【短編】魔女のパンケーキ
Nova
前編
深い深い森の奥。多分どこかの森の奥。日本かもしれないし日本じゃないかもしれない。あるかもしれないしないかもしれない。そんな森の奥深く、フェアリーズサークルのようなほんの少し開けた場所の、木漏れ日の差す木立の近くの小さなお家。
お家の中で、シレネはこじんまりとした家の大部分を占めている、ちょっとだけ大きなテーブルの上に、椅子に座ったままべたっと伏せてむくれていました。シレネは人間でいうと10歳くらいの女の子に見えますが、この森の中では一番強い魔法が使える魔女でした。
「退屈だわ、ビーンズ。とっても退屈。毎日毎日、どうしてこんなに退屈なのかしら。」シレネは深いため息をつきながら、ぶつくさと文句を言いました。
ビーンズというのは鴉です。魔女には動物の相棒がいるものですが、当然シレネにも鴉の相棒がいました。3つ目の鴉のビーンズです。もとは普通の鴉だったのですが、魔女のシレネに付き合っていたら、なんだか不思議な鴉になっていました。
「退屈?そうかな。僕としては啄んで遊べるくらいの大きさの木の実と、ひとかけらのパンケーキがあれば十分だけどな!」鴉のビーンズは言いました。
「鳥頭だからわからないのよ。毎日毎日おんなじように、鳴らないベルを磨き続けるのがどんなに退屈か!」シレネは思わず叫んでいました。
ベルとは扉のベルのことです。来訪者が来たら扉の前でベルを鳴らします。シレネは毎朝、その扉のベルを磨いておくことを日課の一つにしていたのでした。けれどもベルは鳴りません。待てども待てども鳴りません。それもそのはず、シレネは魔女です。森に住んでいる動物もフェアリーも、魔女のシレネが怖かったのです。
どうして魔女が怖がられているのかって?どうしてでしょう。シレネたち魔女にもよくわかりません。ひん曲がった鉤鼻の魔女は、見た目のせいだと言いました。でもシレネは普通の女の子です。博識な魔女は、薬草と毒草の匂いのせいだと言いました。でもシレネは、薬も毒も苦手です。強い魔法を使うせいだと言う魔女もいました。それはそうかもしれません。シレネだって本気を出せば、怪力なクマさんだってバーンと飛ばしてしまえます。だけど絶対にそんなことはしませんし、魔法はもっと楽しいものだと知っています。
「はぁ、いい加減、誰でもいいからベルを鳴らして、遊びましょっ!って言わないかしら。」シレネはまた、大きくため息をつきました。
「どうしてそんなに他の生き物と絡みたいんだい?毎日が楽しければなんでもいい。むしろ他の連中とかかわるなんて、どんな問題が起きるか分かったもんじゃない。それに、シレネたち魔女を怖がってるような腰抜けなんか、相手にしたって仕方がないよ!」ビーンズは残り物のクランベリーを突っつきながら言いました。バタバタと翼を羽ばたかせるので、空気中に小さな羽毛が舞っています。
「ちょっとビーンズ!埃がたっちゃう!それに羽毛が舞い散ってるわ!?そろそろ換毛期だったかしら。」シレネの疑問はほんの少しだけずれています。確かに、そろそろ冬毛の抜ける時期ですが、そんなことは関係ありません。
「まぁいいさ!とにかくお腹が空いたみたいだ!シレネ!お昼にしよう!」鴉のビーンズは言いました。
「あら、もうそんな時間?お掃除はしたけど、それ以外は何にもしないで終わっちゃったわ!薬草の瓶詰でも作ればよかった!」シレネは少しだけしょんぼりしました。
「そんなに作ったってどうするのさ!人間と交流のある魔女ならさておき、シレネの棚はパンパンだ!これ以上作ったところで収まらないよ!」
「分かってるわよ。」シレネはぷくっと頬を膨らませて見せました。
ビーンズの言い分はもっともです。街の近くに住んでいる魔女だったなら、薬を商人に売ることができますし、中には珍しい材料の絵具や、ちょっと変わった雑貨品を作って売っている魔女もいたりします。
