第2話 ラナのために


 翌日、オービスは執務室でうんうんと頭を捻っていた。その前には三人の従士。オービスの側近として経理を行う文官であり、ピンパル辺境伯が魔物や隣国に攻め入られたときに自警団を率いて戦う戦士でもある。



「うーん、第三王子との結婚の回避か」


「領主様、勅旨なんだよね? それはもう、決定事項だよ。ラナ様には可哀想なことだけど、回避の仕様がないよ」



 鋭い眼光に似合わない穏やかな口調と低く柔らかく響く声がオービスを諭す。クリオ・トレキシュ。最古参の従士で、オービスの父が領主を務めていたときから従士としてこのピンパル辺境伯領を守っている。現在は従士筆頭として領地のために働いている。



「そうですよ、領主様。ラナ様は、きっと納得するでしょう。ただ」



 茶髪をハーフアップに括った壮年の従士が口籠もる。ネルヴァ・オクトー。小さな緑色の瞳が憂うように揺れた。オービスは小さく息を漏らすと身体を軋む椅子の背もたれに預けた。



「アクイラは、納得できないだろうな」


「はい。最悪、二人で駆け落ちをしようと言い出してもおかしくありません」



 ネルヴァが俯くと、センター分けされた長い前髪がその辛そうな表情を隠す。オービスはその表情を察すると背もたれから身体を起こす。



「それだけは、避けなければならないな。ここから逃げても、王家直属の近衛騎士団なら捜索くらい容易いだろう。反逆罪は死罪だ。そんな危険は侵させられない」


「じゃあ、どうするんすか?」


「それを今話し合っているんだろう?」



 焦ったようなドラコの声に、オービスは苦笑いを浮かべた。一番若い従士であるドラコは、ガシガシと短い金髪を掻きむしりながら考える。



「ラナ様にも、アクイラにも、幸せになって欲しいっすよ」



 自分のことのように苦しそうなドラコの声。オービスは深く頷いて小さく微笑んだ。



「兄として、ドラコのその気持ちが嬉しいよ。そのためにできることを考えよう」


「はいっ」



 二人のその真っ直ぐな瞳に、消極的だったクリオとネルヴァも顔を見合わせた。それから四人で頭を突き合わせて、あーでもないと考え始める。無理かどうかが重要ではなかった。


 どれくらいの時間が経ったか、執務室のドアがノックされた。



「どうぞ」


「入るわね」



 入ってきたのは、カリタス。母の柔らかな微笑みに、オービスは少し肩の力が抜けた。



「皆、ラナとアクイラのために知恵を絞ってくれてありがとう」



 カリタスは恭しく頭を下げた。その行動に従士三人は慌てて跪いた。



「頭を上げて。心から感謝しているのだから。皆には、胸を張っていて欲しいのよ」



 カリタスは青く明るい瞳を細めて柔らかく微笑む。その言葉に、従士三人は素直に立ち上がって胸を張った。満足げに頷いたカリタスの視線が、静かにクリオに向けられた。



「クリオ」


「はい、カリタス様」



 クリオの黄金色の瞳が怯えるように震える。カリタスはそっとクリオに歩み寄る。そしてその手を取って自らの手で包み込んだ。温もりが共有される。クリオを見上げたカリタスは、安心させるようにぽんぽんとクリオの手の甲を優しく叩く。



「大丈夫」



 多くは語らないその言葉に、二人の間には通じる感情がそっと乗せられる。クリオは軽く目を閉じて深呼吸をすると肩の力が抜けた。



「ありがとうございます、カリタス様」


「いいえ。こちらこそ、いつもありがとう」



 二人のやり取りを見ていたオービスは小さく口角を上げた。すると不意に、細い目が見開かれた。そしてクリオを見つめたまま、しばらく硬直した。



「領主様?」



 ネルヴァがオービスの顔を覗き込み、ゆったりと視線を遮るように手を振る。それでようやくハッとしたオービスは、昨夜届いた勅旨をガシッと掴んで読み返す。


 何度か視線が勅旨を辿ると、視線を彷徨わせてぎこちなく笑った。その黒い瞳には迷いと恐れが蠢いている。



「あの、さ。一つ、思いついたんだ。ラナとアクイラが幸せになれる方法を」



 オービスのその言葉に、空気が軽くなる。けれどオービスの表情が晴れないのを見て、誰もが眉間に皺を寄せた。



「オービス。その方法というのは?」



 カリタスが静かに問いかけると、オービスは勅旨を見せた。



「ここには、ラナを婚約者に指名した後、こんな記述があるんだ。なお、当人が既に婚姻関係にある者を有する場合、当人との婚約はなかったものとし、血統が近しい者で代理を立てること」



 王家は全ての婚姻を把握しているわけではない。書類上の申請はするものの、辺境で王家直属の役場へ提出された書類が王家へ配送されるのはひと月先のことになる。もちろん王家からの命令が届くまでの時間は別だが。


 勅旨を覗き込んで、カリタスは唇をキュッと噛んで青い瞳を輝かせた。けれど視線がオービスに向くと、眉を下げた。



「ラナとアクイラを結婚させるの?」


「ああ。二人を引き裂かない方法は、それしかない」



 二人の表情は晴れない。ドラコは二人の様子を交互に見やって、焦ったように地団太を踏んだ。



「方法が見つかったなら、早く二人を結婚させないと。婚約式まであと六日っすよ!」



 オービスは、困ったように微笑んで首を横に振った。



「二人を引き裂かない代わりに、二人が一生離れることができなくなる。まだ若い二人に決断を急がせるのは、良くないだろう」


「大丈夫っすよ。俺とかネルヴァさんだって、十六歳になってすぐに結婚したんすから。そんなに難しいことじゃないっすよ!」



 急かすようなドラコの言葉に、オービスはカリタスに視線を向けた。カリタスは、オービス同様渋い表情で首を横に振った。その様子に顔を顰めたドラコの肩に、ネルヴァがポンッと手を置いた。



「焦らないでください、ドラコ。決めるのはラナ様とアクイラです。二人には二人の考えがあって、僕たちとは違う人間ですからね。それに、ラナ様は貴族のご令嬢です。平民との結婚は一家が白い目で見られる可能性もあるんですよ」



 ネルヴァの落ち着いたゆったりとした語り口に、ネルヴァは毒気を抜かれたように口を噤んだ。けれど腹の虫が収まらないという様子でそっぽ向いてしまった。



「とにかく、ラナとアクイラと話してみよう。話はそれからだ」



 オービスはそう言って立ち上がると、今日も領民たちの手伝いに出かけていったラナを探しに辺境伯邸を後にした。その後ろを静かについて行くカリタス。



「もしもラナが結婚を決めたなら、誰を第三王子殿下と結婚させるつもりなの?」



 カリタスの言葉に、オービスはなるべくおどけたように笑ってみせた。



「そうなったら、俺がラナのワンピースを借りて立っていてやるさ」



 オービスの全てを覚悟したような眼差しに、カリタスは何も言葉をかけてあげられなかった。


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