第5話 レンズの向こう — Beyond the Lens

 時間を見つけては、俺たちは互いの部屋を行き来するようになっていた。

 どちらの家でも、会えば必ず触れ合った。ソファでもベッドでも、隙間を埋めるように身体を重ね、呼吸を重ねる。最初はぎこちなかった仕草も、今は自然になってきていて、相手の反応を確かめることさえ愉しみに変わっていた。

 それでも、熱に溺れるたびに「これでいいのか」と小さな不安が胸をよぎる。俺たちの関係は、まだ誰にも言葉にして説明できるものじゃない。けれど日常の細部に、確かに積み重ねは刻まれていた。


 ある日の夕方、仕事帰りにふらりと陽翔のスタジオへ寄った。

 数日前、「ロケ前のテスト撮影があるんだ。良かったら見に来て」と陽翔に軽く誘われていたのを思い出したからだ。最初は遠慮しようかと思ったが、「来てくれたら安心する」と言われた一言が、どうしても頭に残っていた。

 だから終わる頃を狙って、そっと顔を出してみたのだ。


 照明が落ち着いたスタジオの中で、陽翔はカメラの前に立っていた。白いシャツにジーンズという何気ない格好なのに、スポットの光を浴びると妙に絵になっている。


「いいね、その角度。その笑顔で」


 カメラマンの声に合わせて、陽翔が少し頬を緩める。

 シャッター音が軽快に響くたび、周囲のスタッフも和やかに笑い合っていた。その中に女性モデルの姿があり、彼女が陽翔に何か小声で話しかけると、陽翔は気さくに頷いて微笑んだ。

 その光景を見た瞬間、胸の奥に鈍い棘が刺さった。


 何でもない笑みのはずだ。現場の空気に合わせただけ。頭ではわかっているのに、心が追いつかない。

 ——俺が知っている笑顔が、誰にでも向けられている。

 理屈では片付けられず、ただ苦い感情が腹の底に広がっていく。


 撮影が終わると、陽翔がこちらに気づき、嬉しそうに手を振った。


「悠真! ちょうどよかった、今終わったとこ」


 無邪気な声に、棘を抱えたままの俺は、ぎこちなく笑い返すしかなかった。


 片付けを手伝い終えた後、陽翔がスマホを取り出した。


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「今日の写真、データもらったんだ。見る?」


 画面にはさっきの笑顔が並んでいた。光を浴びた横顔、真剣な眼差し、ふとした仕草。客観的に切り取られた陽翔は、俺の知る彼よりもずっと大人びて見えた。


「どう? 変じゃない?」


 自分の顔を照れくさそうに見せながら尋ねる声は、いつもの陽翔そのものだった。

 胸の奥のざらつきが、返事を遅らせる。


「……悪くない」


 短く答えると、陽翔は安心したように笑った。その笑顔さえも、写真と重なって胸をざわつかせる。

 メイクをしているせいか、陽翔の顔は、いつも以上に一般人離れしていた。


(本当にいつか…芸能界に入って遠い存在になるのかも…)


 そうすればきっと、俺のような一般人には手の届かない存在になるだろう。

 さっきの女性モデルのような綺麗な人が、陽翔の隣に立つのかもしれない。


「……」


 俺は自分でも驚くほど、些細なことで嫉妬していた。

 触れ合うときの吐息や熱を知っているのは自分だけだと、無言で信じていたのに。レンズを通した彼の表情に、俺の知らない顔が映っている気がしてならなかった。


************


 その夜、俺の部屋で並んで座ったとき、とうとう口が勝手に動いた。


「……撮影で笑ってた顔、ああいうの、他の人にも普通に見せるんだな」


 自分でも子供っぽい言い方だと思った。けれど陽翔は驚いたように目を瞬き、すぐに真顔になった。


「悠真が見てるから、ああいう顔になったんだよ」

「俺が?」

「だって、見せたいのは悠真だけだから。写真も、最初に見せたいのは悠真だけ」


 あまりに真っ直ぐな言葉に、息が詰まった。嫉妬で膨らんでいた胸の熱が、一気に別の熱に変わっていく。


「……馬鹿だな」

「どっちが」


 ふっと笑い合った瞬間、すれ違いの影は薄れていた。


 それでも、不安が完全に消えたわけじゃない。これから先、陽翔の世界はもっと広がっていくだろう。彼が誰かと並んで笑うたび、同じ感情が胸をかすめるかもしれない。

 けれど、今はそれでいいと思えた。嫉妬も、すれ違いも、全部抱えて前に進めばいい。


 気づけば陽翔が俺の肩に頭を預けていた。


「今日、疲れた?」

「ちょっと。でも……こうしてれば大丈夫」


 囁く声が耳に触れる。心臓が跳ねて、胸の奥のざらつきは溶けていった。


 夜の静けさの中で、俺たちはただ隣にいる。

 時間があるたびに身体を重ね、言葉を交わし、互いの温度を確かめていく。嫉妬や不安さえも、この関係を実感させる一部になっていた。

 写真の中の陽翔も、目の前の陽翔も、俺だけが知っている。そう思えるだけで、少し救われるのだった。


*************


今回のお話は、YouTubeで配信している楽曲「レンズの向こう — Beyond the Lens」にリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてくださいね♫


♫「レンズの向こう — Beyond the Lens」はこちら⇒ https://youtu.be/36bfS3qgV9k

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