第12話 戦間

 賓幕の宴は、サンセンのレマルドゥイ将軍の奮戦を称え褒めそやすところで、一旦の終幕とした。列席者のうち、なお酒が恋しい者は居残っていたものの、招き主のエイラーンカイラル王も王太子ラルスも退き、瑛の諸将が後を引き継いで援軍将帥らをもてなしていた。

 セイゼの王客弁士シエイス・メレは、瑛将の麗しきリーン・アレルナが国王や王太子に一拍置いて退出しようとするのを目ざとく見つけ、酒宴の幕外でちょっかいを続けようと、そそくさ立ち上がろうとした。先ほどは王太子ラルスの女舞にはぐらかされてしまったが、かほどの佳人を見過ごしにするのは余りに惜しいと、勝手に戯れ心を募らせていたのである。が、

「いや、さすがは六朝にその名の鳴り響く御方」

「豪宕流麗なる弁舌の妙味、ぜひぜひ御教授願いたし」

 瑛の諸将がわらわらとその袖にすがってきて、メレを離そうとしなかった。無論誰も彼も、先ほどの王太子の奮闘に触発され、酒でメレに組打ちしてきたに相違ない。

「さあさあ、もはやわが君らも去り、座は堅苦しいものから改まれば、男どもこぞりて無礼講と参りましょうぞ」

 瑛の老将バスデフが鎧はおろか鎧下も脱ぎ捨てて、皺腹見せて半裸となり、蛸がうねるような珍妙な踊りを披露しては、猥歌を口ずさんだ。一人寝男の持て余しを卑猥な歌詞と仕草とで歌うもので、露骨な言葉が飛び出せば聞き入る男どもは腹を抱えて大笑いし、とてもとても、国王臨席の場などで口にできるものではない。

 貴種の生まれなどでなく、だからこそ平素の生活を貴種めくことに徹してきたメレは、瑛の猥雑ぶりに心底呆れ、閉口した。その空いた口に、諸将めらはひっきりなしに酒を注いでくる。

(呆れた肘鉄だ)

