第11話 微酔

 酒宴のために、天幕が新たに建てられていた。

 エイラーン王カイラルが自ら宴主となって増援列国の主将副将らを招く賓幕と、列国のそれ以下の将領らをもてなすための瑛宰相メセディン・アルダンが宴主となる次幕がそれである。

 宴客は、戎装も解かずただ兜は自陣に置き去りにして、宵闇を待たず次々にやってきた。誰もが疲れていたが、表情には安堵と笑みがあった。トゥールのゼラウム将軍とサンセンのレマルドゥイ将軍は入り口で鉢合わせ、互いに面白くもなさそうな顔つきで目礼だけを行い、節度を保った。セイゼの王客弁士シエイス・メレは、凱旋の際同様に女物のうちぎをかぶり物のようにしてやってきた。

 瑛側も、もてなす側として、主要な将領は賓幕に、次席の面々は次幕に詰めた。瑛の軽騎兵の将にして王族のリーン・アレルナも賓幕の末席に集っていた。鎧姿、髪ばかりは結いなおしたが、化粧もないのにその相貌は白珠のようであり、衆目を自ずから集めてしまう美しさを宿す姿であった。

 宴席は、上座を祭壇に当てている。天界の神々との交信、その象徴的な役割を担うのが祭壇で、小気味よく用意された色とりどりの果実や小麦を練り固め焼き上げた様々なかたちの菓子、トゥクタミ湖で漁師が釣り上げた見事な魚の干姿も大皿に盛られて祭壇に置かれていた。それらは神々への報謝の証であり、更なる見返りを願い求める人の浅ましさの餌でもあった。

 祭壇の傍らにはささやかすぎる小炉があり、炉番が前に座って神妙な顔つきで香を焚いていた。体内を清めていくような清爽感のある薫香は、だが、それ以上の脂の焼ける香ばしい匂いに押され気味であった。戦勝の宴のために屠られた子羊の焼ける匂いであった。

 子羊は、男ら数人に取り囲まれ、仰向けのまま持ち上げられて四肢を抑え込まれた。それでも子羊は己の命運を悟ってできる限り身をうねらせ、ひねって、命運に抗った。男たちは手際よく小刀で子羊の肉皮の合間に切れ目を入れ、そこに手を突き入れると、跳ね上がる子羊の心臓への血管をちぎり、血を地に落とさぬようにしながらその気息を絶った。そうやって皮を剥がれ首を分かたれた子羊は、まず神々への捧げものとして賓幕の傍らで、焼き目をつけてじっくりと焔に炙られていた。臓腑を抜いた腹の中には代わりに玉葱や大蒜、韮の類が香草と共に詰め込まれ、肉身が炙られるのに熱され、脂身や肉汁に浸されて旨味を羊肉に運び届けていた。

 早くも、ロンルを編んでしつらえた座は諸将によって満たされた。神祭の衣服に改めたカイラル王が嫡子たる王太子ラルスを伴って賓幕に姿を見せたのは、それゆえに予定の刻限よりも早まった。

 王が入り来て、座の客人たちからは歓声が上がった。カイラル王は異国の将帥らに会釈をしながら祭壇の前に進み、金銀調製の祭具と供物が並べられた祭壇を介して天界の神々に額づいて拝礼した。

 従者が大皿に子羊の丸焼きを容れて捧げ持ち進み、従者から王の傍らの王太子ラルスへと皿ごと手渡された。父王が拝礼を終えるのを見計らってラルスは羊肉の大皿を父王に捧げた。カイラルはひとつうなずき、ラルスに大皿を床土に置かせるやその前に膝立って、従者の捧げ渡してきた大包丁で肉身をいくつかのかたまりに切り分けた。神々が恩寵として下賜されし獲、それをいただき、列する諸人に分けて配するのが、この地に人が目覚めた古いころの王の役割であった。それを象徴的に伝承する五色に則って、カイラル王はいにしえの王たち同様に、此度の戦の戦果を象徴する子羊を裁断した。といってそれは儀式であるだけに、最初のふたつ、みっつという切れ目ばかりのことであり、程よいところでカイラルは料理人に後を委ねた。客人をもてなし、心地よく酔ってもらうのには、料理の味わいも見た目も大事となる。そこを損ねてまで儀式に貫徹させるのではなく、程よくかたちと実態との調和を整えるのというのが国王稼業の機微だと、カイラル王はよくわきまえていた。

 次々に従者らが宴のための料理を運び込んできた。宰相アルダンの迅速な差配で、羊肉牛肉だけでなく、新鮮な魚肉も瞬く間に運び込まれ、香草などと共に巧みに取り合わされ、香しく焼かれていた。

 目まぐるしく従者らが立ち回り、諸将に配膳された玉杯に酒を注いでいく。瑛は渡来の種の葡萄の産地であった。食味よりも酒にして芳醇の種が好適の地である。秋に湖畔が冷気を呼び寄せてくると、葡萄の粒に糖度が凝らされいい酒ができる。迂王ドメネウ・ナルサが喉から手が出るほどに欲する銘酒がそれであった。もっとも、葡萄の出来栄えでは列国に優越する瑛ではあったが、醸造では肩を並べられても蒸溜の技法となるとどうしても錆に数歩も劣った。錆はこの知識技術を門外不出として、他国はおろか王城の外にさえ出さす、王国直下の蒸留所で酒を作り、王城の地下通路の暗所に酒樽を積み上げて秘蔵していた。

 その味を、錆の王客弁士アルレル・メレは知っている。酒が行き渡り、カイラル王の音頭に諸将がこぞって乾杯と叫んで一献飲み干すと、メレもまたそうしたが、ぬけぬけと1杯丸々飲み干して笑みを浮かべつつも、どこかに錆の美酒との味わいを飲み比べ、瑛酒の健闘を認めてやるという傲慢さを表情の片隅に漂わせてもいた。

 その彼も、佳肴の方にはけちがつけられない様子だった。酒や脂料理のほどの良さを見計らって、従者が柑橘や瓜といった季節の果実を口の休みに運んでくる。それでますます酒食が進む。心地よい酩酊感に遠路の労苦も吹き飛んだ。

 元々自制心などさほどでもないこの弁士は、この座の主人たるカイラル王を眺めやった。小柄な中年男が転がるようにして、列国諸将のあちこちをひっきりなしに訪れ、武勇を称え救国の感謝を繰り返していた。

(威厳も何もあったものではない。小国の王は難儀なものよな)

 多少とも内心に嘲弄の気分がのぞく。もっとも、この場のその態度こそ最適解であるというのを、この弁士も十二分に理解していた。迂の脅威は失せていない。列国との絆を思慮なく断つような振る舞いに及べば、明日にも王は王たる実態を失い、国のすべてを迂兵に蹂躙されていても不思議ではないのである。

 メレは嫌らしい笑みを口元にだけ浮かべ、カイラル王に追従する瑛王太子ラルスの横顔を見物した。あの倅、親父に言い含められてきたな。メレにはそれが滑稽だった。ラルスは不器用でないにしても、少年であるゆえに、その挙措の作りものの様子はメレのようなしたたかな手練れには一瞥で容易に看破できる。

(親父に何を教え諭されたかさえ、当て推量もできそうだわ)

 そんな皮肉な観測は、酒の肴に頃合いの香辛料のような楽しさであった。

 実際に、そのとおりだった。

 宴の直前、ラルスはカイラル王と別幕での次席接待を担う宰相アルダンの大人二人から、念入りに説教を受けていた。

「よいか、ラルスよ。列国諸将の機嫌を取り結び、いい気分で酒を飲んでもらう。そのために我らは寸毫の手違いも油断もあってはならぬ」

「はあ」

 ラルスは不服従ではないにせよ、どうにもそれが茶番に見えてくる。そもそも酒を飲んで馬鹿騒ぎ化をするよりも、やりたいことややらねばならないことが山ほどもあるはずだ。しかし父王も宰相も酒宴が最優先事項だと断言する。

「増援の諸将は、我らが直接論功することはできない。といって、何の報いもなく身を傷つけ命を捨てさせるわけにもいかない。この宴が終わればわしは夜なべして主だった諸将へ感状を書き記さねばならん。彼らに持ち帰ってもらって、帰国後彼らの王からそれを元に論功してもらうためにな。宴はその前渡し、約束なり確認よ」

