第2話 死の森の女剣士
振り下ろされる戦斧が、俺の視界を覆い尽くす。
衝撃に備え、固く目を閉じた。これで終わりだ。呪われた人生も、ようやく――。
しかし、来るはずの衝撃は、いつまで経っても訪れなかった。
代わりに聞こえてきたのは、魔物たちの戸惑うような唸り声。
「グル……?」
「ギギ……ッ」
恐る恐る目を開けると、信じがたい光景が広がっていた。
俺を取り囲んでいたはずの魔物たちが、明らかに怯え、後ずさっている。ミノタウロスでさえ、その巨体を震わせ、俺を警戒するように見ているのだ。
何が起きている……?
疑問に思った瞬間、俺は自らの左腕に異変が起きていることに気づいた。
肘まで真っ黒に染まった痣が、まるで生き物のように脈打ち、陽炎のような黒い瘴気を放っている。それは、魔物たちが放つ邪気とは比べ物にならないほど、濃密で、禍々しい気配だった。
溜め込みすぎた呪いが、俺の意思とは関係なく、体外に溢れ出しているのか。
魔物たちは、武器でも魔法でもなく、俺自身から発せられるこの不吉な瘴気に怯えているのだ。
「……はは」
乾いた笑いが漏れた。
結局、俺の力は誰かを癒すためではなく、ただ不気味に呪いを振りまくことしかできないのか。
魔物たちが恐れをなして道を開ける中、俺はふらつく足取りで歩き始めた。
意識は朦朧とし、どこへ向かっているのかも分からない。ただ、この暗い場所から抜け出したい一心で、光の差す方へ、出口へと吸い寄せられるように進んでいった。
どれくらい歩いただろうか。
やがて、湿った洞窟の空気は生暖かい外気へと変わり、俺はダンジョンから脱出していた。
しかし、太陽の光を浴びても、心は晴れない。生き残ってしまったという事実が、鉛のように重くのしかかる。
人里に戻る気にはなれなかった。
また誰かと関わって、癒して、そして裏切られるのはもうごめんだ。
無意識のうちに、俺の足は人々が決して立ち入らない場所へと向かっていた。
国境に広がる、広大な森。一度入れば二度と戻れないと噂される、『魔の森』。
死に場所には、ちょうどいい。
森に一歩足を踏み入れると、空気ががらりと変わった。昼間だというのに薄暗く、不気味なほど静まり返っている。俺から放たれる呪いの瘴気のせいか、獣や魔物の気配すらない。
ただ静かに、この身が朽ちるのを待とう。
そう決めて森の奥深くへと進んでいった、その時だった。
不意に、視界が開けた。
そこは、高い木々に囲まれた小さな泉のある広場だった。月明かりだけが、まるで舞台照明のようにその場所を照らしている。
そして、その中心に、一人の女性が倒れていた。
銀糸のような長い髪が、地面に広がっている。
体にフィットした黒い軽鎧は所々が破損し、おびただしい量の血が流れていた。傍らには、禍々しいオーラを放つ黒い大剣が突き立っている。
息を呑むほど美しい、しかし、どこか近寄りがたい雰囲気を纏った人だった。
死にかけているはずなのに、その存在感は圧倒的だった。
「……」
俺は、静かに踵を返した。
関わってはいけない。もう誰かを助けるのはやめたはずだ。
見知らぬ人間を助けたところで、どうせまた裏切られる。リナやマヤのように、気味悪がられるだけだ。俺はもう、誰かのために呪いを溜め込むのはうんざりなんだ。
そう自分に言い聞かせ、その場を立ち去ろうとした。
「……ぅ……」
その時、彼女のかすかな呻き声が、耳に届いてしまった。
それは、あまりに弱々しく、痛みに満ちた声だった。
俺の足が、縫い付けられたように止まる。
頭の中では、過去の裏切りがフラッシュバックしていた。「不吉だ」「気味が悪い」「もういらない」。投げつけられた言葉が、胸を抉る。
――やめろ。行くな。関わるな。
理性が強く警告を発している。
だが、俺の身体は、言うことを聞かなかった。
「……ああ、クソ」
自嘲気味に呟きながら、俺は彼女の方へと引き返していた。
「俺も、大概お人好しだな……」
もう生きるつもりもないくせに。
人に絶望したはずなのに。
目の前で消えそうな命を、どうしても見過ごすことができなかった。
俺は倒れている彼女の傍らに膝をつき、その血濡れの腹部にそっと手をかざす。
左腕に、焼きごてを押し付けられるような激痛が走った。呪いが、これ以上の治癒を拒絶している。
だが、構うものか。
「どうせ、これが最後だ」
これが、俺の人生最後のヒールになるだろう。
せめて、安らかに逝けるように。
俺は、残った全ての魔力を右腕に集中させ、治癒の言葉を紡いだ。
「――ヒール」
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