第3話 運命の契約結婚

 治癒の言葉と共に、淡い光が俺の手のひらから放たれる。


 それが、彼女の傷に触れた瞬間――異変が起きた。


「なっ……!?」


 光は彼女の傷を癒すだけではなかった。俺の左腕を蝕んでいた黒い痣から、呪いの瘴気がまるで黒い糸のように無数に伸び、彼女の傷口へと吸い込まれていく。


 それと同時に、彼女の身体と傍らの大剣から、禍々しい赤黒い瘴気が立ち上り、今度は俺の腕へと流れ込んでくるではないか。


「ぐっ……!」


 二つの異質な呪いが俺の腕の中で混ざり合い、激しく渦を巻く。引き裂かれるような激痛に、思わず呻き声が漏れた。


 だが、その痛みは一瞬だった。


 黒と赤黒の瘴気は、互いを喰らい合うようにして中和され、やがて跡形もなく霧散した。


 そして、後に残ったのは、静寂と驚愕の事実だけだった。

 彼女の腹部にあったはずの深手は、傷跡一つなく塞がっている。


 そして俺の左腕を覆っていた、あの忌まわしい呪いの痣も、嘘のように綺麗さっぱり消え失せていた。それどころか、一年間ずっと身体にまとわりついていた鉛のような倦怠感も消え、力がみなぎってくるのを感じる。


 何が、起きたんだ……?


 状況が理解できず呆然としていると、目の前の女性がゆっくりと目を開いた。


 血のように赤い瞳が、静かに俺を捉える。


「……」


 彼女はゆっくりと身体を起こすと、まず自分の腹部に触れ、次に自分の両手を見つめ、信じられないというように目を見開いた。


「……この身体の軽さは、何だ…? 長年私を蝕んでいた、あの呪いの疼きが……消えている……?」


 やがて、彼女の鋭い視線が俺に突き刺さる。


 それは獲物を定める肉食獣のような、有無を言わさぬ迫力に満ちていた。


「お前がやったのか」

「あ……いや、俺はただ、ヒールを……」

「ただのヒールでこうはならん。……何をした?」


 問い詰められ、俺は戸惑いながらも自分の治癒魔法が呪われたものであること、そして今、自分自身の呪いも消えていることを正直に話した。


 俺の話を聞き終えると、彼女は腕を組み、何かを思考するように俯いた。そして、傍らの魔剣と俺の腕を何度か見比べ、やがて合点がいったように顔を上げた。


「……なるほど。そういうことか」

「え?」

「お前の能力は、単なる治癒ではないな。おそらくは『呪いを別の対象に転移させる』能力だ」


 彼女は、驚くほど冷静に、事の真相を解き明かしていく。


「お前は私を治癒し、その代償として私の呪いを受け取った。だが、お前の身体には元々、お前自身の呪いが溜まっていた。空になった私の身体、あるいはこの魔剣に、今度はお前の呪いが流れ込んだのだろう」

「俺の呪いが、あんたに……?」

「ああ。だが結果として、性質の異なる二つの呪いは、互いを打ち消し合った。……つまり、お前の治癒魔法は、私にとってだけは『ノーリスク・ハイリターン』の奇跡となる」


 彼女の言葉に、俺は愕然とする。


 俺の力は、呪いを溜め込むだけの欠陥魔法ではなかった……?


 この人だけが、俺の力を本当の意味で活かせる……?


 俺が混乱していると、彼女はすっくと立ち上がり、俺の目の前に仁王立ちした。


 月明かりに照らされたその姿は、神々しいほどに美しい。

 そして彼女は、おもむろに俺の胸ぐらを掴み、ぐいと引き寄せた。


 間近で見る赤い瞳が、熱を帯びて俺を射抜く。


「探していた。いや、ようやく見つけた」

「な、何を……」

「私の名は、セレスティア。そしてお前は、私の運命だ」


 セレスティアと名乗った彼女は、ニィ、と不敵な笑みを浮かべた。


 それは、絶望の淵にいた俺を強引に引きずり出すような、抗いがたい魅力に満ちた笑みだった。


「問答は無用だ。お前は私の専属ヒーラーになれ。衣食住、そしてお前の身の安全は、この私が生涯保証する」

「はぁ!?  いや、待て、専属って……」

「これは決定事項だ。異論は認めん」


 彼女は俺の反論など聞こえないかのように、一方的に言葉を続ける。


 そして、とどめとばかりに、とんでもないことを言い放った。


「これは、お前と私を繋ぐための『契約』だ。そうだな……いわば、契約結婚というやつだ」

「…………は?」


 契約結婚?


 理解が追いつかず固まっている俺の顎を、彼女の指がくいと持ち上げる。


「いいか、カイ。お前は今日から私のものだ。そして、私がお前を守る」


 その力強い言葉と、真っ直ぐな瞳に、俺は何も言えなくなってしまった。


 こうして、俺の死ぬはずだった人生は、一人の女剣士との出会いによって、全く予想外の方向へと転がり始めた。


 塩対応で無気力な俺と、脳筋で押しかけ女房な彼女との、奇妙な共同生活が始まることも知らずに。

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