第19話 聖女の存在

「おはよう、クロード」

「おはよう、セシリア。いってらっしゃい」

「うん。いってきます」


 王都へ行く前にクロードと毎朝ただ挨拶をするだけ。

 それだけなのに、以前とは違って気持ちが明るくなった気がする。


(よし。頑張ろう)


 セシリアはそう意気込んで、気持ちを新たにして王都へと向かうのだった。



 ◇



「食事もドレスも装花も決まったし、あとは招待客への手土産などを決めるだけだね。いよいよ、あともう少しで結婚式ができると思うとワクワクするよ」

「そうですね。とっても楽しみです」


 毎日ライオットの接待のようなデートも最近は慣れてきた。

 ライオットはセシリアが喜べば満足するようで、セシリアはどこへ行ってもなるべく大袈裟に喜んで見せるようにしていた。


(大丈夫。上手くこなせてる)


 そう自分に言い聞かせながら、セシリアは毎日を過ごす。

 実際ライオットの思い通りにさえ過ごしていれば、今まで感じていたストレスもだいぶ軽減されていた。


 このまま波風立てずに平凡な毎日が過ごせればきっと大丈夫。セシリアはそう思っていた。


「お姉さん! お姉さん!」


 ライオットと王都内を歩いているとき、五歳くらいの小さな少女に呼び止められる。

 セシリアが振り返ると、少女はセシリアの持ち物らしいハンカチを持っていて、どうやらその子はセシリアの忘れ物を届けようとしてくれたようだった。


「あら、届けてくれたの? ありが……大丈夫!?」


 感謝の言葉を言いかけたタイミングで、少女が何かに躓いたのか思いっきり転ぶ。

 セシリアはすぐさま駆け寄るも、勢いがついていたせいで盛大に転んでしまい、少女はわんわんと泣き出した。


「痛いよー! 痛いよー! うぇーーーーん!!」

「そうよね。痛いわよね。よしよし。じゃあ、おまじないをしましょう。ほら、痛いの痛いの飛んでいけ〜」


 セシリアが掛け声と共に治癒の魔法をかけると、みるみるうちに塞がっていく傷口。

 そして、すぐさま何事もなかったかのように綺麗さっぱり傷がなくなった。


「うわぁ! すっごーーい! お姉さん魔法使いなの!?」

「いいえ、魔法使いではないわ。私は聖女なの」

「わぁ〜! 聖女様! 聖女様ってすごいんだねー! もう全然痛くないよ!」

「そう。それならよかった。さっきはごめんなさいね。私のハンカチを届けてくれようとしたせいで」

「ううん。もう痛くないから大丈夫! 聖女様、どうもありがとう!」

「こちらこそ、ハンカチを届けてくれてどうもありがとう」


 少女はにっかりと笑うと、そのまままた駆けていく。

 その背を微笑みながら見送っていると、隣から不機嫌そうな気配を感じて思わずそちらを向けば、なぜだかライオットが不機嫌を露わにしながらこちらを見ていた。


「ライオット様? どうかなさいましたか?」

「セシリア! どうしたもこうしたもないよ! 何であんな子供にキミの特別な力を使ったんだい!?」

「え? えーっと、私は聖女ですから、聖女として当然のことをしたまでですが……?」


 聖女の仕事は主に結界と防御と治癒の三つ。


 魔獣を退けるための結界、魔獣から身を守るための防御、そして傷を癒すための治癒である。

 応用として魔獣を拘束することもあるが、あくまで応用……派生の魔法だ。


 そのため、この三つが聖女がしなければならないことなのだが、その内の一つである治癒をライオットから咎められて理由がわからずセシリアは困惑した。


「何を言ってるんだい!? セシリアは聖女である前にこれから王族になるんだよ? そう易々と一国民にその特別な力を使ってはダメだよ!」

「ですが、それは聖女の理念に反します。目の前に困っている人がいるなら救うべきかと」

「そんなことしてたらキリがないじゃないか。王族は大勢の民のことだけ考えていればいい。依怙贔屓だと言われてしまうからね。だから、例え目の前で誰かが怪我しようが病気になろうが、それはわざわざ王族がやることじゃないんだよ」

