Memory1「わたしの願い」
最近、わたしと柊ちゃんは家にこもってばかりいた。それもそのはず、季節は六月……そう、梅雨真っ盛り。
今日も外では土砂降りの雨が降っている。外で遊ぶのが大好きなわたしも、さすがに外に遊びに行く気にはなれなかった。
あまりにも暇なので、わたしはカーテンの中に入って大きな窓にもたれた。こうするとお日様の光がいっぱい浴びられて気持ちいいから、普段からよくやっている。まぁ、今日は雨だから浴びられないけどね。
雨に濡れる小さなお庭を見ながら、ふと柊ちゃんとの思い出を辿ってみた。先月は柊ちゃんと四葉ちゃんとわたしで遊園地に行った。楽しかったからまた行きたいな!
その前は……楽しくて温かったけれど、あまり思い出したくない。柊ちゃんに対して、ひどく申し訳なくなるから。
◇
柊ちゃんと同じように、わたしも昔のことをあまり覚えていない。というか、自分がどんな存在なのかもよく分からない。
でも、ある日突然、暗い世界に来た記憶はある。暗い世界とはいっても、別にそこは怖い世界ではなくて。ママのお腹の中にいるってこんな感じなのかなぁ、って思ってたっけ。
それと、わたしは外の世界で生きている人間とは違う存在で、魂の波長が合う人間の体を乗っ取らないと生きられないということが、その世界にいた頃からずっと本能的に分かっていた。
そんな世界でわたしは、柊ちゃんを見守っていた記憶が薄っすらとある。でも具現化した時にその時の記憶は全て忘れてしまったので、結局柊ちゃんが今までどう生きてきたのかは分からない。うーん、残念だなぁ。
──確かにその世界は怖くはなかった。けれど、ただ柊ちゃんを見守ることしかできなくて、時間の流れもよく分からなくて……とにかくつまらなかった。だからわたしは外の世界で生きたいって、何度も何度も願った。
そしてその願いは、ある時突然叶ったんだ。
◇
「あれ……ここは……?」
いつも通り暗い世界にいたわたしは突然、目が開けられないくらい眩しい光に包まれた。その光が消えると、いつの間にか外の世界に立っていた。
「うっ……うぅ……」
「……泣き声?」
そこで聞こえてきた小さな泣き声に反応して、わたしの猫耳がぴんと立った。辺りを見渡すと、わたしがいる場所が小さな部屋であることが分かった。置いてある家具はテーブル、座椅子、ベッド。たったそれだけ。
(まぁ、そんなことはどうでもいいか。わたしはこの世界で生きたい。──例え、この世界で生きる人の体を乗っ取ってでも)
せっかくのチャンスを無駄にしないように気を引き締めながら、わたしは再度辺りを見渡した。すると、ベッドで掛け布団を被って、仰向けで眠る女の子を見つけた。
女の子は眠りながら静かに泣いていた。どうやら泣き声の正体はこの子だったらしい。……そしてわたしは、すぐにとあることを理解した。
(この子だ。この子の体を乗っ取れば、わたしはこの世界で生きられる……!)
そう。“魂の波長が合う人”とはこの女の子なのだと、わたしの本能が叫んでいた。わたしはこの女の子を乗っ取ればこの世界で生きられることを、すぐに理解したのだった。
わたしの願いが変わったのは、その瞬間のことだった。
「っ、いたた……!」
突然、すごく頭が痛くなった。今までに経験したことがないくらいの痛みだった。あまりの痛みに声が声にならない。何もできないままその場でうずくまっていると、頭の中ではっきりと笑い声が聞こえた。
『──ふふっ』
それと共に鮮明に浮かんだのは、5歳くらいの女の子。肩まで伸びた黒い癖っ毛の髪に、輝きの少ない紺碧の瞳。……あぁ、この子は。
「柊、ちゃ……?」
冬乃柊ちゃん。そうだ、この子はわたしの唯一の親友だった。……それを認識した瞬間。
『あなたのお名前は……?』
『こっちだよ、フェリス……!』
『絵本、読んであげる……!』
『戴冠式、しよう……! 私とフェリスがお互いを、忘れないように……!』
鮮明な映像と音声が瞼の裏で流れ始めた。そしてわたしは、柊ちゃんと過ごした記憶をいくつか思い出した。
(そうだ……なんで忘れてたんだろう。わたしと柊ちゃんはお互いが大好きで大切で、一番の親友だったのに……!)
