第6話 妹よ、浣腸しちゃうよ
季節は夏。
保育園には夏休みがない。お盆は流石に休みだが。
この昭和の時代は祝日も少ないからか、令和を生きた俺から見ると、大人はみんな働き者に見えてしまう。
うちの保育園は保母さんの入れ替わりが激しいから、けっこう大変なお仕事なのかもしれない。以前、手抜きしてるとか言ってごめんね。
そんなことよりも、今回はお盆前に夕涼み会というイベントがあるらしい。前世の記憶にはなかった。
これまでも記憶違いが結構あったし、たぶん覚えてないだけの可能性のほうが高い。
町内の夕涼み会なら、小学生の頃から毎年のように出ていたはずだ。夜の屋外に敷物を敷いて、ひたすら飲み食いするだけの会。
そんなビアガーデンのような賑やかな雰囲気が、非日常的でなんか楽しかった。
保育園の夕涼み会なるものは、日が沈みかけた辺りから始まる縁日のことをいうらしい。
聞くところによると、お金を使うお買い物の練習という目的があるそうだ。
浴衣の女の子や先生方、知らん父兄っぽい方々にめっちゃ社交辞令やお世辞を言いまくってたら、けっこうお金がもらえた。
もらったお金は、老後のために美春ちゃんと山分けした。格好つけたら、八百円が二百円になった。女の子はオシャレやメイクにお金がかかるからね。仕方ないよね。
まだ消費税が存在しない時代。縁日は一律百円だから二回も買い物ができた。あと数年で買い物するたび、一円玉が無駄に増えるのか。年は食いたくないな。
お店ではお金を払わなくても、なんかタダでくれる人が多かった。縁日担当の大人を、お兄さんお姉さんと呼んでるだけなんだが。昭和は気前が良い時代らしい。
「おいおい坊主、お兄さんとは失礼だね。あたいはどっからどう見てもお姉さんじゃないか」
「あんまり綺麗だったから、恥ずかしかったんだよ。言わせんな」
「よし、なんでも好きなの持ってけ泥棒!」
昭和は気前が良い時代らしい。
買うだけ買ったら、母ちゃんがそれを持って帰った。もらった焼き鳥の盛り合わせは、親父のおつまみになることだろう。
俺の稼ぎだけど、今世初めての親孝行ってことにしておこう。美春ちゃんにも来年からのために教えておかなきゃね。
この後は、俺と美春ちゃんはお泊まり会に参加する。お泊り会と言ってもやることは、ただ寝るだけ。なんてことはない。
俺も美春ちゃんも夜更かしすることなく、早い時間からぐっすりと眠って普通に朝を迎えた。
いつものように美春ちゃんの髪のセットをしていたら、その後ろに女の子の行列ができていた。
美春ちゃんが離れると、年長組の女の子朋美ちやんが、俺の前に黙って後ろを向いて座った。
同じようにやれということらしい。俺はお前のお母さんか!やるけど。
行列は続く。
髪の短い子は櫛ですくくらいしか出来なかったけど、髪が長めの子は美春ちゃんと同じような編み込みをしている。
後ろ向くとみんな美春ちゃんだ。怖い。
なぜか並んでいた男児は頭を叩いて追い返したからどうでもいいが、女の子にはなかなか好評だったようだ。
もしかすると朝の保育園やお昼寝後の仕事がまた増えるかもしれない。
しかし家に帰還した途端、ホッとしたのか熱が出てしまった。
美春ちゃんには暇つぶし用に縁日でもらったお絵かき帳を献上しておいた。俺が治るまで、お絵描きで我慢しておくれ。
割と早く体調が復活した。
早く熱下げたかったから背に腹は代えられないと思って頑張ったよね、前世から苦手だった浣腸。
だけど今回は様子見として、母ちゃんは一週間ほど休ませることを決めたらしい。しばらくは大人しくしておこう。
布団生活を続けているとそのままお盆休みに入った。寝てばかりだったけど、しっかり休んだら体がすごく軽くなった気がする。
体調は戻ってるはずだけど、今はまだ眠ることを義務付けられた。美春ちゃんとの会話も禁止された。
そんなにたくさん寝れねえよと思ったが、俺の瞼は素直に落ちる。体調は自分が思うほど万全ではないようだ。
でも心が美春ちゃんに会いたがる。
落ち着かない。
布団生活の間、そこにいない美春ちゃんを探し、何度隠れて泣いたことか。これがシスコンというやつなのかもしれないと初めて気が付いた。
寂しさから来るこの依存を、シスコンと軽々しく呼んでいいのだろうか。
今回のケースと同列にはしたくないが、前世では付き合った女が俺に依存したり、逆に俺が依存することもあった。
それって恋人同士ならば、よくある普通のことじゃないのかなと。最終的に、依存された側は疲れて離れるんだけどね。てことは……
美春ちゃんもそのうち、お兄ちゃん離れしちゃうんじゃないか?ま、まずいな。
妹に嫌われる兄と好かれる兄の違いを前世の記憶から分析する。
嫌われる兄か……
あんま聞いたことないな。しかし、好かれる兄なら知っている。総じて優しい。これに尽きる。
「お父さんウザい」なら何度も聞いたことがある。たぶんそれはコミュ障的なものが原因なのではないかと思う。
相手との適切な距離感が理解できていないのがコミュ障だ。たとえ家族でも最近まで親しくなかったら、それはすでに親しい距離感ではない。
それなのに昔の仲良し時代と同じ感覚で、急に接したとしよう。突然の急接近に、びっくりするのは当たり前だ。
それでもしつこく接しようとすれば、キモいしウザいとなるのも必然。本音は違っても、驚いてそんな言葉が娘の口から咄嗟に出てくるのも理解できる。
男女関係に置き換える。
別れた元カノや元彼が、幸せだったあの頃を思い出し、付き合ってる時や付き合う前のように振る舞って復縁を迫る感じ。
ウザいというよりも怖いな。ホラーだ。
だが、この問題に関しては宿題にした。適切な距離感は難易度が高い。俺から言わせると、最初から距離感近すぎるコミュ力お化けもコミュ障だし。
世の母親を見習うのが効率的かもしれない。母娘の関係は少しくらい離れてても、お互いに嫌わないことが多い。
娘が反抗期でもブレない態度で向き合うとか。そんな感じのコツみたいなもんがあるかもしれない。難しく考えすぎだろうか。
お盆休みの最後に、ようやく俺は布団から解放された。
そして美春ちゃんと再会というか、会ってはいたけど禁止されていた会話とスキンシップができるようになった。
俺たちは素直だからダメと言われたことはやらないし、ダメと言われそうなことは隠れてこっそりやる。バク宙の練習とか。
妹を前にして、その元気のない様子が少し心配だった。
俺は嬉しいのに美春ちゃんは嬉しくなかったの?と。しかし、ちょっとやつれているようにも見えなくはない。
「美春ちゃん、なんか疲れてない?」
「お兄たん……」
彼女はよろよろと近付いたかと思えば、ポスッと俺の胸に倒れ込んだ。
一瞬、風邪が感染ってしまったのかと思ったが、ただ抱きついてるだけのようだ。
回り切ってないその腕は、もう離さないとでもいうように力がこもっている。可愛い。
「またたくさん遊ぼうな。美春ちゃん」
「……」
返事はない。
だが、その小さな手に込められた力は、しばらくの間緩むことはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます