復関東

復関東 その1

 また関東かんとう


 男はいつもの竹簡ちくかんに三文字を書き加えると、またもまだ新しき竹簡のかわを小刀を使ってばらし、その六札に、筆を走らせる。


むすめ義王ぎおう、生年不明、母不明、おそらくいん麗華れいか

「長子きょう建武けんぶ元年生まれ、母かく聖通せいつう

「次子、生年不明、母郭聖通」

「三子えい、生年不明、母きょ美人びじん

「女ちゅうれい、生年不明、母不明、ようの姉」

「四子陽、建武四年生まれ、母陰麗華」


 それらから男が読み取ったのは、劉輔、劉英の生年月の特定であった。

 男は劉彊の竹簡を手前から奥へとずらして置き、かんじりを「建武元年」と指し、それに連なるように劉輔の竹簡を置き、簡尻当たりを「擁立ようりつ」と指し、迷った末に、更にそれに連なるように中礼の竹簡を置く。その右に一枚分ずらせて、劉英の竹簡を置き、簡頭かんとうが劉輔の竹簡の尻くらいになるようにずらせる。更にその右に、義王の竹簡を置いて奥に遣り、間を置いて劉陽の竹簡を置き、くいと手前に引き寄せ、その簡尻を「建武四年」と指した。

 そして男は瞑目めいもくして思いをせる。


 りょうにて天子を称する劉永りゅうえいを攻める総大将蓋延こうえん、身のたけ八尺に三百きんの弓を引く強力の者である。突騎とっきを率いて正面から遮二しゃに無二むに突き進む。洛陽らくようから陳留ちんりゅう郡までほぼ真東に進んで襄邑じょうゆうに当り、劉永の将許徳きょとくを破って襄邑を降し、麻郷まごうを得て、たちま州梁国に押し入る。蓋延、俊足の突騎を率いれば、南陽なんようの兵の遅さをなじる。また自分が剛である故、時にはそれが当たり前のような無茶な攻撃も仕掛けて、兵を大事にしない。この気性に猛将馬武ばぶは素直に従えるが、王覇おうは劉隆りゅうりゅう馬成ばせいは不承不承に従う。

 蓋延は人の心をつかめない。いつもかたきにされるは、降将であった蘇茂そぼである。軍の遅さを詰られ、弱腰とののしられ、そんな事だから負け続けるのだと、けなされる。兵が先に怒って御大将に陳情ちんじょうすれば、うむと蘇茂頷き、遂に叛旗はんきひるがえして、蓋延が連れてきた睢陽すいよう太守潘蹇はんそくを斬り、梁の数県を攻略し、睢陽の北東の広楽こうらくに拠って、遂には劉永に附く。しかし、これによって劉秀の軍の優勢が崩れる訳ではなく、蓋延らは劉永の居城睢陽を囲んだ。

 劉秀、降らせるには頃合いと見て、太中大夫たちゅうたいふ戴競たいきょうる。しかし戴競は東昏とうこんに於いて民に捕まり劉永に突き出されてしまった。戴競、劉永をあざけって曰く「し、国家にかなう所にあらざれば、今は死するのみ」

 こうわれれば引き下がれない、劉永の眼はかっと見開き血の色を帯び、一声の下、戴競を斬らせる。そして劉永、まだ民が附いてくれると、一旦は失った戦意を取り戻し、蘇茂を以て大司馬だいしば淮陽わいよう王と為しその意を周囲に示し、睢陽の戦いは短期決戦から持久戦へと推移した。


 四月二日こう、皇帝劉秀りゅうしゅうは叔父の劉良りゅうりょう広陽こうよう王と為し、亡き兄劉縯りゅうえんの子劉章りゅうしょう劉興りゅうきょうをそれぞれ、劉縯を継がせて太原たいげん王、劉仲りゅうちゅうを継がせて王と為し、元舂陵しょうりょう劉敞りゅうしょう嫡子ちゃくし劉祉りゅうし城陽じょうよう王と為す。

 臣下は皇帝劉秀に皇太子と皇后を立てるべしと奏上する。確かに劉秀に何かあった場合にかん安泰あんたいさせる為には、体制をすみやかに後継者に引き継がせる必要がある。しかし、劉秀自身の子、つまり男子は、かく聖通せいつうの子、生まれて一年にも達しない劉彊りゅうきょう一人のみ。この乳飲み子に後をたくすのか、早すぎる。また、そう為ったとなればおのずと皇后は郭氏となる。しかし劉秀、皇后に相応ふさわしいはいん麗華れいかと思う。劉秀、陰貴人きじんを酒の相手としてそれとなくうかがおうと思った。


