こわくて踏み込めない世界

私と夢作家

序章

#1「ボクんちのおばけ」

 ボクんちの玄関には、ドアがない。

 前までは、ちゃんとあったんだ。

 木製のドアだったけど。


 でも、あのおそろしい炎に

 気づいたら、玄関のドアはどこかへ

 吹き飛ばされちゃったみたい。


 だから、ボクんちにやってくる大人たちはノックもしないで、いきなり入ってくる。


 ボクはいつも階段の裏に、サッと隠れて、靴のまま上がってくるやつらをこっそり覗いてる。

『今日はどんな人たちがきたんだろう』って。


 真夜中にこっそり忍びこむやつらはライトに照らされたボクの姿を見ると、つんざくような悲鳴を上げる。


 昼間に大勢で押しかけてくるときはたいてい、男の人なんだ。

 たまに、怪しげな格好の人がまじってて、うんざりするようなお経を唱えたりしてる。

 そいつ以外はみんな首にタオルを巻いてて、土臭そうな格好なんだ。


「ここを壊しにきたんだ」って、

 おじさんたちの声が聞こえる。


 お母さんが聞いたら、怒るだろうな。

 だけど、お母さんはどこに行っちゃったんだろう。

 あの日の炎で吹き飛ばされた玄関のドアと同じで、家からいなくなっちゃった。


 たぶん、お父さんが連れて行ったんだ。

 そのお父さんは、家がこうなる一週間くらい前に死んじゃった。


 天国って、本当にあるのかなぁ。

 ボクも行きたいなぁ……。


 だけど、もしもあのおばけがボクのあとを追ってくるつもりだったら大変だ。

 ボクんちをこんなふうにしたんだ。

 あいつにだけは、絶対にきてほしくない。

 お父さんもそう思って、

 ボクを迎えにこられないのかもしれない。


 誰か、あのおばけを退治してくれないかなぁ。


 あれから、もうずっと待ってるけど、時どき、家にやってくる大人たちは強そうに見えても、つかえないやつらばっかりだし。

 ボクが服のはしっこを引っ張っただけで飛び上がるほど驚いて、一目散に逃げちゃうんだ。


「それは、キミがおどかしてるせいじゃないかな」

 若い作業員──陽一はそう言いながら、かすみ状の人影に目線を落とした。

 

 その言葉に、少年の体がビクッと反応する。


 え!


 もろくなった階段が軋む音に、陽一は顔を振り向けた。


 焦げ跡の残る箱形階段から、ヘルメットを被った、いかつい体格の男が下りてきた。

 現場監督の後藤だった。

「ふう~。二階を覗いてみたが、突き当たりの一室だけは、ほとんど無傷だったぜ。ありゃ、旦那の書斎かもな。事件から十年以上も経つっていうのに、本までそっくり残っていやがった」

 後藤はそう言いながら、廊下の奥にある明るく開けた一階の広いリビングに向かった。


 その後ろを、もやもやとした白い人影が、すり抜けるように一瞬よぎった。


「こりゃ、ひでぇ……跡形もないな」

 後藤は首をめぐらせてそう言った。

 屋根もろとも崩壊した天井の割れ目から、スポットライトのように降り注ぐ日差しを見上げる。


 焼け跡の瓦礫と、煤だらけの家具で凄惨なほど荒れ果てたリビングに、陽一もおそるおそる足を踏み入れた。

 

 後藤は、あたりに漂う重い空気に、ふうと息を吐き出す。

「うわさ通りだな。霊感のない俺でもここは空気が重く感じるぜ」


「僕もさっき子どもの声を聞きました。それにしても、なんだろう、このすえた臭い。鼻につんときます」

 陽一は右腕で口をおさえ、げほっ、ごほっとむせた。


「なんにも臭わねぇけど、おい、大丈夫か?」

 

