第26話 俺はマーダーミステリーで欺きたい(後編)
夕暮れの余韻を抱えたまま、俺はマンションの部屋に戻った。
玄関を開けると、甘い声が迎えてくれる。
「おかえりなさい♡」
そこにいたのは、都会女子みたいにオシャレに着飾ったあかりだった。
薄いベージュのシフォンブラウスに、膝上丈のタイトスカート。耳元で小さく揺れるアクセサリー。普段より大人びて見える笑顔に、思わず言葉を失う。
(……サークルの女子たちと比べて、全然負けてない。むしろ……やばいくらい可愛い)
◇
ダイニングには、コトコトと煮込まれた香りが漂っていた。
テーブルに並んだのは、湯気を立てるビーフシチュー。深い赤茶色のルーに、ゴロッとした野菜と大きな牛肉が沈んでいる。
一口食べると、牛肉はスプーンでほろりと崩れ、濃厚な赤ワインの風味が舌に広がった。
柔らかく煮込まれた人参の甘さが、後から追いかけてくる。
「……これ、店で出せるレベルだろ」
「ふふっ、都会の料理できる女子っぽいでしょ?」
自慢げに笑うあかりに、俺は苦笑いするしかなかった。
◇
食後、俺は今日の出来事を興奮気味に語った。
マーダーミステリーの緊張感、刑事役の女子の演技力、そして最後に自分が逮捕されるというオチ。
「あかりもやってみたらハマると思うぞ」
「へぇ~、面白そう」
そう言って、あかりは少し声を弾ませると、思い出したように指を立てた。
「そうだ……今日は真由お姉さんからゲームが届いているの」
「……は? ゲーム?」
「うん。新商品のテストをお願いされてるの。開けてみたらカードゲームみたいだったよ」
そう言って差し出された箱には、大きく《全国彼女計画》と書かれていた。
◇
説明書を読む。
中身は、普通のトランプの二倍ほどのサイズの「彼女カード」「彼氏カード」、それにサイコロ。
ルールはシンプル。
——カードを引き、サイコロの目に従い、1分以内に“彼氏・彼女ミッション”を実行。
相手が動揺したらライフを1つ減らす。3つのライフを持ち、ゼロになった方が負け。
「……真由姉さんが作ったって時点で嫌な予感しかしない」
「でも協力しないと。お世話になってるんだから」
あかりはカードをシャッフルし、にっこり笑った。
◇
「じゃあ、最初のカードを引くね」
「おう」
あかりが引いたカードを見て、ふわりと頬を赤らめる。
潤んだ瞳でこちらを見上げながら——京都弁。
「なぁ……うちのこと、ずっと見ててほしいんよ。都会に出ても、誰にも取られたくあらへん……。おにいちゃんの隣は、うちだけの場所やって思いたいんや」
ぶわっと胸に衝撃が走る。
「うぉっ!?」と思わず声が漏れる。
「あ、動揺したね♡ ライフ一つ減らすよ」
そうやってゲームは始まった。
◇
俺のターン。カードの指示は「イケメンアイドル風のセリフ」。
俺は立ち上がり、照れ隠しで髪をかき上げながら、マイクを持つフリをする。
「君のハートに直球ホームラン! ずっと俺だけを見てろよ、ファン第一号は君だから!」
……自分で言って鳥肌が立つ。
あかりは目をぱちぱちさせ、少し間を置いてから吹き出した。
「ぷっ……! うーん、恥ずかしさのほうが勝ってるかなぁ」
「ぐぅ……」
◇
次はあかりのターン。カードを引くと、彼女はソファにすとんと腰を下ろした。
肩をすり寄せ、博多弁で甘く囁く。
「ねぇ、お兄ちゃん……うちのこと、ちゃんと好きって言ってほしいと。言われたら、なんでも頑張れるっちゃけん……。ほんとは、ずっと甘えたいっちゃけど、恥ずかしくて言えんの……。ね、今だけは、あかりだけ見とって?」
「ぐっ……!」
あまりの破壊力に、俺のライフがまた削られる。
◇
俺のターン。カードの指示は「背後から抱きしめて一言」。
ソファに座るあかりの後ろに回り、そっと肩を抱き寄せる。
「……お前、もう離さねぇからな」
あかりの耳まで真っ赤になり、口をパクパクさせた。
「そ、それは反則……!」
◇
続いてあかりのターン。カードを引くと、彼女は少し照れながら——青森弁。
「おにいちゃんさ、わだしから離れだら……さびしくて眠れねぇんだば。ずっと隣でいてけろ、手ぇぎゅっと握っててけろ……。ほんとは、誰にも渡したくねぇんだよ」
「くっ……!」
俺は必死に耐えるが、心臓は大きく跳ねていた。
◇
さらに俺のターン。カードの指示は壁ドン。
あかりを壁際に追い詰め、手をついて顔を近づける。
「俺から……逃げられると思うなよ」
「きゃっ……!」
あかりの顔は真っ赤になり、今度は彼女のライフが削れた。
◇
ここでまたあかりのターン。カードを引くと、彼女は視線を泳がせ、博多弁で再び仕掛けてくる。
「お兄ちゃん……あかりね、ほんとはずっと前から思っとったと。どんな都会の女の子よりも、あかりのほうが……お兄ちゃんを幸せにできるって。ねぇ、信じてくれるよね?」
吐息まじりの声に、俺は一瞬で心臓を撃ち抜かれる。
「なっ……!」
動揺し、またライフが削られた。
◇
続くカードはアゴクイ。
ソファに座るあかりの顎をくいっと持ち上げ、囁く。
「お前、俺だけ見てろ」
「……っ!」
彼女の視線が泳ぎ、またライフが減った。
◇
そして最後。
あかりがカードを引き、正面に座り込む。
両手で俺の手を包み込み、顔を真っ赤にしながら——信州弁。
「蓮くん……うちはな、ちっちゃい頃からずっと一緒やったやろ? 都会に出ても、心ん中では毎日ずっと蓮くんのこと考えてんのさ。だから……これからも、隣におってほしい。どこ行っても、うちは蓮くんの帰る場所でいたいんよ」
その瞬間、地元の言葉が胸の奥に刺さる。
都会の演技よりもずっとリアルで、逃げ場のない言葉。
「……っ」俺の心臓は完全に撃ち抜かれ、ライフゼロ。
◇
「ライフゼロだね。負けた方は追加で三枚カード……って書いてあるよ」
「マジかよ……」
仕方なく俺は、カードの指示に従う。
ちょい悪イケメン、美少年アイドル、スポーツ少年。
それぞれの役をやらされ、キザなセリフを口にするたびに——
「あ……やば……ハマりそう」
あかりは顔を赤くしながら、小声でつぶやいた。
俺は心臓の持久力を試されている気分だった。
◇
「……これ、すごくメンタル削られるな」
「さすが真由お姉さんのゲームだね」
そう言って笑うあかりを横目に、俺は深くため息をついた。
その夜。
夢の中で俺はドラマ撮影をしていた。
真由姉が監督席から「リテイク!もっと甘く!」と怒鳴る。
俺は何十回もキザなセリフをやらされ続け、うなされる羽目になったのだった。
ーーーー
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