姫を見守る静かな日常


隠れ家の庭は、春のやわらかな陽射しに包まれていた。

木漏れ日が芝を照らし、小さな風が花弁を揺らす。


イエレナは石のベンチに腰かけ、膝に本を広げていた。

時折、文字を追う指先が止まり、咲きかけの小花に触れては「きれい」と囁く。

その声に応えるように、花びらがふるりと震えるのを見て、彼女は小さく微笑んだ。


少し離れた場所では、ギウンが屈んで草むしりをしていた。

器用な手つきで次々と草を抜きながら、時折「ふぅ」と息をつく。

その背中を横目に、アウルは椅子に腰かけ、無駄のない動きで剣を拭い、刃を研いでいる。

刃に映る自分の表情は険しいが、その瞳は常にイエレナの姿を追っていた。


「姫さんがこうして笑って過ごせるのも、不思議なもんだな」


草を束ねながら、ギウンがぽつりと漏らす。

その声音には、どこか安堵と切なさが混じっていた。


「……不思議ではありません。我らが命を賭してでも守るべきお方です」


アウルは視線を刃から離さずに答える。

その言葉は硬質だったが、胸の奥には静かな温もりが滲んでいた。

彼にとってイエレナは、かつての主が託した“希望そのもの”なのだ。


イエレナは二人の会話に気づいたのか、顔を上げてにこりと笑った。


「ふたりとも、ありがとう」


その小さな一言に、二人の胸は同時に熱を帯びた。

守ることが務めであるはずなのに、

その笑顔に救われているのはいつも自分たちの方だった。



◇ ◇ ◇



そのとき、ふっと風が揺れ、背後から足音が近づいてきた。

二人がはっとして振り返ると、セレストが立っていた。

白銀の髪が光を受けて揺れ、瑠璃の瞳がやわらかに細められている。


「……随分と、頼もしい護衛を得たね」


冗談めかした声音に、

ギウンは「ははっ」と笑い、アウルは眉をひそめる。


「イェナを想う気持ちが、あまりに真剣で……まるで僕の立場がなくなりそうだ」


その言葉に、ギウンは「まさかぁ」と肩をすくめ、アウルは堅苦しく答えた。


「セレスト様のおかげで、今こうして姫様を守れているのです」


セレストはくすりと笑って肩を揺らすと、イエレナのもとへ歩み寄った。

彼女の頭の上からそっと覗き込み、柔らかな声で問いかける。


「なにしてるの?」


イエレナは少し驚いたように目を丸くし、本を胸に抱え直して答えた。


「……お花の図鑑を見てたの」

「そっか」


セレストは短く応じ、その声音に微笑みを含ませる。

彼女もつられるように、恥ずかしそうに笑みを返した。


その様子を横で見ながら、ギウンがぽつりと呟く。


「……アズベルト様がこの光景を見たら、きっと喜ぶだろうな」


神妙な面持ちで言いながらも、

脳裏にはクシャっと屈託なく笑う兄王子の顔が浮かんでいた。


「茶化す、の間違いですよ」


アウルは小さくため息をつきながらも、苦笑を零す。

それを聞いたギウンが「そうだな、あの人らしい」と笑い返すと、アウルの口元にもわずかな笑みが生まれた。


庭に満ちる空気はどこまでも穏やかで――

風が木々を渡り、花びらがひとひら、イエレナの膝の上に落ちる。


それを見つめて、セレストが静かに呟いた。


「……こうしていられる日々が、長く続くといいね。」


誰も返さなかったが、三人の胸には同じ想いが宿っていた。

それは、リリュエルが訪れる前の、静かで幸福な日常のひとときだった。




(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る