「──はい、大丈夫です」

 陽一は、右腕で口をふさぎながらうなずき、いちばん損壊の激しいキッチンに向かう。

 作業着の袖に包まれているはずの腕に、むっとした熱が触れ、焼けるような痛みに肌がうずいた。


「火元はここですね。臭気が漂ってる」


「数々の霊媒師をこてんぱんにしてきたやつだ。一筋縄にはいかんだろうが」


「十五年前の週刊誌の記事には、夫を交通事故で亡くした妻が、それを苦にして、みずから油をかぶり、九歳の次男と無理心中の末に焼死したとありましたね」

 

「このあたりは、自然に囲まれてるからな。民家も少ない上、唯一の隣人も火事の日は外出していたらしい」


「キッチンで発見された子ども。お母さんの下敷きになって、かわいそうに……」


 真っ黒になったダイニングテーブルを見ると、焼けただれたガラス片が蝋のようにこびりつき、十五年前のまま、火事の痕跡が生々しく残されていた。

 陽一は胸苦しい思いがして、ひどく焦げ跡の染みついた床を見下ろす。


 そのとき、リビングの片隅にあった戸棚の割れたガラス戸が、キィ……とひとりでに開いた。


 後藤が仰天して、「い、今!」と指差し、おどおどとあたりを見回す。


「はあ、仕方ないですね」

 へっぴり腰になっている後藤を見かねて、陽一はため息をついた。

「ここは僕に任せて、監督は社に戻ってください。話がまとまったら、スマホに連絡しますんで」


「バカ言え、こんなところに、おまえを置き去りにして帰れるか。びびったと思われるだろうが」


「……」


「おまえの霊能力だけが頼り……って言ってやりたいが、本当に大丈夫なんだろうな? 今週末までにこの『呪われた屋敷』をなんとかしなきゃならないのに」


「わかってますよ」

 ため息まじりに返事をして、陽一はかすかに磁力のような気配を感じた。半開きのガラス戸棚を、ゆっくりと振り返る。


 形もおぼろげで、あやふやな気配なのに、胸のなかの心臓が、矢印を向けて飛びだそうとするように、陽一は強くそちらに引っ張られた。


「かくれんぼはもう終わりにしよう。ほら、出ておいで。こそこそ覗いてないで、さあ、こっちに」

 陽一が屈んで話しかけていると、背後から地面の砂利にワークブーツの先をこすりつけるような足音が混ざり、陽一は気を取られた。


「監督がそわそわしてどうするんですか。そっちにはいませんよ」


「なっ、勘違いするな」

 反っくり返るように驚いた後藤が、即座に否定して、後ずさった。

「お、俺は、ただ……除霊の邪魔にならないように、こっちの隅に移動しようと思っただけだ……」


 ねえ、なんでボクの姿が見えるの?


 声に反応して、陽一は首をひねった。

「わからない。望んでこうなったわけじゃないけど」


 自分に話しかけられたと思って、後藤が応じる。

「母親に殺されるなんてむごすぎるよなぁ」


 違う!

 あれは、お母さんが悪いんじゃない!


 戸棚の置き時計がカタカタと震え、突然飛びだした。


「おわっ!」

 後藤はとっさにかわした。

「今の見たかよ。風もないのに、ぶわって」


「それ、この子が怒って、監督に投げつけたんですよ。そんなストレートな言い方するから」


「いやいや、デリカシーの問題じゃねぇから。祟ってる幽霊の問題だから」


 根はいい人なんだけどなと思いつつ、陽一は眉間にしわを寄せた。


「ああ、はいはい。俺が邪魔なんだな。それなら、しょうがねぇや。俺は玄関で待たせてもらう。おまえこそ、気をつけろよ」

 威張るようにそう言うと、そそくさと出ていった。


「はい、頑張ります」

 陽一は頭を下げ、後藤の背中を見送った。


 あっかんベぇー。


 白くてもやもやした人影が、くっきりとした輪郭を帯びる。舌を出した生意気な表情が、目に見えるほど立体的に浮かび上がった。

 開襟シャツを着た、幼げな顔をした少年だった。


「キミね、人に物をぶつけるのはよくないよ」

「僕はキミの味方だから」という雰囲気で説教するので、少年はまじめに話を聞いた。


 ごめんなさい。

 でも信じて、ボクがこうなったは、

 ウチにいるおばけのせいなんだ。

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