いつの間にか溢れていた温かい涙を拭いながら、わたしは柊ちゃんとの思い出を二度と忘れないように抱きしめた。そうしている内に、いつの間にか頭痛は治まってきていた。
(……あーあ。お互いを忘れないための儀式──戴冠式までやったのに、結局忘れちゃってたんだなぁ)
ここでわたしは、自分の願いを思い出した。そう、柊ちゃんを乗っ取ってこの世界で生きようとしていたことを。……そして、そんな自分が心の底から嫌になった。
(いくら魂の波長が合ってるからって、柊ちゃんを乗っ取るなんて絶対にダメだ。そんなことしたら、柊ちゃんが生きられなくなっちゃうから……)
しかし、わたしの中にはとある直感があった。
(でもきっと、わたしと魂の波長が合う人なんてこの世界にほとんどいない……何となくそんな気がする。どうしよう……)
泣き声に混ざる苦しそうな声に、わたしは顔を上げる。
(柊ちゃん、うなされてる……悪い夢でも見てるのかな。……窓、開けておいてあげよう。換気したら気分が良くなるかもしれないしね)
そう思い立ってまずカーテンを開けると、お日様の光が部屋中を照らす。振り返ると、柊ちゃんは眩しそうに顔を顰めていた。
「この窓、重いなぁ……よいしょ、よいしょ……」
それから、重い大きな窓を一生懸命開けた。わたしの力で窓がゆっくりと、しかし確実に開いていく。そしてやっとがらがらと音を立てて窓が開き、部屋に優しい春風が吹き込んできた。
すると、ベッドからもぞもぞと音がした。いつの間にか柊ちゃんの泣き声は止んでいた。
「──すぅ……はぁ……」
柊ちゃんは上半身を起こし、胸に手を当てて深呼吸を繰り返している。長い前髪からちらりと覗く、夜空のように暗い青色の瞳に輝きはない。
「……ふぅ」
どうやら完全に目が覚めたみたいだ。わたしは、背中に暖かい風とお日様の光を受けながらにこりと笑った。
「えへへ……やっと会えたね、柊ちゃん!」
驚いた様子で目を見開いてわたしを見つめる柊ちゃんに、わたしはそう言ったのだった。
◇
それから。柊ちゃんに一日無視されたり、その様子からして柊ちゃんがわたしのことを覚えていないというアクシデントが起きたりしたけど、わたしは柊ちゃんと仲良くなれるように頑張った。
頑張った結果が出たのか、その日のお仕事の帰り道で。柊ちゃんはやっとわたしの方を見てくれた。
『……私は、冬乃柊。よろしく、……フェリス』
『うん——うんっ!!』
あの時。柊ちゃんが改めて自分の名前を教えてくれて、再会してから初めてわたしの名前を呼んでくれた時。わたしは本当に嬉しかったんだ。……少し、泣いちゃいそうになったくらいには。
わたしは最初、柊ちゃんを乗っ取ってこの世界で生きたいと願っていた。でも、柊ちゃんとの記憶を思い出し、一緒に過ごして一日目には。
──柊ちゃんと一緒にこの世界で生きていたい。そしてこの世界で出会った女の子、朝比奈四葉ちゃんを助けたいという、二つの願いができたのだった。
わたしがなぜこんなにも四葉ちゃんの力になりたいのかは、自分でも分からない。ただ、最初に出会った時、あの子にものすごい親近感と温かさを覚えたんだ。そして柊ちゃんと同じように、ひと目見た瞬間に名前も分かった。
(あの子は──朝比奈四葉ちゃん)
『さすがに分かんないか。幼稚園一緒だった、朝比奈四葉。……覚えてる?』
(……やっぱり)
互いに携帯電話を取り出して何かをやっている柊ちゃんと四葉ちゃんを見ながら、わたしは考えた。
(四葉ちゃんを見ていると、柊ちゃんとは違う温かさを感じる……どうしてだろう? それに、何か大切なことを忘れているような……)
