第35話 家族というもの
スキウルスはオービスの背を追おうとして、足を止めた。森の中へ不用意に入って行くことは、力を持たないスキウルスには自殺行為とも言えた。
「クリオさん!」
スキウルスはいつもより少し早足にクリオの元に向かう。表情には、いつもの外向けの微笑み。けれど心臓はバクバクと震えていた。
「どうなさいましたか?」
クリオが振り向くと、スキウルスはオービスが森へ入って行ってしまったことを説明した。クリオはスキウルスの話を聞きながら、額に手を当てて深くため息を漏らした。
「まったく、領主様は」
その深く吐き出された息には呆れが滲み出ていた。
「スキウルス様、教えていただきありがとうございます」
クリオは一礼すると、すぐに領民たちをぐるりと見回す。
「アクイラ。私と来い。他の者は警備を頼む」
「はい!」
自警団の面々は凛々しく背筋を伸ばして頷くと、出発の用意をしつつも近くに武器を置く。一方で指名されたアクイラは、剣を片手にタッタッと軽やかに領民たちの間をすり抜けてクリオの前までやってきた。
「行きましょう!」
クリオは子犬かのように駆け寄ってきたアクイラの肩に手を置いて、くるりと後ろを向かせる。
「いってきますの挨拶がまだでしょう?」
「そ、そうでした!」
アクイラは一目散にラナのところに走っていくと、ガバッと抱きついて、ぎゅうっと抱き締めた。
「愛してる! いってきます!」
「あはは、うん、いってらっしゃい。兄様をお願いね」
「うん! 任しといて!」
いつも通り元気な夫婦を、領民たちは微笑ましそうに眺めている。アクイラはそんな視線に気が付くと、照れたようにラナから離れて、ニカッと笑う。
「へへ、照れるな」
「ふふ、そうね」
どこまでも素直。そんなアクイラの様子を見ながらスキウルスは小さくため息を漏らした。それをちらりと見て、カニスはニヤリと笑った。
「ああ、私もあれくらい素直に言えたら、あんな誤解をさせずに済んだのに」
「私の心を読むな」
「読まずとも分かりますよ。領主様は、良くも悪くも真っ直ぐで、相手のことを考えすぎてしまう節があります。その不安定さを支えてあげられるのは、婚約者である殿下だけかと」
カニスの言葉にスキウルスは唇を尖らせた。
「分かっている。でも、私だって」
「まだまだお子ちゃまですものね」
「おい」
スキウルスが睨むと、カニスはケラケラと笑う。その姿は従者らしくはなく、けれど友人らしくはあった。
「本当のことでしょう? 家族の愛情表現が分からなくて、理解しようとして書物を読み漁っていることを私が知らないとでも?」
カニスの言葉にスキウルスは顔を真っ赤にした。震える唇をどうにか開いて声を絞り出す。
「し、仕方がないだろう。王家は、家族らしさなんか、ない。育てるのは乳母だし、親に会うのは、謁見の間と食堂だけ。愛情表現なんて、知りようがない」
「そうですね。そこに甘えずに学ぼうとしている姿勢は良いと思います。ですが、それをそのまま領主様に伝えても良いかと思いますよ。あの方なら、きっと理解をして教えてくれると思います」
「そう、かな」
スキウルスは自信なく呟く。オービスへの不安というより、素直に言葉にすることに対する不安。
「ふふ、まずは家族への甘え方から学ばなければなりませんかね」
カニスがさらに揶揄うと、スキウルスは頬をリスのように膨らませて拗ねてしまう。その様子にカニスはまた可笑しそうに笑い、スキウルスの背にポンッと触れた。
「大丈夫です。ゆっくりで良いんです。家族とは、一朝一夕になれるものではないのですから」
「そういうものか?」
「ええ。夫婦は時間をかけて夫婦になり、親子も時間をかけて互いを知り合うものです。家族も、所詮は自分ではない人間同士の集まりですから」
カニスの言葉にスキウルスは静かに頷いた。その表情は素直なもので、オービスが消えていった森を見つめていた。
「分かった。やってみる」
「はい。まあ、努力をするべきは殿下だけでなく、領主様もです。ともに成長をすれば良いのですよ」
「ふっ、なんだか、お前に家庭教師をしてもらっていた頃を思い出したよ」
スキウルスが肩をすくめると、カニスは眼鏡を上げるような仕草をして悪戯っぽく笑った。
「ええ、私は殿下の執事ですから」
スキウルスがその言葉に笑ったとき、森から火矢が上がった。
「お、おい! 赤だ! 赤い火矢だ!」
領民の一人が叫ぶと、その場は騒然とした。スキウルスはカニスに視線を送り、二人でレオのそばに駆け寄る。
「皆さん、落ち着いて。今はまず、全員ここにいることを確認してください。自警団の皆さんは周囲の警戒をお願いします」
「了解!」
スキウルスが声を張り、誰もがその言葉に従う。カリタスはそっとスキウルスのそばに寄り添った。
「私はこういう経験も豊富ですから。困ったときは何でも聞いてください。領主の配偶者という立場。私にも覚えがありますから」
おっとりとした、けれど芯の強さを秘めた声。スキウルスは頷き、再び領民たちに視線を向けた。そのとき、茂みがガサガサと揺れ、自警団とレオが武器を構えた。
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