 まめなことであった。しかし、こういうわけであるから瑛に列国からの援軍が円滑に向けられる。信義というものの恩恵であった。

「それに、信義というのは、人のよさばかりではないですからな。列国諸将が、いや瑛は居心地のよき国と感じ入ってくれれば、彼らは帰国後にわが国の重要な理解者となってくれるだろうし、故国に居心地が悪くなれば我が国へと逃げ出してくるかもしれぬです。信義も友愛もそう見れば十分な術数であります」

 宰相アルダンの露骨な言葉にカイラル王は顔をしかめた。

「本当に逃げてこられたら、それは困ることだぞ。向こうにいてくれれば食扶持は各々の国が出してくれるが、逃げてこられたらこちらが扶持せねばならぬではないか」

 どこまでが冗談であるかはさて置くにせよ、ラルスは父王と宰相の言葉に従順に従い、見習いの気分で父王の背中にくっついて、諸将慰撫の手並みを見学した。

 カイラル王は褒め上手であった。下品な追従などとは思わせもせず、いかにも感じ入ったように相手の活躍を称えるのが上手かった。多少とも戦果が見栄えしない者には、その所以を徹底して武運のためとした。今回はいささか武運の日当たり悪く、次の戦ではその分日当たりも良くなりましょうという具合である。

 無論、褒められた相手も気分を良くするが、酒席での戯言と素面になって掌を返されないために、それとなく、たしなみを保ちつつも、感状への記しを尋ねてくる。

「もちろんじゃ。書きましょうとも。書きましょうとも。喜んで書かせていただく。記すことこそわが誉れじゃ」

 嫌な顔ひとつ見せず、こんな調子であった。

 いい国王のようで、そうではない。カイラル王は王で、内心で舌を出している。論功するのは自分でなく、諸将それぞれの主君王である。必然的に功ある者に恩賞を授けるのも彼ら各々の王となる。

「他人の財布を大盤振る舞いしおって」

 列国王はカイラルのおだて上手に舌打ちするのだが、カイラルはそれを知ったうえで小気味よくおだてを連発していた。吝嗇な王ならば、桶の底に穴を開けて喜んでいる邪気のようなのが瑛のカイラル王であった。

 そのあたりの茶番ぶりも、錆の王客弁士メレにはお見通しであった。

 軽薄であるが怜悧である。だからこそ、列国間を使いして強大な迂に対する合従を提唱し、弁名をたからしめようなどと余計な野心に物狂いしている。そのメレのところにもカイラル王とラルスが満面の笑みでやってきた。

「錆の国賓、英傑の手腕かくやとばかりのお働きのおかげあって、われら親子の首もどうにかつながりましたわい」

 どっと酒を注がれ、囃し立てられて飲み干し、酒の若干の若さを内心で論評する表情を浮かべつつ、弁士は答礼代わりにラルスの戦功を褒めてやった。

「王太子殿下も緒戦で華々しくお働きあったと聞き及んでおります。瑛の行く末めでたきことでありますな」

 カイラル王は哄笑した。

「児戯でござった。子供のいたずらに迂の大熊が引っかかってくれただけでしたわ。ただそれだけのことで、いたずら坊主の悪さというに尽きますな」

 ラルスは、図ったが否か、いくらかぼんやりした表情でうつむいていた。それを見やって、挙式は見せず心のなかでメレは嘲笑ったが、カイラル王はその僅かな機微をそれとなく察し、内心でほくそ笑んだ。「……誠に、まだまだ小僧っ気の抜けない倅でありましてな。英傑たる貴殿から僅かでも学んでほしい。凡夫の父親としての切なる願いですな」

 へりくだると、メレは酒のせいもありいささか調子に乗って、ご自慢の大陸知識を披露した。史伝にある、誰それの功名、誰それのしくじりと、すらすらと鮮やかに史実を開陳し、鋭く痛快な論評を加える。カイラル王はさも感嘆という素振りで聴き入り、ラルスの方は父親のように食えないはらわたを培うには至っていないので、やはりいくらかぼんやりとした相貌でうなずくばかりであった。

 そのうちにメレは、カイラル王の肩越しに視線をやった。その先には戎装に長い髪を垂らしていくらか物憂げな表情でいるリーン・アレルナの姿があった。

 カイラル王はメレの好色そうな視線に気づき、内心でいくらか、しまったと思った。諸々不本意な過去が積み重なって彼女をさして日の当たらぬ境遇に置いてはいるものの、カイラル王にすれば自分の娘のようにも感じられる掌中の珠である。口ばかり達者な他国の弁士に妙な心の矛先を向けられるなどはたまったものではなかった。