その疑問の答えは出ないまま、柊ちゃんと四葉ちゃんは別れた。わたしは慌てて柊ちゃんを追った。四葉ちゃんにまた会えるといいな、と思いながら。
それから柊ちゃんにお願いして、わたしは柊ちゃんを通して四葉ちゃんと関わることができるようになった。関わっていくうちに、四葉ちゃんが何かに悩んでいることに気が付いた。
そしてわたしの中に“朝比奈四葉ちゃんを助けたい”という、二つ目の願いが生まれたのだった。
柊ちゃんと出会って一日目の夕方、柊ちゃんが夜ご飯を作り始めた。わたしも手伝おうとしたけれど何の役にも立てないことが分かったので、仕方なく部屋に戻って考え事をしていたのだった。
(柊ちゃんだけじゃなくて、四葉ちゃんっていう子とも仲良くなりたいな。それに、わたしが何を忘れているのかも気になるし!)
朝比奈四葉ちゃん。見た目はちょっと派手だけど優しさが滲み出ている、お日様みたいな笑顔が素敵な女の子。そう、わたしは柊ちゃんだけではなくて、四葉ちゃんにも惹かれていた。床に尻尾をぺしん、ぺしんとさせながら、わたしは考え事を続ける。
(柊ちゃんとの記憶は少しだけど思い出せたのに、どうして四葉ちゃんとの記憶は一つも思い出せないんだろう。そもそも四葉ちゃんに感じている温かさも気のせいなのかなぁ……)
すると突然、カランと音がした。音がした方向を見ると、いつの間にか柊ちゃんがドアを開けて立っていた。音の正体は多分、柊ちゃんが持っているお皿の上のお箸が転がった音かな。
「柊ちゃん! ……あ、何でもないよ。ちょっと考え事してただけ!」
そう言ってわたしは、きょとんとしている柊ちゃんに笑いかけた。そして、決心した。
(……わたしがいつまでこの世界で生きられるかは分からないけど──終わりが来るまで柊ちゃんと一緒に過ごして、四葉ちゃんとも仲良くなる! これが今のわたしの願い!)
◇
それから色々あって、今に至る。柊ちゃんと四葉ちゃんに出会ってからもう二ヶ月も経つんだ、早いなぁ。……それにしても。
(柊ちゃんを乗っ取ろうと思ってたこと……謝った方がいいよね?)
そうだ。一日目の朝──柊ちゃんとの記憶を思い出すまで、わたしは柊ちゃんを乗っ取ろうと思っていた。ちょうど魂の波長が合うからという、たったそれだけのふざけた理由で……わたしは柊ちゃんの未来を、命を奪おうとしていたんだ。……わたしは、最低だ。
(でも、それを明かして……柊ちゃんに嫌われたらどうしよう)
柊ちゃんに嫌われることを想像しただけで、胸がぎゅっと締め付けられた。いや、嫌われるだけならまだ良い方で、このお家を追い出されても文句は言えないだろう。
(こんなわたしは──柊ちゃんと一緒にいて、いいのかな)
カーテンの裏で雨音を聞きながら、わたしは静かに膝を抱えたのだった。
◇
わたしはカーテンの裏からのそのそと出て、ひんやりとした床にぺたりと座り、テーブルに置かれたメモを眺めた。
『スーパーに行ってくる。すぐ帰る。余計なことしないで待ってて』
これは柊ちゃんが残していった書き置きだ。お昼寝して目が覚めたら、柊ちゃんがこんな紙切れ1枚に変わっていた。悲しい。
わたしは書き置きからふいっと目を逸らし、誰もいない部屋を見渡した。暇を潰すついでにこの寂しさを紛らわしてくれる、何かこう、面白い物でもないかな、と思いながら。
「まぁ、そんなのないよねぇ……柊ちゃん趣味とかない、し……。——あっ!」
何気なく“趣味”と口に出してから、わたしは思い出した。ちょっと前、柊ちゃんのお仕事の帰り道で、柊ちゃんがテレパシーで少し照れくさそうに教えてくれたとあることを。
