第5話 主婦、気脈とかいう謎ワードを叩き込まれる
――やっぱり本気らしい。
ルミナのきらきら笑顔を前にして、私は斧を担ぎ直しながら深いため息をついた。
「ねえ……まじで、戦わせるつもりなの?」
「はいっ!」
即答である。しかも即答なのに、声色が妙に清らかで一切の迷いがない。こんな爽やかに“死地へどうぞ”と言える存在がいるとは思わなかった。
「いやいやいや! 普通もうちょっとオブラートに包まない? “まずは練習から始めましょうね”とか、“倒さなくても眺めてみましょうか”とか!?」
「大丈夫ですっ! サナ様は選ばれし救世の僧侶。きっとできます!」
「その“きっと”って言葉、私大嫌いだから! 保証ないのを誤魔化す魔法の言葉でしょ!?」
わめき散らしつつも、結局ルミナの導きに従って丘を下りることにした。
斧は……うん、やっぱり重い。でも不思議と振り回せなくはない。背筋にかかる圧は確かにあるけど、握った柄の部分から奇妙な温もりが流れてきて、体が勝手にバランスを取っているような感覚がある。
丘の道は、昼下がりの光に照らされて黄金色を帯びていた。小石が散らばる細い坂道を、風が吹き抜けるたびにざらりと転がる。その音と共に、遠くの湖面が揺れ、陽光が細波に反射して宝石のように瞬く。
現実じゃあり得ない。こんな景色、テレビのCMでCG加工された映像くらいしか見たことがない。なのに今、私はその中を息を切らしながら歩いている。非現実が現実になってしまったことに、また頭が追いつかなくなる。
「ところで、サナ様!」
前を飛びながらルミナが振り返った。
「この世界で戦うには“気脈”を理解する必要があるのです!」
「きみゃく?」
初耳すぎるワードに、私は反射的にオウム返しする。
「はい! 人の体には、血と同じように目に見えない力が巡っています。それを私たちは“気脈”と呼んでいます。魔法を扱う者は気脈を通じて外界の“エーテル”を呼び込み、術式を発動させるんですっ!」
ルミナは説明しながら、くるくると宙を舞った。彼女の小さな手が円を描くと、空気中に微かな光が散った。
「……ふむふむ。つまり、体の中にホースみたいな管があって、そこに魔力が流れてる……って感じ?」
「だいたい合っています!」
「えっ、合ってんの? 超適当な例えだったんだけど」
まさかの正解らしい。けど正解したからといって戦闘スキルが身につくわけじゃない。
「気脈を正しく流すことで、炎や氷を呼び出したり、治癒の奇跡を起こしたりできるんです! ただし――」
ルミナはそこで言葉を切り、なぜか私をじっと見た。
「ただし、サナ様は筋力全振りなので魔法は使えません」
「…うん、それはさっきも聞いたけど」
「でも、魔力がないからと言って戦えないわけではありません。気脈の流れを意識することは、武器を扱う際にも大事なんです! 気脈の扱い方をマスターすれば、より効率よく筋肉を動かすことができるんですよ!」
「どこのフィットネスクラブの勧誘!? “筋肉は裏切らない”の次は“気脈でトレーニング”とか!?」
私は額を押さえながら、ルミナの熱弁を聞き流すしかなかった。
それでも歩みを進めるうちに、不思議なことに気づいた。
呼吸と歩調を合わせると、体の奥で何かが脈打つ感覚がある。心臓の鼓動とは違う。もっと深く、骨の奥で光が滲んでいるような……。
「……あれ、これが……気脈?」
私がつぶやくと、ルミナがぱっと笑顔を見せた。
「そうです! サナ様の中にもちゃんと気脈はあるんですよ! 神器がそれを引き出してくれているんです!」
「うわぁ……なんか怪しいスピリチュアルセミナーみたい……」
しかし否定できない。実際に体が軽くなるのを感じるのだから。斧の重みも、ほんの少し和らいでいる。
それが“救世の僧侶”に選ばれた証なのかもしれない。
……いや待て、救世とか言われても困るんだけど。私はただの主婦で、夕飯の買い出しリストが使命だったはずなんだ。
坂を下りきると、湖面がより近くに見えた。風が頬を撫で、どこからか水鳥の鳴き声が響く。
そしてその湖岸に――ぷるぷると震える影がまたひとつ。
ジェルム。
私の足が止まった。
「……やっぱり、戦うの?」
「はいっ! 気脈を意識して、神器を振るうのです!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁ! やっぱり現実じゃんこれぇぇぇぇ!」
湖に響く私の悲鳴を背に、ジェルムがぷるりと身を揺らした。
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