洛陽 その2

 今、皇帝劉玄は、匈奴策は据え置いて、並び立った群雄に封爵し、すなわち租を認め統治を認め代々へのその権を認めて懐け、方や郡県が皇帝劉玄に服することを確かめようとする。とう郡太守の王閎おうこう、王莽の従兄弟いとこであるがうとまれて東郡に出された者が、三十余万戸を保って漢に降る。帝、更には使を遣り、赤眉せきびの将にも降るように命ずる。赤眉の樊崇はんすうら漢の復興を聞くとその兵を留め、自らその渠帥きょすい二十余人を率いて使に随行し洛陽に至り、すなわち帝に降った。皇帝劉玄、それらを皆列侯に封じる。また王莽に誅された故に断絶されたりょう劉立りゅうりつの子劉永りゅうえいが洛陽に至れば、皇帝劉玄、これまた梁王に封じる。


 その洛陽で閑居かんきょをかこつ劉秀の元には、姉婿の鄧晨とうしんが現れ、皇帝に常山じょうざん太守に任じられた故河北かほくおもむくと告げる。劉秀、別れを惜しむ。鄧晨は皇帝劉玄が各地に送る使・令・太守に知った名の者がおればそれを告げる。例えば、昆陽こんようの戦いで共に戦ったりゅう配下の任光じんこう信都しんと太守として河北に送られると。五威ごいつ中郎将ちゅうろうじょう李軼りいつも東郡・陳留ちんりゅう郡・済陰さいいん郡を降す将として洛陽を出たと。

 劉秀、空を見上げて一言のみ返す、曰く「みなを見れば渡り鳥の如し」

 口には出さねど我も都を離れたいと劉秀は思う。破虜はりょ大将軍と言えど、実際は寡兵かへいのみ許される司隷しれい校尉こういである。それでも依然劉秀の動きをうかがう者がおり、それが感じ取れる。今は小康状態の皇帝劉玄の体制だが、一旦崩れれば命が一番危ういのは、簡単に旗頭はたがしらに祭り上げられる劉秀であると、自他共に分かっているからである。

 劉玄にしても、劉秀を支配下で監視して置きたいが、こちらでも問題があった。劉玄は南陽なんようはたげし、潁川えいせんを押え長安・洛陽を収めたが、他の地方に威及ばず、辺境では皇帝劉玄をただ窺うのみであった。

 徐州琅邪ろうや郡に張歩ちょうほという者が自ら将として立ち郡を押える。よう廬江ろこう郡には王莽にられた、潁川郡きょの人李憲りけんが偏将軍廬江太守として在り、王莽が破れてもかたくなに守って、ついには淮南わいなん王を称す。けいなん郡には黎丘れいきゅうに二年も前から立った秦豊しんほうが十二県を押えていた。長安の西の天水てんすい郡には漢の名で隗囂かいごうが立ち、長安の南の漢中かんちゅう郡のその更に南のしょく郡には公孫述こうそんじゅつがこれまた漢を名目に立つ。機を見て、大守・県令の中には皇帝劉玄にそむく者が出るかもしれない。寇賊こうぞくの類はまだ収まっていない。

 特に黄河より北部の地域、河北かほくをどうするかが問題であった。匈奴と常に争う故、精鋭がそろった河北。しかもまだ赤眉にも襲われておらず戦力が温存おんぞんされた河北。そして王莽が侯から庶民に落とした劉氏一族が残る河北。皇帝劉玄、親近の大将をして河北をべようと思えど、誰を遣れば良いか判断がつかぬ。大司徒だいしとりゅうが言うに、南陽劉氏一族、独り文叔ぶんしゅく有り、これを用うべし。劉賜は劉玄の従兄弟であれば、劉玄とは懇意こんいである。それどころか、劉賜と甥の劉信りゅうしんは劉玄の代わりに劉玄の弟劉騫りゅうけんの仇を討っているのである。代りに劉賜の兄にして劉信の父劉顕りゅうけんはかりごとが漏れて獄死している。その時、当の劉玄は賓客のため官吏を避けて隠れざるを得なかった。よって劉賜、滅多なことでは皇帝劉玄の逆鱗げきりんに触れず、またその言は軽んじられぬ。しかし、それでも大司馬だいしばしゅら劉秀を放すなかれ、とこれに反対する。皇帝劉玄、確かに昆陽のいさお持った劉秀なら、河北の剛も服すであろうと思うが、寵臣ちょうしんらが反対するので、考え直す。

 流れを変えたのは馮異ふういであった。主簿しゅぼである馮異は劉秀の食事に寝屋も看ていたが、劉秀が独りの時は酒肉を取らぬに気付き、またしとねの枕に涕泣ていきゅうの跡を見つける。これになみだをつけるにはと考えると、してぬかづいたことによる。誰がために額づき涕する、知れたこと、亡兄劉縯りゅうえんのため。馮異、劉秀がじょうからえんに帰りび、喪に服さざるを知り、それが何故か分かったゆえ、劉秀に話そうとする。劉秀、馮異が人払いして話がありますというので、応じてこれを聞く。