 劉秀、夕餉ゆうげを取り、一息ついた所で、陰貴人に尋ねて曰く「我、麗華を迎えて三年となるか、うち二年は州にりて汝の顔を見られず。苦労を掛けたであろう」

 陰貴人答えて「兄上がかたわらり、何事も采配さいはいしてくれますれば、苦労など御座りませぬ。陛下の苦労のほうが郭貴人・侍郎じろう郭況かくきょう殿にお聞きする限り、大抵たいていでは在らせられなかった御様子」

 劉秀、気になって陰貴人に尋ねて曰く「どういう話をするのだ。郭姉弟していと」

 陰貴人答えて曰く「色々と。はらの児の話、洛陽に流れる噂、流行っている料理はえ物か煮物かはたまたなますか。遠き向こうの赤眉せきびの噂、ゆう州・州の噂、南陽なんようの噂、向こうではあわでなく稲を植えるとか、それも水を引いた田圃でんぽに植えるというのは本当なるか、と訊かれり。それから陛下自身のお話。粟と米、陛下が米を好まれるというは、粗食を良しとする故か」そこで言を止め、劉秀をうかがいて続けて曰く「そう最近は郭貴人に目通りされぬとか」

 劉秀ふふと笑いて曰く「臨月の女性にょしょうを、酒の相手にするのは無粋であろう」

 陰貴人応じて曰く「郭貴人、叔父故に陛下が罪に問うのではないかと怖れられて居ります」

 劉秀、呵呵かか大笑し「郭貴人は真定しんてい王に有らず」

 陰貴人返して曰く「その通りでございますが、とがは真定王に留まりましょうか」

 劉秀、口まで持ってきた酒杯を降ろす。陰貴人は不安げに劉秀を窺っている。れた女への弱みか、思いを人に伝えるひとみの強さか、わずかな秋眉しゅうびさえもこの女をしていとおしく思わせる。それだけなら傾国けいこく傾城けいじょうであるが、陰貴人は劉秀が軽く言った意味を軽く受け取らず、まじめに返して、酔いをまさせる。劉秀、酒が入ると口が軽くなり常よりも冗談を飛ばすが、その冗談がまるで通じない。ご機嫌窺いを周りに置きたがる君主なら、遠ざける女であるが、劉秀は違った。こういう女性を皇后とせねばなるまいと思う。

 劉秀、手許に降ろした酒杯を見下ろして曰く「前将軍こう伯山はくざんは真定王の甥である。我は伯山に真定王を捕えよと言いつけたが、害せよとは命じていない。なのに伯山は真定王を斬った。事情を仔細しさいに調べるに、伯山はそうせざるを得ないと分かった。我がどう考えても、あれが為した以上の妙案は出ない。前将軍をめる以外何が出来よう。若し、真定王の咎を周囲まで及ぼすなら、その功臣の伯山までを含まねばなるまい」

 劉秀、陰貴人が付いて来れているか気になって付け足す「つまり、我は元より真定王を害す意図無く、真定王の縁者を害す意図も無し」

 それを聞くと陰貴人、にっこりと笑みを浮かべて曰く「それをお聞きしてうれしゅうございます。郭貴人にもそのままお話致します」

 劉秀、この女には嫉妬しっとというものがないのかといぶかしがる。再び酒杯を持ち上げ、ぐいと呑みては降ろし、直に陰貴人に尋ねて曰く「時に、我は皇帝となった故に皇后を置かねばなるまい。麗華よ、汝を皇后に為そうと思うが如何いかに」

 陰貴人、きょとんとして尋ねて曰く「何とおおせられました」

 劉秀、再び曰く「汝を皇后に為そうと思う」

 陰貴人、答えて曰く「それは無理でございます」

 劉秀、ほろ酔い加減も完全に失せ、問いて曰く「何故なにゆえ

 陰貴人曰く「皇后は皇太子の母で御座います。わらわと言えば、むすめ一人の母で御座います」

 一面、正論であった。劉秀自身が皇太子を立て皇后を立てようと思えば、劉彊を皇太子とし、その母を皇后と為すべきかと迷った。しかし、劉秀、天下の母と為すのであれば、人の徳を見て取るに、陰麗華の方が遥かに相応ふさわしいと思った。

 劉秀、曰く「麗華は男子が欲しくはないのか」

 陰貴人、ぽつりと涙を流して震えて曰く「厳しいお言葉であらせられます。わらわは秀様の世継ぎを産むために、嫁いで参りました」

 劉秀、酒杯を置き、陰貴人の肩に手を回す、陰貴人ははっとするが、劉秀はしっかと抱える。陰麗華は二十二才、これからも子を産める機会はあった。

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