第20話 オークの群れ


 領地に帰ろうと馬車に乗り込んだオービスとスキウルス。行きよりも荷物で狭くなった座席。それでも二人は穏やかな顔つきで窓の外に広がる景色を眺めていた。



「皆さん、待っているでしょうか」



 スキウルスが窓の外を見つめながらどこかワクワクした様子で言う。オービスは窓の外から視線を外して、小さく微笑む。



「はい、きっと首を長くして待っていると思いますよ」



 スキウルスは嬉しそうにはにかむ。帰りを待っていてくれる人がいる。それはそこに帰る理由になる。



「領主様!」



 そのとき、ネルヴァの鋭い声が響いた。微笑んでいたオービスの表情が途端に厳しくなる。ネルヴァは馬を馬車の窓に近づけた。



「何があった?」


「前方に魔物の気配があります。人間の悲鳴も聞こえました」


「すぐにそこへ向かおう」



 オービスは言うや否や、走行中の馬車の扉を開いて飛び降りる。



「オービスさん!」



 驚いたスキウルスが顔を出そうとすると、ネルヴァがドアをバタンと閉ざした。



「走行中に顔を出すのは危険です!」


「オービスさんは?」



 スキウルスが問うたとき、馬車の馬力が落ちた。先頭で馬車を引いていた一頭が馬車から離れる。そしてハーネスから解き放たれた馬に飛び乗ったオービスが全力で駆け抜けていった。



「は、はやっ」


「カニスさん、レオさん。スキウルス様を連れて遠くへお逃げください」


「承知しました」



 カニスが御者台で手綱をパシッと振るう。残された二匹の馬たちは導かれるままに向きを変え、レオの先導で来た道を戻っていく。


 スキウルスは不安に満ちた表情で後方を振り返る。けれどオービスもネルヴァもすでに見えないところまで離れてしまった後だった。


 森の中で馬を全力で走らせるオービス。耳を澄ませて声がする方を探す。



「領主様!」



 ネルヴァが追い付くと、オービスの前に馬を進ませる。



「ついてきてください」


「ああ。頼りにしている」



 ネルヴァは領民の中で最も耳が良い。オービスもその耳の良さを常々頼りにしていた。ネルヴァの先導で二人は真で駆けて行く。



「こ、こな、いで」



 オービスの耳にも声が届いた。その瞬間、手綱を握る手に力が籠る。



「この声は」


「イレーネ?」



 パロル村の少女。普段ならこの時間は家にいるか村の子どもたちをちらちらと見ながらお絵かきをしている姿をよく見かける。



「どうしてこんなところに!」



 オービスは焦る気持ちを抑えながらも必死に手綱を握る。森が開けて、人影が見える。鼻にツンとする、錆びたような香り。



「イレーネ!」


「りょ、領主様!」



 飛び出していくと、そこにいたのは二本足の豚。オークの群れ。王都の周辺でも良く確認されるありふれた魔物ではある。けれど量があり得ない。



「十体以上の群れだと?」



 馬から手を伸ばしたオービスは地に濡れて震えているイレーネを拾い上げて自分の前に乗せる。



「イレーネ、怪我は?」


「な、ない」



 震える声。確かに、イレーネに怪我はない。振り返ると、イレーネがいた場所の近くにはいくつかの遺体が転がっていた。けれどオービスには見覚えがなかった。



「イレーネ、あの人たちは?」


「あ、あの、その」



 イレーネが言い淀む中、標的を奪われたオークがのしのしとオービスたちを追いかけ始めた。



「領主様! 後ろです!」


「話は後か。イレーネ。しばらくは目を閉じて、しっかり掴まっていてくれ」


「う、うん」



 イレーネが目を閉じると、オービスはいつもの剣ではなくロングソードを手にした。馬上戦用に帯剣しているロングソードが木漏れ日を浴びてキラリと光る。



「ネルヴァ! 一気に畳みかけるぞ!」


「はい!」



 ネルヴァもオービスと共にロングソードを握ると、片手で手綱を操ってオークの群れに突っ込んでいく。


 ネルヴァは細やかな指示で馬をオークの遅い棍棒捌きから躱させる。オークは木製の棍棒を振り回し続けるものの、ロングソードに貫かれていく。



「ネルヴァ! 止めは頼むぞ!」



 オービスは対照的に素早く駆け抜けることを意識する。棍棒は全てロングソードでいなし、ついでに切り付けて行動速度を落とさせる。後続するネルヴァに止めを任せることで、同乗しているイレーネと馬への攻撃を防ぐ。


 風のように駆け抜けながら、オービスは周囲を警戒する。けれどこの周辺に感じるのはここにいるオークの群れだけ。一体、また一体と倒れていく。



「ネルヴァ、ラスト!」


「はい!」



 オービスの大声に応えるように、ネルヴァが最後の一体の核となる魔石を貫いた。全てのオークが倒れると、しばらく周囲を警戒してから揃ってロングソードを腰に仕舞う。


 そして馬を降り、遺体のそばに寄っていく。遺体が着ているどこか東国風の羽織。そしてそばで倒れていた壊れた荷馬車。その中には穀物の種や豆、動物の肉や魚が積み込まれていた。



「東国の商人でしょうか?」


「そのようだが、これでは王都へ入った瞬間に悪意に晒されていただろうな」



 東国への国内の反発は激しい。ただそこにいるだけでも何をされるか分からない。



「この人たちがどうしてここにいたのか。それから」



 オービスは馬から降りて遺体の前で硬直しているイレーネに視線を向けた。


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