でもシレネが住んでいるのは森の中。人間たちではすぐに迷ってしまうぐらいの、深い深い森の奥。当然ですが、薬も毒も、必要とするものがいなければすぐに余ってしまいます。保存のきくものがほとんどですし、シレネだってちょっと頑張って街に行って、薬を売ったり食料品を買ったりしているのですが、そう頻繁ではありません。前に行ったのは軽く数か月は前なので、今の薬棚はいっぱいです。
「売りに行ってもいいのだけれど、いかんせんここからじゃあね。一番近い街に行くにも、軽く一晩はかかってしまうわ。」シレネは不服そうに言いました。
「刺繡をするのももう飽きちゃったし、最近ハンカチは売りづらいのよね。」
「え?なんで?」
「分かんないわ。新しい機械ってやつで、量産ができるようになったんですって。人間たちは、丁寧な刺繍よりも使いやすさを好むのよ。お貴族様だって随分前にいなくなっちゃったくらいだしね!」シレネはいろんな人づてに聞きかじった知識を披露しました。
「へぇ!そうなんだ!まぁ鴉の僕には関係ないんだけどね!」ビーンズはどうでもよさそうに羽根を整えています。
「むぅ。まぁそうよね。人間たちの近くに住んでる魔女さんたちと違って、私たちには関係ないわよね。」シレネもビーンズに同意しました。
「それはそうとシレネ!お昼はベリーのパンケーキにしようよ!」ビーンズはバタバタと羽ばたきながら言いました。
「ちょっと!羽が、舞い散ってるわよ!てか私が作るってのにほんとに遠慮しないわね!」シレネは空気中に散った羽を、手を振って散らしながら言いました。
「そりゃそうさ!僕は長生きだけど鴉だし、作ってもらわないと食べられないからね!頼んだよシレネ。もう何年も一緒に過ごした仲間じゃないか。」ビーンズはひと際大げさにまくし立てます。
「そうよね、もう何百年もの仲ですもんね。」シレネは観念したように唸りました。
結局いつものことですからね。口ではあーだこーだと言っていたって、心の中ではまぁいいかと思っているシレネです。
「まぁ、いいわ。その代わり、ちょっとでいいから手伝ってよね。」シレネはわざとらしく腰に手を当てて言いました。
「もちろんさ!ベリーを載せたり味見をしたり!お手伝いなら慣れてるからね!」ビーンズは誇らしそうに言いました。
「それはお手伝いって言わないの。」シレネはビーンズの頭をちょんと小突くと、材料を用意しながら言いました。
粉や砂糖、ミルクに卵、飾り付け用のベリーにいちごジャム、でも甘すぎるのは嫌なので、ほんの少しのハーブも出します。
「ハーブ?ハーブは食べるもんじゃないだろ!やめておこうぜ!」文句を言うビーンズを横目に、シレネはかまどに火をつけます。オーブンも別にありますが、パンケーキはフライパンで焼きたいですから、ちゃんとそれ用のかまどがあるんです。
「ビーンズは食べなきゃいいでしょ!私はハーブが欲しいんだもん。」シレネが指を一振りすると、パチッと火花が散って、かまどの薪が燃え始めました。
「ほんっとに不思議だよなぁ!魔女の魔法って。指を一振りでいいんだぜ?」
「そうよね。人間たちの創作物では、棒切れを使ったり不思議な言葉を唱えたり、なんだか余計なことをたくさんしてるけど、魔法の原理はもっとシンプルなものだもの。ほんっとにおかしいわよね?」シレネは心底不思議そうにうなずきました。
「まぁ確かに、人間たちの創作物はそれはそれで面白いのだけど。あんなおどろおどろしく書かれちゃったら余計に怖がられてしまうわよ。きっと大昔の魔女さんたちが、人間を驚かせるために色々やったのね?それで人間は真に受けちゃったんだわ。」シレネは可哀想という顔をしながら、部屋の隅にある本棚に目をやりました。
「それはそれとして、さっさとパンケーキを作るわよ!」シレネはグッと腕を突き出して気合を入れました。
