第43話 デビュタント4

「少し席を外しますね」


 黒の塔仲間との歓談中、私は一人で化粧室に向かった。さすがにここには、エスコートをお願いするわけにはいかないわよね。



 私が化粧室から出ると、廊下に、ぼんやりと俯いた男性が立っていた──燕尾服を着ているから、誰か令嬢のエスコートの人だとは思うのだけれど……


「エヴァ」

「!?」


 男の人がヌッと顔を上げた。


 その男の人はアラン様だったのだけれど、目の下には隈ができていて、頬も少しやつれてとても不健康そうだった。


 アラン様がまとう雰囲気もどこか異様で、以前のような自信があって溌剌とした感じではなくて、まるで何かに取り憑かれているかのような暗くどんよりした重たい空気をまとっていた。

 表情も、どこか思い詰めたように虚ろだった。


「久しぶりだな」


 アラン様が一歩前に出る。まるで親の仇でも見つけたかのように、彼の青い瞳に暗い炎が灯ったように思えた。


「ええ、そうね……」


 私は嫌な予感を感じて、彼を刺激しないように注意しながら、化粧室に逃げ込もうと少しずつ後退った。


 いきなりアラン様が距離を詰めて、私の腕を掴んだ。もう片方の手で、スクロールをバサリと開く。


 私たちは、一瞬のうちに王宮内のどこかの庭園に転移していた。転移魔術だけど、近距離移動しかできない簡易スクロールだったみたい。


「ハははハハッ! やっと捕まえた!!」


 アラン様が、今まで見たこともないような狂った笑い声をあげた。


 その時、アラン様に、黒いもやのような魔力がまとわりついているのが見えた──黒の塔で何度も見かけたものにそっくりだった。


「一体、何の用事ですか?」


 私はアラン様の腕を振り解くと、後退って距離を取った。冷静に尋ねる。


「ハッ、何の用事かだって? ……お前があの家を放り出して逃げたせいで、誰が割を食ってると思ってるんだ!!?」


 アラン様は不穏にくらりと揺れると、いきなり激昂して大声で喚き散らした。怒りを全身で表現するように、彼はせっかく夜会用に綺麗にセットされていた金髪を、ぐしゃぐしゃと握りつぶすようにかき混ぜた──完全に正気じゃないわね……!


「……まさか、父とミアに呪いをかけたのは……?」

「ああ、そうさ! まずは手始めにあいつらを呪ってやったぜ!! お前の碌でもねぇ親父と、あの阿婆擦れ女になァッ!!!」


 アラン様が一際大きな声をあげると、彼の背後からブワッと真っ黒な靄が勢いよく放たれた。


 呪い魔術には「想いが大事」とは聞かされていたけれど、まさか呪い魔術に適性がなかったアラン様を覚醒させる程とは思わなかったわ。


「お前もなァッ! くらいやがれェッ!!」

「!?」


 アラン様は黒い靄のような魔力を、私に向けて思いっきり投げつけてきた。

 彼の長かった金髪が、半分くらいから先がバサリと地面に落ちる。呪いの代償みたいね。


──その時、私の胸がドクンッと鳴って、あたたかいものに包み込まれるような感覚が湧き起こった。なぜだか分からないけれど、私はこの後どうすればいいのかが瞬時に理解できた──これはきっと、シュウの……


「呪い返し」


 私は冷静に魔力を練ると、自分の前に網を張るように広げて、黒い靄を包み込んでキャッチした。そして、アラン様めがけて黒い靄を毱のように跳ね返す。


「ぎゃっ!!?」


 跳ね返された黒い靄は、防御しようとしたアラン様の腕に思いっきりぶつかった。そしてそのまま、アラン様の体の中へと吸収されていった。


「うわぁああっ!!? のっ、呪いがあぁあ゛っ!!!」


 アラン様は奇声をあげながら、地面の上をバタバタと転げ回った。アラン様が暴れ回るたびに、ヒラリハラリと、彼の髪の毛が束になって頭から抜け落ちていった。


「……あ、あぁ……」


 アラン様がやっと息切れしてうずくまると、さらに彼の髪の毛ははらはらと抜け落ちて、ほとんど禿げ山になってしまった。


「あ゛あぁ……エヴァの髪が無くなって、縁談が破談になればいいと呪ったから…………」


 アラン様は絶望の表情で、抜け落ちた髪の毛を震える両手いっぱいにわし掴んでいた。


……って、何よそれ!? とんっでもない呪いをかけようとしてくれたわね!! 本っ当に最低っ!!!


