第2話 使命って何それおいしいの?
――とりあえず、叫び疲れた。
大声出すのってけっこう体力使うのね。私、普段ご近所付き合いとかで笑顔ばっかり振りまいてるけど、もし井戸端会議でこんな声量出したら確実にドン引きされる。
とにかく今の私の心境をひと言で言うなら「帰りたい」。
異世界? 救世主? 筋力全振り? ……知らん知らん知らん! 家庭に主婦を連れ出してどうすんの。冷蔵庫の鶏肉が心配なんですけど。
「ルミナ!」
私は目の前でひらひら飛んでいる妖精を、ぐっとにらみつけた。
「わ、わわっ!? は、はいっ! なんでしょう、サナ様!」
「帰る方法。今すぐに。帰して。家に。今ここで。帰宅!」
ややパニック気味に早口で畳みかけると、ルミナは羽をしょんぼり垂らしながら首を横に振った。
「サナ様……残念ですが、それはできません」
「は?」
「使命を果たさなければ、元の世界には戻れないんです」
「……は?」
聞き間違いかと思った。でもルミナは真顔。いや真顔っていうか真剣な羽バタバタ。
「使命……?」
「はい! サナ様は救世の僧侶です! このアルヴェリア大陸を救うのが使命なのです!」
……はい出ました。「世界を救え」とかいうファンタジー特有の押しつけ設定。
いやいやいや、ちょっと待て。こっちはただの三十路過ぎの専業主婦なんですけど!? 救世の僧侶? 使命? なにそれ、スーパーの特売情報みたいに簡単に言うな!
使命、使命ねぇ……。
私の使命ってなんだろう。
――洗濯物を干すこと?
――夕飯を作ること?
――旦那の健康を気遣って減塩メニューを考えること?
――義母に「息子をよろしくね」と言われたときのプレッシャーに耐えること?
――ついでにドラッグストアでポイント5倍デーを見逃さないこと?
……どう考えても、それが私の使命だ。世界を救うとかじゃない。生活を救うのが私の使命。主婦業に休みはない。洗濯機が止まったら即干す。冷蔵庫の野菜室を開けたら使いかけのネギがシナシナ。そこに使命感を感じるのが私の人生だ。
「聞いてるルミナ!? 私の使命は夕飯を作ること! 旦那に『おいしい』って言ってもらうこと! そして健康に暮らして、普通に老後を迎えること! それ以外なにがあるっていうの!?」
「……老後って」
妖精に引かれた。妖精にドン引きされる三十三歳主婦。やだ、地味にダメージでかい。
「と、とにかく私はそんな大それた使命を背負うような人間じゃありません! 世界救うとか無理! ほかをあたってください! 若い子とか! 勇者っぽい男の子とか!」
「……ですがサナ様しかいないのです」
「いやいやいや、私しかいないって……もっとちゃんと探せばいるでしょ!? どっかの冒険者ギルドに! イケメン剣士とか、目つき悪いけど仲間思いの盗賊とか、メガネで冷静な魔導士とか!」
「いません」
即答かよ。夢も希望もないなこの世界。
あぁもう、帰りたい。ほんと帰りたい。
旦那の顔が浮かんでくる。……うちの旦那、三年前に大病してるんだ。ガン。幸い手術でとれたけど、医者からは「再発の可能性もあるから生活習慣に気をつけてください」って言われてて。だから私は食事に気をつけたり、休ませたり、そうやってやってきたんだよ。
そんな旦那を置いて、なんで私が異世界で世界救わなきゃならんのよ。
……と、そこでルミナが突然、ふわっと空中で手をかざした。
「……じゃあ、サナ様。少しだけ“ある話”を」
「ある話?」
するとルミナの手の中に、水晶玉のようなものが現れた。中で青白い光が揺れている。
「これは未来を映す水晶です。サナ様の大切な人の“運命”を見ることができます」
「運命……?」
「はい。サナ様の旦那様――彼の寿命の期限が近づいています」
……え?