二人分だからそんなにたくさんは作りませんが、小さなシレネの体ではほんの少しだけ重労働です。早速、黒いワンピースドレスの上から、白いフリル付きのエプロンをつけます。裾の方にはシレネの刺繍でおまじないが入れてある特別なエプロンです。
「よしきた!」ビーンズは元気に返事をしました。
作ると言ってもちょちょいのちょいです。魔法を使って材料を混ぜたり、火の調節をしたり、フライパンにバターをしいたり、だいたいのことは指を一振りですんでしまいます。
パンケーキがふつふつとしている間に暖炉の方ではお湯を沸かします。最近は少し暖かくなってきたので、複数の場所で火を焚いているとじっとり汗ばんでしまうくらいには熱いのですが、シレネもビーンズも、料理のためだと割り切っています。
シレネたち魔女は人間ほどではないものの、生きていくのに食べ物を必要とします。普段は森で狩った動物のお肉や、家の裏で育てているお野菜なんかを中心に、時々パン窯でパンを焼いて食べたりしています。
シレネは魔女会きっての料理好きの魔女。ことパンケーキに至っては、他の追随を許しません。そんなこんなで、あっという間においしそうなベリーベリーパンケーキが出来上がりました。
「完成よ!」
じゃじゃーんと手を広げながら、シレネは得意げにパンケーキの乗ったお皿を披露します。ついでにえっへんと腰に手を当てて、得意げな顔をして見せました。
「いぇーい!今回もめちゃくちゃ美味しそうだな!」ビーンズも翼を広げて喜びます。
これもいつものことなのですが、今回はなんだか少し気分がのりません。シレネはため息をつきました。
「どうしたんだよ。お腹でも痛いのか?」ビーンズが首を傾げながらよくわからない心配をしてきます。
「パンケーキ、食べられそうか?」
「自分が食いしん坊だからって、人もそうだと思わないでよね!」シレネはふんと顔を背けました。
「じゃあなんだってんだよ〜。鴉の俺には察するなんて無理なんだぜ?」カチカチと爪をテーブルに打ち付けながら、ビーンズは心配そうに言いました。
「うーん。こんなに上手くできたのに、オーディエンスがビーンズだけなんて、物足りないなと思ったのよ。」シレネは素直に伝えてみました。
「なんだ、もっと見せびらかしたいのか?なら見せびらかしてくるか?」ビーンズはソワソワとしながら聞いてみました。
「うーん、どうやって見せびらかすのよ。第一、今からパンケーキを持って森を歩いて回るわけにもいかないし、それにどうせだぁれも捕まりっこないわ!」シレネは呆れながら言い返しました。
「そうかなぁ……美味しい匂いがすれば、どんなやつでも顔を出さないわけにはいかなくなると思うんだけどな?シレネのパンケーキはとびきり美味しいし、これを食べればみんなシレネのことが好きになる。うーん、どうしたらみんなに食べてもらえるか……。うん?食べてもらう?そうだ!パンケーキを食べて貰えばいいんだ!」ビーンズは1人でぶつくさと唸った後に、カー!と大きく鳴きました。
「食べてもらう?だからそれができたら苦労しないって……。」
「パンケーキ屋さんを開こう!」シレネの言葉を遮って、ビーンズが大きな声で言いました。
「美味しそうな匂いがすれば、どんなに引っ込み思案な奴でもすぐに穴ん中から出てくるぜ!宣伝なら俺がやってやるよ!首から籠を下げて、出来立てのパンケーキを入れて飛び回るんだ!どうだ?いい案だろ?」ビーンズは3つの目を大きく見開きながらカーカー鳴きました。
「うーん、やってみる……?」
「やってみよう!退屈なんだったら試してみようぜ!」ビーンズ大声に励まされるようにして、シレネはパンケーキ屋さんを開店することに決めました。
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