「そんな……」


 ライオットの言い分が理解できない。

 王族が人々を平等に扱わないといけないというのは理解できる。


 だが、だからといって目の前にいる助けを求めてる人を助けてはいけないというのはセシリアは納得できなかった。


「やっぱりセシリアが聖女であることはよくないね。もう辞めてしまってもいいんじゃないかい? 聖女なんてしなくても、セシリアはじゅうぶん魅力的だし。だからもう、聖女なんて辞めてしまえばいいよ」

「どうしてですか。先日は私の意思を尊重して、聖女を続けてもいいとおっしゃっていたじゃないですか」


 キッパリと言い張るライオットに、食い下がるセシリア。

 王族になるなら聖女を辞めろと言われても、セシリアにとって王族よりも聖女であるほうがずっと大事なのだと、どうしてもそこだけは絶対譲れなかった。


「気が変わったんだ。それに、セシリアは優しすぎるから、このまま聖女を続けても碌なことにはならないよ。セシリアのためにも、今すぐ聖女であることを放棄すべきだ」

「そんなこと、急におっしゃられても……納得できません」

「随分と今日は頑なだね。どうしてだい? いつもは僕の言うことは何でも聞いてくれるだろう?」


 いつも従順であるはずのセシリアの抵抗に納得できないのか、不快感を露わにするライオット。

 苛立った様子を隠すこともせずに、だんだんと声が大きくなっている。


 けれど、セシリアもそれに屈することなく毅然とした態度で対峙する。


「以前も申し上げました通り、私に聖女であることを辞めさせようとするのであれば、婚約をなかったことにして構わないと。ですから、私は聖女を辞めるつもりはありません」


 いつになくまっすぐライオットを見つめるセシリア。

 すると、突然ライオットが髪を掻きむしり始めたかと思えば、地団駄を踏み始めた。


「あーあー! 煩い! 煩い! うるさーい! 聖女なんて存在、無駄だろう!? 結界? お守り? そんなもの、何の役に立つ!? どうせ聖女だなんて気休めのお飾りだろう!? 魔獣を完全に防げるわけでもない! 人々を魔獣から完全に守れるわけでもない! それに、もし魔獣が出たら騎士達に対処させればいいだろ! 聖女なんてお荷物、この王都には必要ないんだよ!」


 ライオットが子供のワガママかのように喚き散らしているのを見て、呆気に取られるセシリア。


 ライオットの聖女の存在を軽んじて疎むような言動にただただ呆然とする。

 王都だけでなく、各地聖女がいるから領地を魔獣の魔の手から防いでいるというのに何という言い草だろうか。


 聖女がいるから治安が保たれているというのに。

 聖女が頑張れば頑張るほど平和だというのに。


 その努力や積み重ねが可視化されないせいでこんな誤解を生むとは思わず、セシリアはなんとも言えない気持ちになった。


「ライオット王子、不用意な言動は慎んでください。国民が見ております。あまり不用意なことを言って騒がれては、お父上の権威に支障が出ます」


 ライオットの態度にみかねて、周りに控えていた従者が進言する。

 その言葉にすぐさまライオットが周りを見渡せば、国民がこちらを見ながら何やらヒソヒソとしているのが見えて、慌てて彼らに見られないように背を向けた。


「っ! そ、そうだな。大きな声で外でする話ではなかった。……とにかく、聖女なんて必要最低限いればいいんだ! 今だって王都は聖女の削減を推奨しているが、魔獣の数が増えたという報告はない。つまり、聖女なんていらないことの証左なんだよ。だから、セシリアも聖女なんかに拘る必要はないんだ。いいね?」

「…………」


 ライオットに念を押されるも、答えようとしないセシリア。

 そんな彼女の反応に苛立つライオット。


 結局その日はお互いギクシャクした雰囲気を纏いながら、一日過ごしたのだった。

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