第2話「参謀閣下はボロボロ美女」

 焦げた大地に、ひときわ弱々しい声がこだました。

 スライムはぷるんと跳ね、その方向へと転がる。血と煙の匂いが絡みつく戦場に、確かに生きている人間の気配があったのだ。


「お、おい! そっちにまだ誰か生きてるのか!? ……いや、そりゃ生きてなきゃ呻かないよな!」


 瓦礫を必死にどかす。スライムのゼリー状の体では力が足りず、ずりずりと時間ばかりが過ぎた。

 それでもようやく引きずり出したのは、一人の女性だった。


 長い黒髪は土と血にまみれ、その白い顔は蒼ざめている。裂けた軍服の肩口から覗く腕には、戦場で刻まれた深い傷跡。胸元には、壊れかけの魔導徽章が光を失っていた。

 それでもなお、彼女の眼差しは、強い意志を失ってはいなかった。


「……お前……スライム……?」


 掠れた声。

 スライムは思わず体をぷるぷる震わせた。


「ちょっ……まさか参謀閣下!? 女性だったんですか!? いや名前くらいは聞いてたけど、直接お会いする機会なんて雑兵にはなくてですね!?」


 彼女の名は――リュシア。

 かつて魔王の片腕と呼ばれた軍師にして、冷徹な才女。戦場を読み切り、時に非情な采配を下すことで知られた女参謀。

 魔王軍の兵たちは畏怖と共にこう呼んだ――「氷のリュシア」と。


 その彼女が、今、瓦礫の中で血に濡れ、命の灯を揺らしていた。


「……軍は……どうなった……?」


 リュシアの唇が震えながら動く。

 スライムは、間を置いてからぷるっと跳ねた。


「……ぜ、全滅しましたぁぁぁぁ!」


 戦場に響く、間の抜けた報告。

 リュシアは瞳を閉じ、血混じりの吐息を漏らした。


「……ふ、そうか……最後に残ったのが……お前……ぷるぷる一匹……」


「いやそんな『笑ってはいけない魔王軍』みたいに言わないで!? こっちは必死なんだから!」


 スライムのツッコミも虚しく、リュシアの呼吸は弱まり、今にも途切れそうになる。

 焦ったスライムは、必死に彼女の冷えた手に飛びついた。


「ちょ、死ぬのはダメ! 今めっちゃ人材不足だから! 参謀ポジション、あなたしかいないの!」


 その瞬間、体内の漆黒の魔王コアが脈打った。

 ――どくん。どくん。

 赤黒い光がリュシアの傷を包み、じゅわっと肉を繋ぎ合わせていく。


「ひゃっ、なにこれ!? 説明書なし!? 急に発動すんなよぉ!?」


 光が収まると、彼女の呼吸はわずかに安定した。死地から一歩だけ引き戻されたようだった。


「……これは……魔王様の……力……」


 リュシアの瞳が見開かれる。

 スライムは慌てて叫ぶ。


「ち、違うんだって! オレはただの雑魚スライムで! 勝手に中にコアが入ってきただけで!」


「……ふふ。くだらない言い訳ね。……でも、確かに感じるわ。これは魔王様の遺志」


「だから人の話を聞いてぇぇぇ!?」


 リュシアは微笑んだ。血に濡れた唇に浮かぶその笑みは、皮肉と強さが混じったものだった。


「……いいわ。ならば、私は……この命が尽きるまで、あなたに仕えましょう」


「待った待った! 参謀閣下が雑魚スライムの部下とか逆でしょ!?」


「ふふ……愉快じゃない。最弱が軍を率いる。これほど面白い皮肉、他にある?」


 その眼差しは、死に瀕した者のものではなかった。

 そこには冷たい知性と、奇妙な高揚が宿っていた。


「……スライム。名を名乗りなさい」


「な、名前!? オレ、名前なんてないんだけど!?」


「名は旗よ。旗なき軍は散るだけ。……軍を背負う覚悟があるのなら、名を」


 強い声に押され、スライムはしばし考え――体をぷるんと震わせて叫んだ。


「お、おれは……スラード! そう、今日からスラードで!」


「……スラード。悪くない響きね」


 リュシアは満足げに目を閉じる。わずかながら笑みが浮かんでいた。

 スライム――いや、スラードは呆然とその横顔を見つめた。


 ただの雑兵。誰からも数に入れられず、踏み潰されるだけの存在だった自分が――。

 今、氷の参謀に名を認められ、軍を背負う旗として立てられている。


「……やば……逃げられない空気になってきたぞこれ……」


 スラードは自分の体をぶるぶると震わせた。

 黒煙が漂う空の隙間から、一筋の陽光が二人を照らしていた。


 ――魔王軍再建計画。

 それは最弱のスライムと、氷の参謀リュシアの出会いから始まった。

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