 髪の毛には魔力が宿る。召喚や人外者への契約対価だったり、魔力不足を補ったり、魔術薬や実験に使ったりと、魔術師にとって髪の毛は使いどころが多くて、伸ばしておいて損はない──そんな髪の毛がつるりと無くなったのだ。しばらくは魔術師として謹慎も同然ね。


「エヴァのせいだああぁああっ!!!」


 アラン様は泣き崩れながら、直接私に殴りかかろうとしてきた。


 ドレスで動きづらいということもあるけれど、アラン様の異様な雰囲気にのまれて、私は恐怖で身がすくんでしまって身体が動かせなくなっていた。


──その時、ひらりと一枚の赤いカードが、私たちの目の前に落ちてきた──『永劫』のカードだ。


 いきなりあらわれたカードに、アラン様も視線を奪われていた。


『永劫』のカードの意味は、挽回の「チャンス」!!!


 私はハッとなって、自分のオペラグローブの下に仕込んでいたブレスレットに、魔力を流そうと手を伸ばした。


 そしてなぜか急に私の目の前に、セルゲイの広い背中があらわれた。


「ぐぎゃっ!!?」


 セルゲイは、カードに意識を奪われていたアラン様の横面に、思いっきり拳を叩き込んだ。


 突然あらわれた人物に、アラン様も急には避けられなくて、そのまま吹き飛ばされていた。そして、近くにあった庭園の植木に激突して、そのまま気を失うように伸びてしまった。


「セルゲイ!」

「エヴァ、大丈夫か!?」


 私は脅威が去って、感極まって思わずセルゲイに抱きついていた。

 セルゲイも普通に抱き留めてくれた。


 セルゲイの腕の中はあたたかくて、恐怖で強張っていた身体も、フッと力が抜けていくようだった。


──そしてふと落ち着いて冷静になってみると、今の状態にものすご~~~く恥ずかしくなってしまった……!


「セ、セルゲイは戦えたのね?」


 私は誤魔化すように話題を振った。さりげなくセルゲイを押して、距離を取る。


「エヴァも母の指導を受けたのだろう? 母は武闘派だからな…………随分仕込まれた」


 セルゲイも普通に私を解放してくれた。ただ、珍しくやけに遠い目をしていた──フレデリカ様の指導はかなり大変だったみたいね……


「あっ! 助けてくれてありがとう!」


 私は、一番最初に言うべき言葉を、言い忘れていたことを思い出した。

 笑顔で伝えると、今さらながらセルゲイが照れたように視線をフッと逸らした。


「いや、怪我がなくて良かった……」


 セルゲイがボソボソと呟く。


「それにしても、よくこの場所が分かったわね?」

「この前渡したブレスレットがあるだろう? あれを逆探知した」

「そうだったのね」


 私は感謝の気持ちも込めて、ブレスレットをグローブ越しに撫でた。

 セルゲイが来てくれなかったら、下手したら殴り飛ばされていたのは私だったかもしれない……


「それにしてもこいつは……?」


 セルゲイが、木の下で伸びてるアラン様に近づいた。


「アラン・ロッドフォード様よ。……髪の毛は無くなってしまったけれど……」

「エヴァの元婚約者か」


 セルゲイがやけに渋い表情で呟いた。


「伸びてしまってるけど、どうしましょう?」

「ロッドフォード伯爵家は、一応うちの傍系だったな……はぁ、母に連絡だな」


 その後、セルゲイはとても面倒くさそうに、フレデリカ様に連絡を取った。


 アラン様のことは、オルティス侯爵家とロッドフォード伯爵家で内々に処理されることになったみたい。ハートネット家に謝罪の申し出があったのは、また後日──



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