 うめき声を出す前に酒を押し込まれるような格好で、メレの戯れ心は酒に漬けられ揮発させられた。

 一方、

 退席した国王父子に野外で追いついたリーンは、カイラル王とラルスとに交々礼を申し述べた。

「お救いいただき、誠にありがとうございました」

 鈴音のような声色に、カイラル王は微笑んだ。

「つまらん席につきあわせ、気苦労をかけたのはこちらの方よ。それからラルスは、舞いのひとさしくらい、もっと上手くこなさねばならぬぞ」

 倅をそうからかうと、ラルスは胸を張った。

「下手踊りも詐略のうちでありますよ。メレ殿はあれで十分毒気を抜かれておられた」

 長身のリーンが瞳に情感を宿して少年を見やった。カイラル王は哄笑した。

「ラルスも大事ないとこ姉をあんな長舌おしゃべりにかっさらわれては、たまったものではないからな」

「まったくそのとおりです」

 澄まして少年はうなずいた。

 カイラル王はリーンの陣までラルスや供回りを見送らせ、自らも自分の幕屋へと赴いた。

 簡易な組み立ての屋根壁で建てられ、天幕を周囲に張り巡らせた幕屋には、か細い明かりが灯され、既に次幕接待役の宰相メセディン・アルダンが待っていた。    

 既に側近から、賓幕での顛末を聞かされていたようである。軽く王に一礼すると、アルダンは早速切り出した。

長舌おしゃべりめが、リーン殿に戯れたとか」

 カイラル王はうなずき、この近臣の前では取り繕う必要もなしに苦さを声色に存分に乗せた。

「浅ましいものだったわ。リーンには気の毒させた。ラルスが機転をきかせて、なし崩しにしてやったがのう」

 アルダンの腰かける座に対面して座り込み、信を置く腐れ縁の宰相の返答を待つと、この股肱は王に対して意外なことを口走り始めた。

「いっそ、長舌おしゃべりめにリーン殿を嫁がせ、錆でなく我が国の番犬としてつなぎますか」

 カイラル王は絶句し、しばし言葉を失った。

 ややあってようやく、

「あんな口先だけの男にかね。それはならんよ」

 アルダンは苦笑して主君をからかった。

「陛下、娘を嫁がせるのを渋る父親のご心境ですな」

 馬鹿を言えとぼやきつつ、宰相の言葉を否定もできぬとカイラル王は思った。

「まあ、とはいえ確かに、あれはな、あのは、あの困った姉のメルティアの子ゆえなあ。姉が身勝手にもあさっての男の方に飛んで行って、亭主とあのを捨て去ってしまった。それがなければ、身を着飾って幸せな家庭を得るも容易に適ったかもしれぬ。それを思うと、わしには娘もおらぬせいか、ついつい我が子のようにも思えてしまうのは否めない」

 一国の王が首をすくめる。

 王とは、ひとつの国の全ての人間の長である以上、身内ばかりを過度に哀憐するようではならない。そうあってしまうと、国の中に心情の親疎を育み、やがてそれは隔たりへと熾っていく。それは人間らしさや人間臭さと相反するものであるのだが、その孤独を堪えるのが君主のあるべき姿であると説かれる。カイラルは凡庸なりとても一国の王である。そんなことは十分にわきまえていた。とはいえ、

「リーンは哀れゆえな」

 ついついそんなふうな庇護心を内に浮かべてしまう。姉メルティアが臣下筋に降嫁した以上はその子のリーンも臣籍であり、傍系連枝の王族とは一線を画さねばならないところではあるのだが、それでも凡夫のカイラル王は、哀れだ気の毒だとついついリーンを娘のように錯覚してしまっていた。ラルスがリーンに懐き、姉弟同然に睦んでいるのを眺め、いい光景だと満足しているところがある。

 無論、近臣のアルダンにはそのような機微はわかりきっていた。その偏愛を君主のたしなみにもとると指弾されてしまうと、カイラル王としては首をすくめるしかない。

 ただし諸事厳しく細かくしつこい辣腕の宰相ではあったが、リーン一身への感慨については、この頑固者も主のカイラル王と実は大差がないのであった。不憫、というならば確かにそうである。

「陛下のお気持ちは、わしとてようわかるつもりですわ。リーン殿は物心つく前から苦労をされてきた。並の王族の方々のように乳母日傘の歳月の後に列国に嫁がれ、我が国と他国との絆としてお勤めをいただく、というのは、確かに忍びない方」

 本音でもって全く同調しつつ、言いにくいことも申し添えるのが辣腕家の彼であった。

「とはいえ、まああの浮薄な長舌おしゃべりに嫁すかはともかくとして、ご妙齢ではある。国外か、国内化はさて置くにせよ、いずれは誰かに嫁がせねばならなくなります。そしてそこにはどうしても我が国瑛の政略も大なり小なりつきまとって来る。臣籍とはいえ王家のお血筋の方。なまじな相手ではその重みを受け止めきれますまい」

 それからアルダンはざっと、シエイス・メレという弁士を瑛の縁続きにして番犬とすることの余波を語った。

 メレは錆王バレセウムが相当に入れあげ、信任している王客である。列国に知れ渡るその関係性に向かって、瑛が彼を王族の縁続きとして引き入れるとなると、当然ながら錆王は不快がるだろう。

長舌おしゃべりを引き入れる弊害は、錆との関係性の悪化を招き寄せます。そして、その弊害を圧して余りある有益性があるかというと」

「そこまでの男ではなさそうではあるなあ」

 カイラルの言葉にアルダンはうなずいた。

「率直に言って、もしリーン殿を嫁さしめるとすれば、それはリーン殿が辛い思いを味わって苦労する、その苦労損ということになるでしょうな」

「何だ。駄目の一手ではないか」

 カイラル王はひとしきり笑った。アルダンはその王をちらと見上げた。

「ただし、陛下のありもしないご意向を、ちらと錆の方角に匂わせ、錆王近辺を焦らせるということはいささか妙味もあるでしょうな」

 謎かけのような言葉にわずかにカイラル王はうなり、程もなく領解りょうげした。

長舌おしゃべり個人には恩義を売りつけておいて、長らくの貸しを作っておくということか」

 メレは野心家である。なまじ平民の出であるために、身を綺羅で飾りたいと切望している。また悪いことに耳目を集める弁才があるのは事実で、自負も承認欲求も濃密であるがために、錆もその処遇に困って王客などという中途半端な待遇を与えて泳がせているところであった。そこに、今般の戦勝で瑛王が彼に惚れこみ、瑛の王族を嫁さしめることを望んでいるなどとささやかれてしまうと、錆としては焦る。適当な錆の王族の娘でも見繕って、瑛に先んじて彼を王家の縁続きにしてしまおうと思いきる公算が高い。それは、メレの野心にかなう。