「いや、あれは、臣籍にあれど王族の者でしてな」

 それとなく身分を出し、慎めと言外に告げたつもりが、メレの図々しさはそのようなやんわりとした掣肘を受け付けなかった。

「妙なるかな。何とも麗しい佳人ではないか。凛として勇ましきが実によい。かくの如き人をこの場に侍らせるなど、御国は心憎いですなあ」

 敢えて察しが悪い素振りで、リーンを酒席に活けた花のように見て取った。カイラル王はむかっ腹が立ったが、どうやって肘鉄を与えようかと口ごもっているうちに、無粋な酔客は座からやおら立ち上がり、傍らに置いていた女物のうちぎをさっと握った。

「そこな麗しき方、この遠国の珍客めに、ご尊名をお教え願いたい」

 不躾にそう音声おんじょうする。

 リーンは横目から、体の向きをメレの方に改め、深々と一礼した。

「瑛の宮牧ヴァンス・アレルナの一女、リーンと申します」

 切れ長の瞳から、長いまつげがこぼれる。脂粉の欠片もないのに、かえってその様子が色香を誘った。リーンにはそんなつもりは毛頭ないのに、周囲の男どもは勝手に彼女から色香を探し、色香を感じて喜ぶ。

「麗しき御名、さてもこの佳人に似つかわしき。願わくばめでたきこの宴に、佳人の舞いを一手所望いたす。さあさあ、美しきをお見せたまえ」

 リーンは表情を謹厳さから更に消し込んだ。瞼がいくらか下がる。

 幼き頃、愛憎のはざまで母親が別の男に奔った。その空漠と父親の苦悩の中で息を潜めて育ったリーンは、色恋沙汰も嫌悪したが、この場のような戯れも生硬に忌避してしまう心情を抱えていた。

 無論、カイラル王をはじめとする瑛の国情、立場も十分に理解している。王がへりくだって列国の将領らを接待して回る意味も必要性もわかりきっている。しかし、それでも胆汁のような苦さが内からにじみ、身と心とを強張らせた。

「不束者、芸なき武人にて、舞のたしなみも持ち合わせず、座興ともならず、どうぞご容赦を……」 

 しかし錆の王客弁士は態度も神経も図太かった。リーンの謝絶をまるで意に介さずに、

「何と謙譲な佳人かな。かえってそこにたしなみの深さを見て取り、感じ入る次第であります。さあさあ、出し惜しみなどなされるな。ここに舞うに似つかわしきうちぎもございますゆえな。ひとさし、ひとさし。舞いにて生ず列国諸将の親和こそ、神々も大いに嘉し給いましょうぞ」

 男というものの審美に扉を閉ざし、内心手厳しいリーンは、嫌悪する型というものばかりは存分に培われている。図々しきはその中でも屈指だった。やれというならば、いっそ剣舞でも見せつけてやろうかと肩をいからせたときに、彼女の視界にひとつの身姿がさっとよぎった。

「ならばひとさし。国賓、大いにお楽しみくだされ」

 さっとメレの手からうちぎをひったくるや、敢えて婀娜に肩にかけ、そのくせ表情はどこか間が抜けている。やや小柄。王太子ラルスであった。

 ひょうと飛び、くるりと回り、足取りを見せつけて列席者の手拍子を誘った。列国諸将は王太子の酔狂に大いに喜び次々に手を叩き、やがてそれがきれいに揃うと、ラルスは女踊りを舞った。

 芸としてはもちろん拙い。女のつもりで舞いつつ、仕草は女を表現するに遠く及ばず、舞いそれ自体もどうにか手拍子の律動を踏み外さないというだけで、足取りも指先もぎこちない。造る表情からして女の挙措を拙く模倣するので真剣にやるほどに滑稽味ばかりが湧き出てくる。が、表情はいかにも楽しげで、悠々としており、それがかえって座興として妙味であった。

 メレは大いに笑い、王太子ラルスの拙い芸を堪能した、という姿を露骨に見せた。内心は面白くもない。そしてそれ以上に、

(鞘当てでそうしたにせよ、この小僧はなかなかの胆力ではある)

 ラルスという少年の値踏みに忙しかった。

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