第5話 妹よ、ようこそ監視社会の教室へ
目覚めると、そこは家の布団の中だった。
時計はいつもよりも早い午前五時。雀やどっかで飼われてるニワトリが今日も元気に鳴いている。
とりあえずトイレや洗顔、歯磨きを済ませると、髪を七三に整える。
正直、髪形を気に入ってるわけじゃない。昭和の子供は七三にしとけば、なんか育ちがよく見える。
この髪型の時は、普通に挨拶するだけでも、大人から過剰に褒められるから不思議だ。ほっぺにチューももらいやすい。
仏壇に手を合わせるのも毎朝のルーティーン。
前世に残してきた両親が、幸せに過ごせていますようにと祈っておく。いつの間にか、タイムリープしちゃった俺の願い。
死んだ人ではないから仏壇へ祈るのはちょっと違うけど。それでも、俺は一人っ子だったから願わずにはいられなかった。
学芸会は終わったが、保育園には代休がなかった。学校とはその辺が違うようだ。
月曜日は平日。親御さんも仕事があるし、園児も普通に登園する。
たとえ休みだったとしても、俺の場合は母の監視が厳しいから、保育園の方が気が楽だ。休みなんてなくてもいい。
いざ保育園に来てみれば、俺たち兄妹は園児たちの人気者になっていた。
モテモテだ!ハーレムだ!しかし、寄って来るのはほぼ男児……
アクロバティックなあれが衝撃的だったらしい。俺も気持ちはわかる。
前世で初めて見た時は興奮したし、自分もやってみたいと思ったものだ。
今世では体が柔らかくケガもしにくい幼児期に、布団の上でバク転やバク宙を練習して今に至る。
両親はまだ知らないが、美春ちゃんもバク転くらいはできる。
「もう一回やって見せてよ」
「あれをやったのは俺じゃないんだ」
学芸会で見せたアクロバットはイカの怪人であって俺じゃない。だから諦めろ。
「ミハルちゃん、くるくる回ってた。どうやるの?」
「くるくる回る床に乗っただけ。ここの床は回らない」
美春ちゃんには俺が教えたパフォーマンスを、人前で簡単に見せてはいけないと言い聞かせてある。
ケガのリスクもあるし、下手すりゃ家計の負担にもなる。妹に甘いお兄ちゃんだが、そこだけは許可できなかった。
学芸会でも許したわけじゃないが。
美春ちゃんが嫌いな振り付けの代替案を言っちゃった時に、なんか許可したことになってたらしい。
終わったことだし、そこは俺も忘れることにした。
しかし子どもはしつこい。
面倒だから、明日やってやると言っておいた。明日になったら、その日の明日に伸ばすから問題ない。そのうち忘れるだろ。
「お兄たんいいの?」
「大丈夫だ。問題ない」
「だめよ!」
俺の思惑は保母さんたちには通じない。
その日、彼女たちは俺たち兄妹に四六時中熱い視線を向けていた。
いつまたあのパフォーマンスをやってしまうのか気が気じゃない様子だ。
やる気なんてないから安心してほしいと言っても、どうせ信じるわけないから放置した。
美春ちゃんも面倒なことになってしまったと、今では反省しているはずだ。
翌日もモテモテの俺たちは、園児にリクエストされるが、明日明日〜で切り抜ける。
面倒だが、引き延ばし大作戦で凌ぐ毎日を送っていた。
三日も過ぎたある日。
「本当はできないんだろ!」
誰も得しない煽りが目立つようになってきた。俺がすることは「そうだよ」と言うだけ。
結局、一週間も経たずに、園児達の興味は他のことに移って行った。子どもなんてそんなもんだ。
俺の人気が陰りを見せると、当然厳しかった監視の目も緩み始める。監視があろうがなかろうが、俺は変わらない。
美春ちゃんは、教室で密かにムーンウォークの練習をしていたけど。お兄ちゃんは、来年の学芸会を楽しみにしているよ。
束の間の人気者を経験した結果、同世代の年長組から話しかけられることがちょっぴり増えた。
でも何言ってるかわかんないから、そうだね凄いねって返事をしておく。正直、話しかけてくるのが男ばかりでうんざりだ。
突然だが、夏を前に『遠足』という一大イベントが開催されることになった。
本当に突然だ。俺も今朝まで知らなかった。
遠足の目的地はかなり近場の公園だった。幼児が歩けば十分くらいの距離。
交通量は少ない。それ故に乗用車ならスピードを出しやすい道路を横切るようなコースだ。
大丈夫だとは思うが、美春ちゃんは俺が絶対に守りたい。そう思ってたんだけど、妹のいる年少さんは行かないらしい。
俺の所属する年長組と、ひとつ下の年中組だけの遠足だったようだ。
知らぬ間に母のお弁当がカバンに入ってたのはそういう意味だったのかと、出発直前になって初めて理解できた。
あんなくそ不味い給食から逃れられるのなら、毎日でも遠足がしたいものだ。
「お前手洗った?」
「帰ってから洗うんだよ」
何が悲しくてどこ弄ったかわからない男児と手を繋がなきゃいけないのだろう。すぐに着くと言っても、なんかね。
可愛くなくてもいいから、どうせなら女の子と手を繋ぎたかった……
目の前にいる同学年の美少年テツは、昨日学芸会の合唱で俺の隣にいた可愛い女の子と手を繋いでいる。
前世の記憶。
俺はなぜどうでもいいことばかり覚えているのだろう。この二人は親同士も仲が良くて、もちろん初恋同士だった。
その女の子本人から聞いた話。恋多き俺には、どれが初恋だったのかわからなかったからちょっと羨ましい。
