃の遺骨に声が収められたDVD。

そして、高校生の制服。


「音声データと生体サンプルは分かるが、この制服はなんだ?」

「瑠璃がとても気に入っていた……だから持ってきた」

「……筋金入りだな」


白衣の男が苦笑を浮かべながら、小瓶を手に取り光にかざす。

「ふむ。保存状態は良好だ、これなら問題ないだろう」

「音声データはAIに読み込ませて、パターン分析を行います」


「これで十分だろ?」

「ええ。あなたが望む妹さんに再び会う日も近いですよ」


その言葉にわずかに胸が痛んだ。

どこか違う何かを感じつつも、俺はそれを押し殺した。

「もういい、元の場所に戻してくれ」

言葉を吐き捨て、二人に背を向けた。


「承知しました。転送準備に入ります」

背広の男の声が淡々と響き、床面に幾何学的な光紋が走り、静かに広がっていった。


「転送安定時間は十秒。そのまま立っていてください」


光の輪が足元を包み始めたその時——胸元のペンダントがふと熱を帯びた。

タンザナイトの石が淡い青紫の光を放つ。

まるで瑠璃が「大丈夫」と微笑んでくれたように。


「……行ってくるよ」

誰にともなく呟いた言葉が光に溶けていった。


視界が反転し、白が闇に、闇が光に変わる。

次に瞼を開いたとき——

俺は再び、潮風と焚き火の匂いに包まれていた。

異世界の夜明けが、ゆっくりと始まっていた。


***


——研究室にて。

「音声データの抽出はモッピーに任せましょう」

「ああ、それと……必要な同年代の生体サンプルはどうするよ?」

白衣の男が問うと、背広の男は肩をすくめた。


「例の”予備実験”から流用すればいい。バレやしませんよ」

「まったく。お前は相変わらずのゲスさだな」


背広の男は制服を丁寧にハンガーに掛けながら、冷たい笑みを浮かべる。

「彼には、ベースが誰かなんて分かりませんよ。ましてや、老人……とかね」


「……ああ。きっと”大好きな妹”が戻ってきたと信じるだけだろうな」


機械の駆動音が低く響く中、二人の声が静かに消えていった。

誰も、異世界で彼が胸に抱いた”温かな希望”が冷たい実験の歯車の一部に過ぎないとは知らない。

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