第4話 主婦、初めてのモンスター遭遇
腕の中に収まったバトルアックスの異様な存在感にまだ呆然としていた私へ、ルミナが満面の笑みで声を掛けてきた。
「では、さっそくモンスターを倒してみましょうっ!」
「はぁぁぁ!? 急に何言ってんの!?」
なんで唐突に「さぁお買い物にでも行きましょう」みたいなテンションで戦闘を促してくるの。こっちはまだ現実と異世界の区別も曖昧で、頭の中では「今夜のおかずはハンバーグでいいかな」って思考と「巨大斧で世界を救う」って妄想がせめぎ合ってるんだよ!?
「ちょっと待って! 私、ゲームでしか戦ったことないんですけど!? しかも最後にやったの十年以上前のRPGよ!? 現実でモンスター相手とか無理だから!」
「大丈夫ですっ! サナ様は筋力全振りですから、魔法は必要ありませんっ!」
ルミナは胸を張って言い放った。
「いやいやいや! 僧侶って本来は魔法で支援とか回復とかする役割じゃん!? 私がやりたかったのは“癒しの奇跡”とか“ホーリーヒール”とか、そういう優しいやつなの! なんでよりによって脳筋仕様になっちゃってんのよ!」
「筋肉は裏切りません!」
「そんな体育会系スローガンみたいな励まし、いらないから!」
私はアックスを支え直し、重心をずらしてみた。なるほど、神器のおかげなのか、持てるには持てる。けど、これを振り回すなんて絶対に無理だ。キッチンでフライパンを返すのとはわけが違う。
「……で、具体的にどう扱えっていうのよ、これ」
「振るえばいいんです!」
「シンプルすぎる説明やめてぇぇ!」
額を押さえて呻いていると、ルミナがキラリと笑った。
「ま、まあまあ。百聞は一見にしかずです! さあ、行きましょう!」
有無を言わせぬ調子で、彼女は光の粒を散らしながら先導する。
丘を登っていくと、空気が変わった。
さっきまで一面の草原だったのに、少しずつ大地が隆起し、足元は小石を含む硬い土に変わる。息をつくたびに土の匂いが肺に入り、どこか現実離れした清涼感があった。
そして丘の頂に辿りついたとき――私は思わず息を呑んだ。
眼下に広がるのは、崖下に湛えられた巨大な湖。水面は鏡のように澄み、風にさざめく波紋が空の青と雲の白を揺らしている。その中央に――そびえ立つ大樹。
幹はまるで天へ届こうとする柱。根は湖面を穿ち、大地の奥底に絡みつくよう。枝葉は黄金に透け、陽光を浴びて無数の光粒を撒き散らしていた。まるで空そのものが樹に宿っているかのような神秘。
「うわぁ……」
思わず声が漏れた。見惚れるしかない。これほどの景色、絵本や映画でも見たことがない。
「どうですかっ! あれこそ《エルグランの精霊樹》! 古の神々が大陸に遺した聖なる樹です!」
ルミナが胸を張って解説する。なるほど、観光名所紹介みたいに言われても、これは確かに見るだけで価値がある。
ただ私は心の底から思った。
(こんな神々しい光景を見せられたあとに、“じゃあモンスターと戦いましょう!”って、バランスおかしくない?)
……と思った矢先だった。
「サナ様、ご注目ください! 湖岸のあたりを!」
ルミナが指差す方へ目を向ける。
そこに、何かが蠢いていた。
半透明の身体がぷるぷる震えている。水飴のようにねっとりとした質感、丸っこいフォルム。その中に黒い核のようなものがゆらゆら漂っていた。
「な、なにあれ……スライム?」
「惜しいです! あれは《ジェルム》と呼ばれる下級魔獣です!」
「名前違うだけでほぼスライムじゃん!」
「でも油断は禁物です! ジェルムは酸性の体液を持ち、普通の武器ではなかなか倒せないのです!」
「え、ちょっと待って!? そんな危険生物を主婦にぶつけるの!? 私まだこっちの世界の生水すら飲んでないんだけど!?」
「ご安心ください! サナ様には神器がありますから!」
「だからそれが一番信用ならないのよぉぉ!」
私は崖下の湖を見下ろしながら、震えるジェルムを凝視した。
どう考えても無理。あれを相手に戦えって? しかも、こんなバカでかい斧を振り回して? ……いやいやいや、ゲームならまだしも、現実よ? これ現実扱いでいいのよね? だって風の匂いも、木々のざわめきも、全部リアルすぎる。
「サナ様ぁ、いよいよ初陣ですっ!」
ルミナは嬉々として手を叩いた。
「いやいやいや! ハンバーグ焼くのとジェルム叩き潰すのじゃ、難易度が天と地の差だから!」
私は斧を握りしめながら、絶望と混乱と、ほんの少しの期待に心をかき乱されていた。
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