第12話 皇帝は笑い、神は嘆く

(三人称)


「どういう事だ?」


 誰も、そう問いかけた彼の顔を見る事が出来なかった。

 旧スーヴィオラとの国境から転移で戻ってきたパーシヴァルは、その騒がしさを目の当たりにし、いつもよりも早くなる心音を大きく聞きながら離宮へ向かった。


 視界に入ったのは、一部が崩れた離宮と、黒く荒れ果てた中庭。そして、そこに布を被せられて並んだ幾人もの遺体。


「これでも、だいぶ犠牲者は減った方なんです」


 怒りに震え、苦悶の表情でパーシヴァルに告げたのは、中性的な顔立ちをした従僕の少年だ。


「続けろ」


 少年は言われた通り、報告する。

 聖者を自称する侵入者によって、離宮の使用人達は悉くが死亡、あるいは重傷にさせられた。

 そして理玖との戦闘が始まり、エルシュカとキアスも駆けつけて優勢になったと思われたが、侵入者の魔術の腕は破格で、エルシュカとキアスが戦闘不能に陥れられた時の事……。


「大規模な加護の放出が始まったのです」


 勇者には、神々から数多の加護が送られる。当然ながら、それ等は本来勇者を生かすためだけに使われるが、勇者の精神状態等が大きく揺さぶられると、効力が勇者自身にでは無く、その外側、つまり周囲の人間達に振り撒かれる事がある。それが『放出』と呼ばれる現象だ。


「流石に、既に死んでいた者はどうしようもありませんでしたが、息のあった者は、全員体が元に戻りました」


 斯く言うこの少年もその1人である。

 パーシヴァルが選ぶ程である。彼もかなりの強者だった。故に侵入者の報告を受けて理玖が起きる少し前に離宮へと駆けつけ政近と戦ったが、返り討ちにされ虫の息になってしまった。

 だが放出によって傷が癒え、立つ事もままならないほど消耗していた体力が戻ったのである。


 服についた血や切られた部位までは戻らない故、今は動けていても衣服に怪我の痕跡が見られる者は、全員そうだ。


「元々、無茶が出来ないお身体でしたが、加護の放出で余計に負荷がかかった勇者様は━━」


 最後まで聞く前に、パーシヴァルは奥に向かった。

 理玖の気配は感じられないが、彼女以外の見知った気配が集まる場所に。






 離宮とは別の来賓棟に、彼等5人は居た。

 1人はベッドに横たわっている。

 3人は暗い面持ちでベッドの少女を見つめ、1人は真剣な面持ちで、ベッドに横たわる彼女に治癒魔法をかけていた。


「何で…………理玖から魔力を感じないんだ?」


 部屋に着いたパーシヴァルの第一声である。

 ベッドに横たわる理玖は眠っていた。

 ━━━━否、死んでいるのと同義の状態だった。


 魔力が殆ど無いものや、ゼロの者だって確かにいる。だが、元々魔力が並より多かったのがゼロになるのは、死んだ時の現象なのだ。


「……魂が無いんだよ。お嬢の身体は、今アスカロンが維持してる。治癒魔法の補助がいるけどな」


 答えたのは、彼女に魔術をかけていた翡翠髪の男━━薬師であり、元パーティの治療や他の補助を担っていたミカエルだった。


「俺とチトセは、最初、怪我人達を安全な場所に移動させてたんだが、いきなり加護の放出があったもんだから、お嬢の方に行ったエルシュカ達が心配になってな……」


 彼が見たのは、黒焦げの庭……では無く外の道。動かない理玖を抱えて身軽に攻撃を避ける侵入者の男こと政近と、放出によって回復したエルシュカ達の交戦だった。


「うちが乱入して、どうにか理玖の体は取り返せてんけど……。魂が……もう抜かれとった」


 そう言ったのは、眼鏡を外して赤髪も下ろした動き易い装いのチトセだ。

 彼女は愛用の車剣で、背後から確かに斬りつけた。それでも政近は笑みを浮かべていて、回収した理玖の体は普通の人間の体温より低く、呼吸をしていないと気付くのに、数秒も要らなかった。