 メレは軽薄もいいところだが、馬鹿ではない。瑛が自分の歓心を得るために降嫁工作をやる、その恩恵をたちどころに勘定できるだろうし、その値の分だけ瑛に好意も感謝もくれるだろう。

「おまけに、錆の王族の姫をもらえる可能性があると彼奴もわかれば、他国で浮気沙汰など起こしてはいられなくなりますな。これにてリーン殿へのちょっかいも幕引きと相成ります」

 見事だと、カイラル王は手を叩いて喜んだ。

「明日、感状を書いて渡そうと思っていたが、その話、それとなく匂わせる文面とする。露骨すぎると見透かされるから、仕掛けは入念にさりげなくであるな」

 アルダンは幾度かうなずいて賛意を示した。そして、そこから表情を改めた。

長舌おしゃべりの始末はそれでいいとして、いい機会でもあることゆえに、陛下のお気持ちを確かめたいところでありますが」

「なんだ。思わせぶりなじじいめ」

「リーン殿、嫁がせるならばいっそラルス殿下に、というのはいかがなものでありますか」

 カイラル王は息を飲んだ。それから、意図的に自らの呼吸を整えた。

「それは、うん、血が近すぎよう」

「先例はいくらかございます」

「確かに系譜を手繰れは、先例のひとつふたつはあろうがなあ」

 目を閉ざし、思索する。群臣は賛否に分かれよう。メルティア王女の醜聞は知れ渡っている。その娘が王妃への階梯を進むとなれば、反発も反感も少なくは見積もれない。それこそ王の偏愛と指弾する声も出てくるだろう。その中で、ラルスとリーンは公の務めを果たし、私として幸福たりえるか。「難しい話だし、うっかり他の者に漏れせぬ事柄だわの」

 王のつぶやきに、宰相はうなずいた。

「もし、ラルス殿下と、というご意向を陛下がお持ちであれば、よほど性根を据えて国内の根回しを行う必要があるゆえ、こうやっていい折にと密談申し上げております」

「それはそれで、確かにあの二人には幸福のひとつのかたちではあろうがな。しかしまあ、王などという位置からすれば、王太子の婚姻はやはり列国の姫君を迎え入れるというのが無難だろうと思える。次の代の王として、異国の后共々、一国を背負い苦労をせねばならぬからな」

 アルダンは王意を呑んで点頭したものの、自分でも王の判断に納得できるかできないか、何とも判別がつかない思いを抱えはした。

 何が正解であったか。何が正しかったか。歳月と経験を積み重ねても最後のところはわからない。忸怩たる思いもひとつやふたつではない。或いはこのこともその中に含まれるようになっていくのかもしれない。そうでないかもしれない。

 まとまらぬ思念の霧をかき分けながら、自分の想いを確かめるようにして、ぽつりぽつりとアルダンは主君に語った。

「これから、戦間期になっていきます。われらはウルヴァールに致命打を与えられなかった。迂もまた我らを打破できなかった。この先互いに、再戦の日をにらみながら、その日のための備えを凝らしていくことになります。われわれは、それまでに様々な備えを張り巡らしていかねばならない。ただ単に直截な戦の準備だけにとどまらぬでしょう」

 敢えて具体的なことは口にせず、アルダンは語り、語りながら自分の感慨を味わった。カイラル王もまた同様の様子であった。曖昧にうなずき、いくらかそこに嘆息を織り交ぜた。物言わぬ君臣二人の脳裏に、気鬱な未来の姿がうたかたのようにいくつも浮かんでは無残に弾けた。

