第12話 ボーダーライン


 その夜、夕食を終えるとオービスはいつものように剣を振り鍛錬に勤しむ。無心になって剣を振り、今日の狩りでの出来事を反芻する。



「もし、俺がもっと時間を掛けずにあの腕を叩き落とすことができていたなら」



 剣を振る手が止まる。月を見上げ、グッと奥歯を噛み締める。



「まだ、父様には、叶わないということか」



 剣を持つ手に力を込め、再び剣を振るう。その姿には気迫が篭もる。自室からその姿を見下ろしていたスキウルスは、声は聞こえないながらもオービスの背中を不安げに見つめていた。



「失礼します」



 カニスが入室し、その手に持った資料をスキウルスに手渡す。



「レオから聴取をした、今日の狩りでの出来事についての報告書です」


「そうか」



 スキウルスはそれをジッと読み込む。レオらしく、決して他者を悪くは言わない語り口。自らの未熟さを非難する言葉も多い。スキウルスはそこを流し見て、魔物についての情報を注視する。



「普通の倍以上、か」


「ええ。固さも倍以上だったようです。レオが皮膚を切るだけでやっとだったと言っていましたから」


「あのレオが?」



 スキウルスは目を見開いた。レオの実力を誰よりも知り、自らの近衛騎士にと推薦した。自身の警護を一人で任せられると判断するほどの力を持っていると思っていた。いや、その認識に間違いはない。



「その腕を叩き落としたのが、オービス殿だと?」


「はい。他の従士や自警団の面々の力を借りていたとはいえ、あの怪力は相当のものだとレオは言っていました」


「ふむ」



 それだけの力を得ながらも、まだまだ鍛錬に身を置くオービス。その姿を再び窓から見下ろす。



「分かった。とにかく父上へ報告書の提出を頼む。それから、余裕があればオービス殿の父上について、調べてくれないか?」


「それは、領主様に直接伺うべきかと思いますよ?」


「聞けないだろう。悲しいことを思い出させてしまう気がする」


「それでもですよ。婚約者なのですから。家族になる方のことは自分の口で聞き、耳と目で相手の言葉と表情を確かめ、そして相手の気持ちを推し量ることが大切かと思います。少なくとも、私はそうしています」



 カニスの言葉にオービスは押し黙る。少し考えて、小さく唇を尖らせながらも頷いた。



「分かったよ」


「ご理解頂けて何よりです、殿下」



 カニスは微笑むと、資料の束を手に退室して行った。スキウルスはその背中を見送ってため息を漏らす。



「全く」



 苦笑いは、柔らかく穏やか。



「本当に、頼りになるな」



 スキウルスは再び窓の外を見下ろす。すると、オービスが顔を上げた。



「そろそろ、話し掛けてもよろしいですか?」



 オービスの声が静かに、けれどよく響く。スキウルスは目を見開きながら、頷いてみせた。



「あ、ああ」


「では、お部屋に伺いますね」



 剣を鞘に戻し、タオルで汗を拭いながら屋敷の中に戻っていく。スキウルスは恥ずかしさに顔を赤くしながらオービスがやってくるのを待った。


 ドアをノックする音が響く。



「オービスです」


「どうぞ」



 オービスは着替えてからやってきた。鍛錬用の薄い服ではなく、普段着ている村人のようなラフな服。どちらも軽装ではあるものの、見れば違うとすぐに分かる。



「突然声を掛けてすみません。こちらを見ていたことには気がついたのですが、すぐにカニスさんがいらしたので。邪魔をするのは野暮かと思いまして」


「ど、どうして気がついたのですか」



 スキウルスは恥ずかしさで動揺し赤くなった顔を隠そうとそっぽを向く。オービスはなんでもない顔で、柔らかに微笑んだ。



「気配を気取ることには慣れていますから」



 どこに誰がいて、何に意識を向けているのか。それを正確に把握するためには普通以上の鍛錬が欠かせない。日々の狩りで得るものと、それ以上の鍛錬。スキウルスは目の前の男に唖然とした。



「オービス殿は、余程腕が立つのですね」


「いえ、私はまだまだです。目標の半分にも到達していませんから」



 オービスの曖昧な微笑みに、スキウルスは手のひらをギュッと握りしめた。



「目標と、いうのは?」



 オービスはその問いかけに目を見開いた。けれどすぐに小さく口角を上げた。



「俺の父です」



 スキウルスが口を開こうとしたとき、オービスは柔らかに微笑んでそれを遮った。



「殿下が俺に興味を持ってくださるとは。嬉しい限りです」



 スキウルスは口を噤まざるを得なかった。オービスの明らかな拒絶に唇を噛む。



「いつか、もっと教えてくださいね」



 スキウルスが絞り出した言葉に、オービスは曖昧な笑みを引き締めた。



「はい。そのときは、よろしくお願いします」



 その真剣な眼差しに、スキウルスは意地悪く微笑んだ。



「心の整理がつくこと、それから、私を信じてくださる日を待っています」



 オービスは目を彷徨わせる。スキウルスがやっぱりというようにため息を漏らすと、オービスは慌ててスキウルスの肩を掴んだ。



「信じていますっ」



 思わぬ勢いと声量にスキウルスの目が見開かれる。オービスはその表情に慌てて手を離した。



「し、失礼しました」



 スキウルスは胸の奥がやけに温かくなるのを感じながら、思わず笑ってしまった。



「失礼なんて。私は貴方の婚約者ですから」



 スキウルスのどこか嬉しそうな明るい笑みに、オービスはしばらくぼーっとした。そしてハッとすると、慌てて顔を背けた。首まで真っ赤にしたまま。


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