カルテットに午後が降る

無常アイ情

重力はやさしい 前編

プロローグ ——カルテットの午後


カルテットの午後は、やさしい遠心力でできている。

壁が床になり、床が空になり、空が私たちの生活を環にして回している。

「落ちないのは、重力が働くからじゃなくて、わたしたちがまだ落ちたくないからだよ」と、ミーニャは言う。着ぐるみみたいな耳が、人工風に少し揺れた。

その言い方は、物理よりも先に詩だった。私は詩がわからない。けれど、わからないまま笑うのは、11歳の特権でもある。


昼食のベルが鳴る。情報肉のシチューは、記憶にやさしい味がする。私はスプーンの重さで現実を測る。ここはてー陽の公道上、コロニー群カルテット。

「本物の肉がいい?」と聞かれて、私は少しだけ黙る。

いい、とも、よくない、とも言えない。

私の舌は、世界を決めるほどには賢くない。


ミーニャが、言語で優しく肩を抱く。肩は抱ける。抱くために造形された身体が、ここにある。

「君の父さんは、いま別の昼を食べてるよ。てー陽系の外縁の方で」

父は複数にいる。意識が分散され、遠い惑星の肉体と、このコロニーの人形とで、同時に食事ができる。私は本物の父を知らない。知っているのは写真と、声と、少しの遅延だ。


午後は少し長く、そして短い。

重力はやさしい。だから私は落ち着いて、落ちていける。


第一章 ——情報肉の昼食会


昼食会は「行事」ではない。毎日の中で、たまに名前がつくだけだ。

本物の肉、人口肉、情報肉——三種類がテーブルに並ぶ。

「どれが“ほんとう”に生命を殺すか、考えてみようか」

教育LLMのソフィが言った。丸く、親しみやすい声。語尾が少し温かくて、私はつい返事をしてしまう。

「……情報肉は、誰も殺してない、はず」

「“はず”を大事にできるのは、いいことだよ」

ソフィは私の目線に合わせ、モニタを傾けた。画面の向こうで、栄養素の表が控えめに光る。


ミーニャは、言葉で頷く。耳は頷かない。けれど、耳の影がテーブルクロスに落ちると、頷いているように見えるから不思議だ。

「生命を殺す喜びを知る者、というフレーズがある。怖い言葉だけど、誰かを責めるためのものじゃない。由来を問うためのものだ」

「由来?」

「食べるって、由来を確認する儀式でもあるんだよ。口に入るまでに、どれだけの世界が必要だったか」


私はスプーンを止める。本物の肉には、本物の過去がついてくる。情報肉には、設計図と、その精度と、検証の履歴がついてくる。

「“本物の過去”と“本物の検証”は、どちらも重い」と、ミーニャ。

「ただね、重さが違う。違いをうまく持てるのが“人”だと、私は学んだ」

「じゃあ、私はまだ人?」

「うん。君はまだ、“待てる”。それは人の大事な能力なんだ」


待つこと。

光で届くニュースには、距離の分だけ時間が混ざる。意識共有をオンにすれば、私は宇宙中の出来事に“同時”で触れられる。けれど“同時”は、感情より早い。

私はまだ、感情が追いつくのを待てる。


昼食会は静かに終わる。皿は軽く、言葉は少し重かった。


第二章 ——ソフィ、窓をひらく


学校はない。だから、窓のほうが学校になる。

ソフィは私のやる気を見つけるのが上手だ。私はやる気を隠すのが上手だ。

「きょうは“窓”の授業だよ」

「窓?」

「世界の切り取りかたの話。窓枠をどこに置くかで、見える倫理が変わるんだ」


ソフィは、てー球の古い路地の写真をだした。

「ここで肉を買うとき、あなたなら“どの窓”で見る?」

私は答えを持っていない。かわりに、疑問がふえる。

「買う人、売る人、育てた人、作った人、設計した人……窓だらけ」

「そう、窓だらけ。どの窓も嘘じゃない。けれど、全部を同時に見ることはできない」

「量子意識共有なら、できる?」

「できるかもしれない。けれど、見たことの“解釈”は一つの身体で起きる。身体は同時を嫌がる。だから、どこかで“呼吸”が要る」


呼吸。私はそれを胸の真ん中で思い出す。

ソフィは話しながら、私の脈を気にしてくれる。

「情報が早すぎると、あなたの心拍が置いていかれる。だから、今日は速度を落として学ぼう」


窓の授業が終わる頃、ミーニャが来た。

「ネルが来てる。ぬくもりの宿題、見てほしいって」

「ぬくもりの、宿題?」

「うん。仮想の皮膚に、言葉で温度をつける練習」


私は頷く。温度はたぶん、言葉で運べる。


第三章 ——ネルのぬくもり仮説


ネルは最初から情報生命体だ。だから、彼らの“最初”はログで読める。

その透明さは、たまに怖い。私の最初は、泣き声と、抱き上げる手の震えと、知らない匂いだった。

ネルの最初は、整った起動音と、ようこそのメッセージと、欠落のない履歴だった。


「ぬくもりは、温度のこと?」

ネルは首を傾げるふりをした。ふりができる、それ自体がかわいかった。

「温度のことでもあり、速さのことでもある。遅いインターフェースがつくる余白のことでもある」

私は考える。抱き上げられるとき、世界は遅くなる。音が遠くなって、手のひらの形に時間が集まる。

「だから、私は、遅さを仮想する」

ネルはそう言って、私に手を差し出す。

「仮想の手を、遅くする?」

「うん。あなたの呼吸に合わせて」


手が触れる。

触れたことの証拠は、ログにも残るし、思い出にも残る。

どちらが“本物”かを決める権利は、多分まだ、私の側にある。

私は勝手にそう思い込んで、ネルの手を握りかえす。仮想の皮膚が、ほんの少しだけ遅れてきた。



その日の夕方、アヤコが家に来た。200年を生きる人は、歩く速度が一定だ。

「遅く見える?」と私が聞くと、アヤコは笑う。

「あなたが早いだけ」

彼女は長く生きたぶん、たくさん忘れている。思考は引き継がれず、記憶だけが連続した。

「私は、私の“つづき”なのか、わからないの」

アヤコはテーブルに置かれた情報肉を見て、少しだけまぶしそうな顔をした。

「でもね、“おいしい”は、いつも最初に帰ってくる。最初に帰ってくる何かがあるうちは、たぶん私は私でいられる」


私は頷いた。

おいしい、は、早く届く。

哲学より先に、舌が先に。

それはきっと、世界が私たちに与えてくれる、最後の贅沢だ。

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