耳を疑った。いやいやいや、なにその衝撃のセリフ。
ルミナはさらに続ける。
「三年前にご病気をされたとか。現在は落ち着いていますが、このままでは……再発する可能性が高いのです」
「…………」
私は思わず黙り込んだ。
いや、待って。これは冗談じゃ済まない。笑えない。笑ってやり過ごすには、あまりにもリアルすぎる。
旦那は――私にとって、ただ一人の大事な人だ。
一緒に笑って、一緒に食べて、くだらないことで喧嘩もして。そんな当たり前の日々が、かけがえのない時間だって、私は知ってる。
ルミナは水晶を胸の前で抱え、ゆっくりと羽を震わせながら言った。
「この大陸の混乱は、サナ様の世界にも影響を及ぼしています。命の流れも……例外ではありません」
命の流れ? また出たよファンタジー用語。はいはい、どうせ“マナ”とか“オーラ”とか、そういう中二っぽいノリでしょ?
……そう思いたかった。けど、「命」と聞いた瞬間、心臓が変な音を立てた。
「影響って……まさか」
「そうです。サナ様のご主人も、その影響を受けています。寿命が、本来よりも短くなっているのです」
ピキッと頭の中で何かが割れる音がした。
ちょっと待って。寿命って……軽々しく言うなよ。そんな、コンビニで“おにぎり半額セール”くらいのテンションで寿命を語るな。
「……いやいやいやいやいや。ストップ、ストップ! そんな話、信じられるわけ――」
そこまで叫んで、私は言葉を飲み込んだ。
ルミナの水晶玉の中に、ふっと光景が浮かび上がったのだ。
白い病室。無機質なシーツ。そこに横たわる人影。
……旦那だ。間違いない。三年前、病に倒れていたときと同じ顔。あのとき私は、その手を握りしめて「大丈夫だから」なんて強がって、泣き笑いみたいな声を出したっけ。
「……っ!」
心臓を鷲掴みにされたみたいに、息が苦しくなった。
「彼は三年前に大きな病をしましたね」
「……っ」
「今は落ち着いていますが、このままでは再発が早まります。命の流れが削られているせいです」
削られるってなに? まるでプリペイドカードみたいに。いや笑えない。笑えないんだけど、頭の片隅では「命の流れ=残高」って図式が出てきて、震えながらも妙に納得してしまう自分がいた。
「……で、それを直すには?」
絞り出すように私が問うと、ルミナは真剣な顔で――いや小さいから顔のパーツの迫力は薄いけど――しっかりと答えた。
「サナ様が使命を果たし、この大陸を救えば、均衡は戻ります。命の流れも修復され、ご主人の寿命は本来の長さを取り戻すでしょう」
ズシンと胸に落ちた。
……あぁ、そういうことか。
使命を果たす=世界を救う。世界を救う=旦那を救う。
いや、繋がり方が雑すぎるでしょ!? どんだけスケールの大きい因果関係なの!?
でも、水晶の中の旦那の姿が、あまりにもリアルで、笑い飛ばせなかった。
私の脳内は全力でツッコミを入れ続けているのに、心の奥底ではもう分かってしまっていた。
――これ、逃げられないやつだ。
何度も「そんなわけない」と否定しようとした。ファンタジー設定を真に受けるなんて馬鹿らしい。子どものおとぎ話じゃあるまいし。
けど、旦那の命がかかってるかもしれないって話になった瞬間、私の中の主婦魂がひゅんっと方向転換した。
だって、旦那がいない人生なんて、私にとってはあり得ない。
世界なんて救いたくない。モンスターとか冒険とか、正直ぜんぶ勘弁。
だけど――旦那の未来を救えるなら。
気づいたら、喉の奥から勝手に声が漏れていた。
「……もし、もし私がこの“使命”とやらを果たしたら……旦那は」
「助かります」
ルミナは静かに言った。その声色は、いつものおちゃらけた調子じゃなかった。
私は深く息をついた。
――でもちょっと待て。ここで真剣に悩むのもおかしいだろ。世界を救うとか、ゲームの中だけの話だし。私が本気で受け止めるなんてバカみたいじゃない?
そう思いながらも、旦那の顔が脳裏から離れなかった。
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