邯鄲(かんたん)

邯鄲 その1

 邯鄲かんたん


 何時いつも通り、着替えてきた男は、机の周囲を確かめると、棚から地図を取り出し、それを開いておもむろながつぶやいて、曰く「一番近い男が、一番後で追いついた。いや違う。これは地名がまぎらわしい。蒲陽ぼようとあるが、中山ちゅうざん蒲陽に非ず、河内かない蒲陽、蕩陰とういんに近ければ蕩陽とうようというべき所よ。そうでなければ辻褄つじつまが合わない」と、珍しく具体的な地名を口にする。

 男は地図を巻いて戻し、筆をると、いつもの竹簡ちくかんに二文字を書き加える。そして天井を見上げて考えにふける。


 劉秀の一行は、州牧しゅうぼくの如く官吏かんり監察かんさつを行い、王莽おうもうの付けた官名を旧に戻し、苛政かせいを改めて進む。これを喜ばない吏士りしは無く、牛や酒で迎える。しかし、劉秀自体、本来なら騎馬の方がありがたいのだが、今は傘を架けた四頭立て馬車に乗り、郡県の太守・県令を撫循ぶじゅんしながら進むので、軍が進行する速度とは比較にならずその歩みはゆるい。

 その間に一人、劉秀の陣営に加わった者がいた。一行が河内蒲陽に泊まって明けた朝である。劉秀らが出立しゅったつの準備をしている時に、目通りを願う者がいたのである。劉秀、配下からその人物を聞く。

 配下曰く「なんでも棘陽きょくよう劉公りゅうこうき、追ってきょう県から辿たどり着いたそうで、姓名を馬成ばせい、字は君遷くんせんと申す者、ご存知で」

 配下が言い終わる前に劉秀は立ち上がり出向いた。一目見て、馬成と見て取れた。劉秀、馬君遷、良くぞ参ったと迎え入れ、自らの警護兵と為す。

 そうして司隷しれい河内かない郡を抜け、劉秀は州に入る。そこは郡、元々は戦国七雄の一国、魏国の領域である。それを言うなら、しゅうの都洛陽らくよう辺りを除けば、司隷・河内郡も古はかん国・魏国の領域であった。しんがその国々を滅ぼして数えて二百五十年となり、ただ河北の一部にその名が残されただけである。その魏郡の主都ぎょうに一行は入城する。

 ここに逗留とうりゅうすると、劉秀はいつも通り市を立てさせた。食事や宿、日用品は官吏に命じて用意させることが出来るが、撫循という旅から旅を重ねると、不足しがちな物品が生じ、旅銭りょせんがあることに越したことは無い。余剰の官品を売り、金銭を得、必要な物も入手する。そこで市を立てさせたのである。こうすれば必要に駆られて兵士が略奪に走ることもない。昔、劉秀が長安ちょうあんに遊学していた時にみがいた商才の賜物たまものである。

 その市を立てた日に事件が生じた。事は劉氏の宗族の孺子じゅし、小僧が、その劉秀の威光を笠に、二束三文のものを高く買わせようと、商人たちに圧力を掛けたことから始まった。それを見た軍市令ぐんしれい祭遵さいじゅん、これを諫止かんしするが、劉孺子、祭遵が居なくなればまた繰り返す。軍市令が身の長け八尺二寸にしていかめしき容貌の銚期ちょうきであればあなどられなかったが、物腰が丁寧ていねいで衣服が質素しっそな祭遵は、ととのった容貌ようぼうからして優男やさおとこにしか見えない。

 祭遵、三度目にいさめるに曰く「値は売り手と買い手が合議で決すものなり。大司馬の命で、市を開くのはりゃくしようとするにあらず」

 劉孺子、返して曰く「故に、この値で買おうと向こうは欲す。何をか問わん」

 祭遵の目が細くなり、静かな口調で話す、曰く「いずくんぞ、お止めにならん」

 劉孺子、返して曰く「市令、我の一言で汝を辞めさせられるも可なり」

 刹那せつな、祭遵の足が踏込ふみこみ、拳が孺子の腹に食い込む。孺子がくつすると、祭遵はその頭をってころがせ、なぐり続ける。周囲が数人で祭遵を取り押さえるが、孺子はこと切れていた。

 劉秀、一族の小僧が祭遵に殴り殺されると聞いて、即座に祭遵を捕えさせる。

 この時、主簿しゅぼの一人陳副ちんふくが進言して、曰く「明公めいこうは、常に軍兵ぐんぺいが規律正しく整然とすることを望まれています。今、祭遵は軍律を守ってこれを避けようとはしませんでした。これは教令きょうれいが行き届いているということです」