公園に到着すると、仲の良い同士でグループを作れと言われてしまった。
仲良くないけど、まだ人気が残ってた俺に子供達は群がって来る。ぼっちを覚悟してたからちょっと嬉しい。
カップルのはずの女の子もこっち来てる。それいいのか?と思ったらちゃんとテツもグループに入っていた。
そりゃそうだよね。舌打ちなんかしてないもん。
「じゃあ、ヨシミ君。いつもの落語お願い」
「落語じゃねえし」
遠足来ても読み聞かせの仕事をさせられたが、慣れたものだから思うことはない。
親戚がうちに来た時は、子どもたち相手に三時間以上ぶっ通しでさせられたこともある。それに比べたらまだ楽だ。
和物、洋物、動物物、お化物、オリジナルと適当にやりきった。
途中でお弁当食ってる奴ら相手に、腹ペコのまま喋ってる俺はこの世の理不尽に苛ついた。
が、別嬪な保母さんからご褒美にほっぺにチューをいただいた。だから問題ない。
雲を眺めながらぼっち飯を楽しんでいると、犬を連れた爺さんに子供達は群がっていた。
俺と手を繋いでいたガキがめっちゃ撫でてるけど、さすがにその手は繋ぎたくないな。俺、犬嫌いだし。
「ヨシミ君もみんなと一緒に遊ぼうか」
「まだ食ってる途中なので」
「お弁当箱、空っぽだよね」
「余韻がまだ残ってるから」
「……」
世話を焼く人材が足りなかったのか、別嬪じゃない保母さんに話しかけられたが上手く躱した。
しかし、本日二度目の別嬪な保母さんによるほっぺにチューで、仕方なく子供達の相手をすることになった。
前世の俺はいったい何をどうやって乗り切ったのだろうか。
とりあえず楽そうだから、ぼっちを見つけそいつの真似をしてみた。うんこ座りしながら虫を見てるだけ。簡単なお仕事だ。
ボーッと見ながら時間が過ぎるのを待つが、飽きるなこれ。ベンチで空を見てるほうがまだましだ。知らぬ間に夢の扉が開くから。
「そろそろ離れよう。虫が見られすぎて緊張してる。あと十分見れば死んでしまう」
「え! そうなの?」
「そんな動きしてるだろ。誰でもわかる」
「わ、わかった!」
俺にはわからないけど。
これで仕事はしたはずだ。そろそろベンチへ……と思ったら、知ってる人が近くを歩いているではないか。
「お姉さん何やってんの? 俺は遠足」
「あら、ヨシミちゃんじゃないの。遠足良いわねえ」
「年長組は年中組のお世話係なんだよ。どうせなら、お姉さんの世話係になりたい。おむつ替えてやろうか?」
「そ、それはまだ早いかなあ。じゃあ、大変だろうけど頑張ってね。応援してるから」
「またねえ」
セクハラという概念がまだない時代だけど、あんま楽しくなかったな。どこが楽しいのかさっぱりわからん。
公園に戻ると三つのグループにそれぞれまとまって分かれている。ボール遊びをしているところに行ってみることにした。
ところで、その小汚いカラーボールはどこで拾ったのかな?家から持ってきたんだよね。そうだと思おう。
「へいへい、パスパース!」
子供は素直だ。ちゃんと俺の声に従って投げてくれる……明後日の方向に。
下手くそとは遊びにくいな。というわけで、ボールを拾って投げ返した後、違うグループへと向かう。
美少年テツが率いられた女の子グループは入りにくい。おままごとだし。途中から入ると難易度高めの役を押し付けられそうだ。
というわけで、ここもパス。
残りは先生方のいる年中組だけのグループ。ダメだな。まとまりがない。あんなとこ入ったら良いように手伝わされるだけ。
所詮、俺は読み聞かせ以外は価値のない男。読み聞かせと美春ちゃんを取ったら、ぼっちでしかない。暇だ。帰りたい。
おままごとグループの隅で、こっそりしていた一人遊びにもすぐに飽きた。
「やった! 3ポイントだ」
妥協して、結局ボール遊びのグループにまた参加してしまった。
俺が天高く投げたボールを拾った奴にポイントをつけてやると、いつしかそんな遊びになった。
年長組しかいないこのグループは、投げるのも下手だが、取るのも下手くそ。取るだけなら犬の方が上手い。
人間様にも見習ってほしいものだ。
しかし無情にもその時間は短く、遠足はタイムオーバーとなってしまう。最後だけちょっと楽しかった。
小学校の低学年の帰宅時間と遠足の帰りが一緒のタイミングだった。
ちょうど出会してしまったのは、同じ集合住宅の子どもだ。隣の隣に住んでる子だから、知らんぷりもできない。
「ヨシミちゃんどこ行ってきたの?」
「遠足。ラジオ体操の公園に行ってきた」
「おお、いいな! 俺もちょっくら行って来るぜ」
「おい、こら。その前にランドセル置いてこいよ。て、聞いてねえし……」
そんなやり取りを終えると、園児達の注目を集めていることに気が付いた。てか、めっちゃ見て来る。
無言だし、ちょっと怖い。
「ど、どうした?」
「小学生と喋ってた……」
ここの園児たちにとって、小学生のお兄さんは憧れの存在らしい。
前世でもこの頃は小学生うぜぇとしか思わなかった気がする。お遊戯の練習してたらめっちゃ大声で揶揄われてたから。
この園児たちのように、前世の俺にも憧れの人なんていただろうか?
今世ではそんな人に是非とも出会いたいものだ。
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