「放出は、半端なく体力が持ってかれるらしいからな……今回は大規模だったし、お嬢は病み上がりだった。……抵抗出来なかったんだろうよ」


 パーシヴァルは小刻みに震える手で、ただシーツの上に落ちているだけの手に触れる。


 暖かくは無い。氷のように冷たくも無いが、明らかに低いそれに、無意識に「相手の事がわかるか?」と、声を出していた。


 答えたのはエルシュカだ。

 聖者を自称する男は、以前エイリスで召喚された者だという事。その男は理玖に執着していた事。

 流石に召喚される寸前の事を語るのは憚られたが、有無を言わさない殺気立ったパーシヴァルに、彼女は諦めざるを得なかった。


 そこではまだ、5


 おかしくなったのは、その後。

 エルシュカが理玖の記憶から知り得た事を全て語り終え、政近の目的を告げた時だ。


「理玖ちゃんから、あの男に関する事以外の記憶を抜くって……それで、自分が用意した体に入れて……」


 その場の全員が、これまで感じた事の無い魔力圧を感じた。


「そうか……ははっ、理玖の記憶を……そうか……朕から……まだ奪い続ける者が居るとはな……」


 笑っている最中、黒い魔力の膜が彼を覆い始めていた。


 何度か見た事のある特殊な彼の鎧だ。漆黒の全身鎧は、勇者パーティ時代に顔を隠す為だけに使われ(※流石に皇帝がパーティに居ると大っぴらに言えない)、禍々しい気は一切絶たれていた。


 だが今は違う。ソレが、桁違いの魔力を

 周囲に拡散し、本来あるべき理を黒く塗り潰す程の神話級の効力を持つ者だと、彼等は理解する。


 ━━何故ソレを、パーシヴァルさんが!?


 エルシュカは己の心臓を抑えて、何とかその場に立っていた。本当は思った事をそのまま聞くつもりでいたが、出て行こうとするパーシヴァルによって、内容は変更される。


「ど……どこへ?」

「旧スーヴィオラ神国だ。お前等が聖者認定しなかったその塵は、彼処で聖者と認められた」


 ソレは、国境へ赴いた際に知り得た情報だった。とうに国として破綻しているのに何をしているのかと、聞いた時は彼も呆れただけだったが、今なら分かる。

 勇者や聖者は、国が認定する事によってその強さを増す。


 勇者を恨んでいる狂信者達の集まりだ。理玖を害する為なら、何だってする。


「でも、他の国に隠れてる可能性も……」

「脳の無い塵に、自分の味方が一人も居ない環境で生きる度胸は無い」


 吐き捨てるようにパーシヴァルは告げ、その場を後にしようとした。


「ヴァル……俺も行く」


 最年少の、少年キアスの声を聞かなければ。


「要らん。邪魔だ」

「足止めが、一人も要らねェって? 数が多いだろ……アンタ1人でも行けるんだろうけど、1秒でも早くってなら……連れてった方が良いぜ? 


 最後の部分の意味を理解出来ない者は、此処には居ない。

 パーシヴァルは小さく、己にしか聞こえないほどの小さな溜め息を吐き、「……国境」と口にした。


「恐らく、朕を足止めする為に国境付近が襲われるだろう。従僕を拾って行く……そこをお前等に任せる」

「は? 何そいつ邪魔」


 キアスは少し黙ってから「じゃあ、いっか」と小さく呟いた。


「数は?」

「2万」

「ハッ……余裕」


 キアスとパーシヴァルの足元がそれぞれ光る。転移の魔法陣だ。

 シュンという、風の音と共に、重苦しかった室内の圧が消えると、残された3人はその場に座り込む他無かった。


「…………ウチらも、出来る事に取りかからなアカンな」






 ━━同時刻。

 別次元【天界】。


「ヒイィ! やっぱりあの聖者! さっさと消去しとくべきでしたー!」


 真っ青な表情で泣き喚くのは、華奢な体躯に、白から杏色へ変化するとても長い髪を持った少女だった。

 女神セレフィア光と月の女神である。長い事スーヴィオラに封印されていた彼女は、理玖達によって無事解放されて主神となった訳だが、その実力に反してチキンであるため、地上の様子にいつもビクつきピーピー泣くのは、今に始まった事では無い。幼馴染であり、彼女が解放されて以降、過保護にアレコレ世話ようになった男神オルドラン破壊を司る蛇は、掃除をしながら「ふーん」と相槌を打つ。


「オルドラン! どうしましょう、スーさんが残してったギミックが稼働してしまいました!」

「うるせぇ。俺は今お前の読まなくなった本を纏めるのに忙しい」

「待って待って! ソレきっとそのうち読みたくなる奴ですから、捨てないでくださいっ」

「お前の『きっとそのうち』は絶対に読まない」


 キュッと、紐で縛られた本の数々に、セレフィアはもっと泣きそうだった。


「んで? ギミックって?」

「あ、聞いてくれるんですね」

「早く言えや。次飯の準備すっから。あとリクエストあるか?」


 セレフィアは、背筋を正して挙手までした。


「魔王が覚醒しそうです。メンチカツが良いです!」

「呑気にメンチカツ食ってる場合かああああああ!!」

「聞いてきたのオルドランなのにいいぃ!!」


 近くに置いてあった洗濯物や毛布をぶつけるオルドランと、真正面からぶち当たるセレフィア。

 某名作音大漫画のようなアクロバティック夫婦漫才の図が、そこにはあった。

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