『適当に絵を描いてただけ。……はい、これでいい?』
そうだ、柊ちゃんは絵が趣味だと言っていた。そしてその翌日には、わたしにシャーペンの使い方を丁寧に教えてくれたんだよね。柊ちゃんとの思い出がふわりと頭の中に広がって、わたしは心が温かくなるのを感じた。
そしてとあることを思いついたわたしは立ち上がり、拳を握って高く上げて言った。
「よーし! 柊ちゃんに教えてもらったことを活かして、シャーペンで上手にお絵描きして——柊ちゃんをびっくりさせちゃおう! おー!!」
こうして、わたしの秘密の作戦が始まったのだった。
「えーと、紙は……柊ちゃんの書き置きの裏に描かせてもらうことにして~。後は、描くもの……。……柊ちゃん、どこにシャーペンしまってたっけ?」
それから家中を探しても、描くものは見つからなかった。秘密の作戦はもう諦めるしかないかなぁと考えていると、収納が目に入った。確かあれは、柊ちゃんが出掛ける時に服を取り出している所だ。
もしかしたらあの中に、描くものが入っているかもしれない。……でも。
(勝手に開けたらダメだよね……? うーん、でも、開けちゃダメとも言われてないし、いいのかな……?)
結局。わたしは少し迷った後、誘惑に負けて収納を開けた。そして暗いその中を探って見つけたのは、シャーペンと白くて薄い謎の機械。その機械には、手のひらサイズの丸く白い機械がコードで繋がれていた。
──シャーペンだけ借りて絵を描いていれば、何も起きなかったのに。……柊ちゃんに、あんな顔をさせずに済んだのに。わたしは好奇心に勝てなくて、謎の機械を触ってしまった。
テーブルに機械を置いてぱかっと開き、びっしりと並ぶボタンを適当に押していると、機械の画面が光った。すると青い画面に「ようこそ」と書いてあったので、わたしはとりあえず「こんにちは!」と言ってみた。
画面が切り替わった。綺麗な風景の写真の上に、小さな絵が並んでいる画面だった。小さな絵の下に小さく文字が書かれていたけれど、見たことのない漢字や英語ばかりでほとんど意味が分からなかった。
小さな絵の下の文字を読んでいると、一つの文字に目が留まった。
「……死?」
薄黄色の四角い絵の下に、『死』とだけ書かれているのを見つけた。
——死。それは良くなくて、とても怖いこと。そしてその文字が、柊ちゃんの物であろう機械の中にあった。……これは、考えたくもないけれど……まさか。
(柊ちゃん、死んじゃうの……?)
わたしは気持ちが落ち着かず、ほとんど無意識に機械のボタンを押したり、ボタンの下にあるサラサラした場所を撫でていた。画面の中で白いものが動いた。どうやらサラサラした場所を触ると、画面の中で白いものが触った通りに動くらしい。
わたしは直感で『死』に白いものを合わせ、サラサラした場所をぽんぽんと叩いてみた。するとまた、画面が切り替わった。
その操作を繰り返して、わたしは『自殺』という行為を知った。自分で自分を殺す、という意味のようだ。他にも色々な言葉があったけれど、読めない言葉や意味の分からない言葉ばかりだったから、分かったことはこれくらいだった。
(柊ちゃんが、自分で自分を、殺す……ってこと? なんで、なんで、なんで……)
その答えを知りたくて、わたしはもう一度サラサラした場所に手を伸ばした——瞬間。
「フェリ、ス……?」
震えて今にも消えそうな声が、聞こえた。
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