 野外では、リーンの宿幕へ無事送り届けようと、ラルスが近臣数人と共にひょこひょこ伴って歩いていた。リーンは、いかに睦まじい従弟とはいえ主筋のひとにそのような真似をさせられないと恐縮したが、ラルスは姫君を護持する騎士の心意気というよりも、甘ったれな弟のような様子でついてくる。リーンは苦笑した。横並びに歩くのを躊躇して数歩下がろうとしても、ラルスはすぐにひょこひょこ横に立った。少年臭さがいつまでたっても抜けない。そのくせ、年々身長は自分の丈に迫る。本営のそこここにあるかがり火の灯影が、そんなラルスの姿を揺らめきながら照らした。

 天には星界がその姿を存分に広げていた。半月が煌々と輝く分だけ、星影はその力を損ねてはいたが、それでも、トハの地は闇に沈んでその赤色を潜め、星々の光は白く研ぎ澄まされていた。

 ラルスは笑った。

「父上は、おしゃべり弁士殿から学べなどとおっしゃっていたけれど、あんな口説き方はまるでなっていないなあ」

 リーンは端正な相貌を崩して笑い声を上げかけ、口元を慌ただしく抑えた。

「リーン姉は、本気で嫌がっていたものね」

「顔に出ておりましたか?」

「ものすごく露骨に」

 そうからかってくるラルスへの返答代わりに、リーンは軽くこつんと肘でラルスをつついた。ラルスは子供っぽい笑い声を響かせた。

「ラルス様、助けてくださってありがとう」

 ささやくような小声で、リーンはそう語った。笑顔でうなずき、歩きながら大きく伸びをして、ラルスはまた、自分勝手に一人ひとしきり笑った。

「ほったらかしていたら、リーン姉がおしゃべり殿をぶった切ったかもしれない」

 またリーンが肘でラルスを小突いた。

「そんなことはしません。剣舞を披露しようとしただけです」

「未遂だ」

 邪魔をしないようにいささか離れて伴っていた近臣らは、仲の良い二人を邪魔しないようにして、交々忍び笑った。

 頭上の星界ばかりは、今が無限であるかのように輝き広がっていた。リーンはふと、そちらに目をやり、今という時がどれほど途絶えないのかを不確かに思った。

 夜は静かに、何事もなく、ただ刻限ばかりを進めた。それまでトハに満ちていたあらゆる剣呑さは散って、緊迫する馬のいななきも馬蹄の轟きも一切が生じなかった。穏やかな夜だった。

 その夜が明け方に座を譲り渡し、目覚めの早い者が曙光に向けて次々に起き出していくと、トハの地も白々とした淡い光彩を緩やかに払い、常の殺伐とした赤土の姿を回復していった。馬番は飼葉や水を配し、炊煙がひとつ、ひとつと次々に立ち上っていく。

 戦場の、仮の寝床でカイラル王も目覚めた。だが、慌ただしく起き出すことをせず、定めた刻限に従者がやって来るのを横たわって待った。余計な気を遣わせぬためであった。程もなく時が来た。従者が洗顔たらいに水を張って寝所のほど近くに侍り、声色を整えて扉越しに王を呼んだ。カイラル王は起き抜けの声を敢えて出して応答し、入室を促してたらいを受け取った。

 身なりを整え、本営の天幕へと行き、麦を軟らかく煮た簡素な食事を手早く済ませてしまうと、面談の求めを従者が取り次いできた。錆の王客弁士メレの求めであった。カイラル王は鷹揚にうなずいて承諾した。やがてメレが姿を見せた。カイラル王は吹き出しそうになるのをこらえた。

(色男が、何とも形無しであるな)

 昨夜あの後で散々に飲まされたか、頭髪からして力なく枝垂れ、面相はやつれて血色乏しい。戦のあとで天はありがたくも静謐な朝をもたらしてくれたというに、どうやらこの長舌おしゃべりばかりは二日酔いの響きが脳裏を駆けずり回って大騒ぎのようだった。

「賓客は酒の方も豪儀でいらっしゃるなあ。瑛の酒を随分と聞し召したかのようで、何よりだて」

 そうからかってやった。昨晩は倅の方が肘鉄を担ってくれたが、王にも王の意趣返しの気分があった。メレがのこのことやってきてくれて、好機到来というところであった。

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