 怒り心頭しんとうの劉秀、それでもこれを考えようと小首を傾げるが即座に顔を上げ、陳副の言を受けて祭遵をゆるす。更に劉秀、祭遵を刺姦しかん将軍と為し、集まった諸将に向かいて曰く「まさに祭遵に備えるべし。我が宗族の法を犯した孺子ですら殺したのだ。きっと諸卿を大目に見ることはない」


 祭遵の事件の後も、劉秀が鄴に逗留していると、配下から目通り願いたいという者があると聞かされる。何者かと劉秀が尋ねると、二十ばかりの若造、南陽なんよう新野しんや県から参った、姓はとう、名は、字は仲華ちゅうか、ここまで聞くと、劉秀即座に会おうぞと答える。

 劉秀、会見の間に入ると、果たして、五六年前、長安で見知った男、鄧禹がいた。劉秀は鄧禹が七つ下であることを思い出す、今は二十二か。小僧らしい顔はようやくそろえてきた鬚で体裁を整えてはいるが、若いというのはいなめない。

 劉秀、常にもあらず喜んだが、それを抑え、会うや尋ねて曰く「我は、爵を封ずるも官を与えるも為せる権を得れば、汝、遠くから来るは、仕官しようと言うのか」

 きょとんとする鄧禹、劉秀の目が笑っているのに気づいて、口許くちもとゆるめると答えて、曰く「願わざるなり」

 劉秀再び尋ねて曰く「そうだとすれば、何を欲する」

 鄧禹、口調を整え答えて、曰く「只願わくは、賢明なる劉公の威徳いとくが天下を覆い、禹は、寸功すんこうを立てて、功名こうみょう竹帛ちくはくれればと」

 劉秀、自らの問いが突飛とっぴであれば、答えも尋常じんじょうあらず、為にこれを聞いて笑う。鄧禹も含み笑いをする。積年の壁が一挙に崩れた。鄧禹は留まって劉秀と二人だけで夜通し話し合う。長安でのこと、王莽のこと、南陽のこと、新野に帰らせたいん麗華れいかのこと。

 劉秀曰く「左様か。麗華の様子は知らぬか」

 鄧禹、陰氏の屋敷に出向いて言伝を預かるほど殊更の知己でも無かった。また河北の劉秀に至ろうと公言していれば、陰氏は言伝を頼んだであろうが、劉玄に薦められていた手前、妙な波風を立てるのも憚れて、宗族以外に行く先は言わずに新野を立っていた。

 唐突に鄧禹は笑って、曰く「今気づきましたが、二つは成就じょうじゅなされましたな」

 劉秀、二つとはと訊き返す。鄧禹曰く「「仕官してはまさ執金吾しっきんごと成るべく、妻をめとっては当に陰麗華を得べし」。公、今や大司馬にして、陰氏は娶られ夫人とされた」

 劉秀は行大司馬である。兼ねるとはいえども大司馬であり、執金吾の上に立つことになる。

 劉秀、鄧禹に返して、曰く「秀、禹にも言ったか。しかるに、陰氏はともかく、今のだい司馬しばよりも昔の執金吾の方が良し」

 鄧禹、劉秀の不安を思い、座り直して諫言する、今は皇帝劉玄が問題ではなく、大司馬劉秀が懸案であると、曰く「今上は長安ちょうあんに都をうつされましょう。しかし山東さんとうは未だに安定せず、赤眉せきび青犢せいとく叛乱衆はんらんしゅうは集まれば万を越える軍となり、関中かんちゅうには号を為す者が集まりたむろする。今上はまだそれらを一所としてくじかず、その上、自ら意見を聞いて処断しょだんすることは無く、諸将は凡人が身を起こしたに過ぎず、その志は財貨に有って、朝夕ちょうせきを自ら楽しむのみ、深慮しんりょ遠謀えんぼう有って、主をたっとび民をやすんじようと欲する者にあらざるなり。四方に瓦解がかいしたる天下の形勢けいせい御覧ごらんあれ。賢明なる劉公、帝の藩臣はんしんとしての功は立つと雖も、まだ成就せざることを恐れる。今をはかるにおいて、英傑えいけつ収攬しゅうらんし、務めて民の心をよろこばせ、高祖こうその如き大業を成し遂げ、万民の命を救うに如くは無し。公が思慮持って当れば、天下が定まらないことが御座いましょうか」

 劉秀、鄧禹の壮言そうげんうれしいかなと受け止める。すなわち左右のものには鄧禹を鄧将軍と呼ばせ、陣中において共に計略を定めようとした。

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