 馮異伏して曰く「大将軍、大将軍の悲しみは分かり申す。しかし時はそれを許しませぬ。願わくは自重じちょうされんことを」

 劉秀、伏したる馮異が何を言おうとするか悟って曰く「卿、妄言もうげんすること勿れ」

 馮異、伏したる顔を上げると、普段はにこりと笑う顔が、真顔のままである。意は通じた、と馮異は御意ぎょいと再度伏せる。

 それでも、馮異は劉秀を皇帝劉玄の監視下の外に出すことを考える。このままでは、いずれ劉秀殿は害されてしまう。馮異、司隷校尉の主簿であれば、出入りする官舎にて様々な噂話を集め、皇帝劉玄が河北に威名ある武将を送りたいこと、その候補に劉秀が上がっていることを知り、これだと更に情報を集める。河北には勇将を送りたいが、その一方、事務をとどこおりなく行える人物が必要であると聞いて、馮異はまさに劉秀殿以外には有り得ぬと思う。しかし、劉秀の才を知るのは、父城・潁陽にて様々な雑務をさばくのを見てきた劉秀配下ばかりである。ならばと馮異は事あるごと、劉秀を引っ張り出す。劉秀、馮異らが片付けられることに何故引きり出されるのか分からないが、その後で必ず尚書しょうしょ曹詡そうくと、時にはその父左丞相さじょうしょう曹竟そうきょう評定ひょうじょうする段取りになっているのに気付く。自然、馮異がいなくとも曹竟・曹詡父子と三人で話をし、曹竟・曹詡の相談に乗っていることもある。そこで河北に送られる将の話題となる。遣られる将は見回る太守・県令が正しく郡県を治めているか判断し、有能な者はそのまま再任し、無能或いは非道な治め方をしている者は更迭こうてつするという職務を帯びている。曹詡は河北に将が送られれば、皇帝劉玄のみことのりが曹詡に至り、曹詡がこれをその将に送り、逆に将からの報は曹詡に至り、皇帝劉玄に奉じられることを言い、し下手な武将を遣えば官吏・民とも大いに迷惑することになるが、それが文叔殿なら安心であると続ける。劉秀も、河北に行く将に我が名を聞くが、未だ認められずと笑う。劉秀、馮異の狙いを解し、曹竟・曹詡の便宜べんぎとなることに手を貸す。

 曹竟・曹詡、河北で雑務を捌けるのはこの将のみと考え、河北に送るには殊更ことさら能吏のうりでなければなりませぬと皇帝に訴える。劉玄、誰が適任かと尋ね、曹父子は威名あって能吏であるのは劉文叔のみと答える。再び、大司馬朱鮪らが反対する。しかし威のある武将というのは代えが利くが、能吏と言われて、役人でもない限り代えが利かないことに劉玄は今更ながら気付く。緑林りょくりん新市しんしの兵でそこまで気の利いた将がいれば、劉玄は立っていない。舂陵しょうりょう、劉縯の軍にはそれがいた、そこから出すなら、やはり劉秀しかいない。ついに皇帝劉玄、劉秀に大司馬を兼ねさせ河北に遣ろうと決める。

 馮異は、劉秀に河北への派遣が決まりましたと伝え、人払いして曰く「天下は共に王氏に苦しみ、漢を慕うこと久し。今、皇帝劉玄の諸将は暴虐ぼうぎゃくにて勝手気ままに至るところ略奪するゆえ、万民は失望し、帰順して帝を仰ごうとは思わず。今、大司馬は河北に命を出せれば、恩徳を施すに如くは無し。けつ王・いんちゅう王の乱政有って、すなわち殷のとう王・しゅう王の功績有り。人、飢え渇きに長く遭えば、充たしかせるは成しやすし。そこですぐさま官属を分散して遣り、郡県を循行じゅんこうし、無実の罪はこれを晴らし、恩沢を布くべし」

 劉秀はその通りと受け入れる。


 まだ十月であった。劉秀、節を持ち、姉こう・妹伯姫はくきを含む宗族、来歙らいきゅう王常おうじょうらの見送りを受け洛陽をづ。見送りには朱祐しゅゆう、字は仲先ちゅうせんも居た。朱祐は劉縯の護軍ごぐんであり、劉縯が討たれた時、怨みを募らせた。これは危険と劉秀はわざと朱祐と疎遠となった。恨めしげに見送る朱祐に、劉秀は目で応じる。一行は黄河を渡る。馮異・王覇・祭遵ら、南陽や潁川で劉秀にいた者が随行ずいこうする。この知らせ、噂を聞いて多士が動き出す。

 南陽郡新野しんや県の鄧禹とううは、若くして才能を認められた人物で、長安に遊学した頃には年上の劉秀に懐いていた。しかし劉玄が立つと、多くの者が薦めるにも拘わらず仕官せずにいた。今、劉秀が節を持ち河北を平定に出向いたと聞くと、馬のむちを杖代わりにして河北に向う。

 潁川郡襄城じょうじょう県の傅俊ふしゅんは賓客十余人を率いて河北に向かい、潁川は同じくきょう県で仮令を命じられていた馬成ばせいも後を配下に託すと官を捨ててかちで荷を背負いて出立しゅったつする。その他の官属、豪族の賓客も劉秀を頼むべきかと、風向きを見計らう。


 男は机を起つと、また要用な物とそうで無い物を分けようとするが、どれも要るなと、只机の上を整理し部屋の外に出る。春である、物音に驚いて声を立てて鳥が飛び立った。

 男はそれを眺めて曰く「我も、羽根を広げて飛んで行きたいものだ」

 思うは、河北に自由を得た劉秀の晴れ晴れとした気分である。男は口に出して曰く「恐らくは清々すがすがしくあったであろう」

 芽吹いた木々、啼鳥ていちょう、それを見るに付け聞くに付け、自分の引篭ひきこもった今を思えば、実にうらやましく思う。

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