第3話 初ミッション

 新学期が始まった。

 野球部のみんなは無事宿題を提出できたようで、わたしはほっと胸を撫で下ろした。

 あとは試験も、問題なければいいけど。

 甲子園が終わっても、野球部の士気は高い。秋の大会があるからだ。

 9月から始まる秋季大会を勝ち進むと、11月に明治神宮で行われる全国大会に出場することができる。

 通常夏の甲子園が終わった段階で3年生が引退し、新体制となったチームで挑むことになる。けれど、浮風高校の野球部は、春からずっと1年生だけのチームでやっている。その点、馴染みがあるメンバーであることは有利に働く。

 ……と、みっちゃんが言っていた。

 夏の甲子園に比べたら知名度は低いけど、来年こそ甲子園に出場するためにも、秋の大会も全力で挑むつもりらしい。

 放課後、教室の窓からぼんやりとグラウンドの野球部を見ながら、心の中で呟く。


(すごいなぁ)


 みんな、ずっと、一生懸命だ。

 毎日そんなに打ち込めることがあるなんて、羨ましい。

 わたしはただ、毎日ぼんやり過ごしているだけ。

 ――時嶋くんのことも。

 きっと、行動力のある女の子なら、連絡先を交換したあと、デートに誘ったりするんだろう。

 でもわたしに、そんな勇気はない。

 だって、ただでさえ野球で忙しいのに。デートしてる暇なんてある? 邪魔じゃない?

 わたし、みっちゃんと違って、全然役に立ってない。

 野球のことも、まだまだ全然、わかんないことばっか。

 なんだかもやもやして、わたしは秋季大会のことを調べていた。

 去年の記事を見ていて、ある高校名が目についた。

 西岩地高校。


(これ、うちの近所だ)


 わたしは浮風高校に電車で通っているけど、実は徒歩圏内に西岩地高校がある。

 わたしが浮風高校を選んだのは、偏差値の問題と、浮風高校に制服がないからだ。

 せっかく女子高生だし、制服風の格好をしている女子は多い。わたしもだいたいはなんちゃって制服だけど、気分に合わせて何パターンか持っている。

 西岩地高校は、去年秋季大会を勝ち抜き、関東代表として明治神宮大会に出場している。

 ということは、多分野球の強豪校なのだ。


(全然知らなかった)

 

 強豪校。同じ関東地区なんだから、浮風高校とも当たるはずだ。

 だったら。


(なにかわかったら、力になれるかも)



 ☆



「ここが……西岩地高校」


 放課後のざわざわした生徒の出入りに紛れて、わたしは西岩地高校に入った。

 着ているのは、西岩地の制服に似ている雰囲気のなんちゃって制服だ。着崩したらこんな感じになるかもしれないよ〜レベルで人目をごまかしている。

 野球部のグラウンドは広くて、どこにあるかはすぐにわかった。ファンもいるのか、フェンスの外には、わたしと同じように見学している女子が他にもいた。こそこそしなくても、これは案外、バレないかもしれない。

 きょろきょろしていると、黒い防具をつけた人が歩いているのを見つけた。

 あの人、キャッチャーだ。

 目で追いながらついていくと、ブルペンに入っていくようだった。投球練習をするのだろう。

 誰かと話している。多分、ピッチャーだ。

 背が高くて、すらっとしていて、髪は野球部にしては長かった。

 その人は、話している時はやんちゃにも見える明るい顔をしていたのに、マウンドに立つと途端に表情を引きしめた。

 その顔にどきっとしていると、彼は一度キャップのつばに触れた後、きれいな投球フォームで球を投げた。

 すぱん、と気持ちいい音がミットから聞こえる。

 野球に全然詳しくなくても、彼は上手いのだろうということがわかった。

 そして何球か投げているのをぼうっと眺めて気づく。


(これじゃ意味ない……!)


 投げているところを見ても、わたしにはなんにもわからない。

 こっそり動画とか撮れないだろうか、とスマホを取り出すと、ピッチャーの視線がこちらに向いた。

 ばち、と音を立てて、明らかに目が合った。

 だらだらと滝汗を流していると、ピッチャーはにこーっと急に笑顔になって、わたしの方に駆けてきた。

 どうしよう、と思っていると、ガシャンと音を立てて、彼はフェンスに手をかける。


「ごめんねー、うちの練習撮影禁止なんだ。消してくれる?」

「あ、わ、ごめんなさい。撮ってないです」


 まだ、とは心の中でだけ付け足す。

 わたしの不審な挙動に彼は貼り付けた笑顔のまま続けた。


「それ、うちの制服じゃないよね?」


 ――バレた!

 青ざめるわたしを置いて、彼は駆け出した。

 今の内に逃げるべきかと迷っていると、彼はあっという間にフェンスをぐるりと回って外側にいたわたしのところまで来て、わたしの手首を掴んだ。


「連行〜」

「ひええええ!?」


 悲鳴を上げるわたしを、彼はにこにこと笑顔のまま、ブルペンまで連れて行った。

 それを見て、マスクを外したキャッチャーが、呆れたような顔をしていた。


翔悟しょうご、何やってんだよ。女子連れ込んだりして」

あつし、スパイだよスパイ。こいつ制服うちのじゃねーの」

「え? あ、本当だ。どこのだそれ」

「どこの?」


 ぐりん、とこちらを見てきたピッチャーに、わたしは怯えながら答える。


「言いたくないです……」


 だって、わたし、マネージャーでもなんでもない。

 思いつきで他校まで来て、浮風野球部の評判を落とすようなことになったら、とんでもない。


「ふーん。ま、いいけど。データは消してね」

「だから、撮ってません」

「じゃ見せてよ」


 横柄だとは思ったけど、疑われる行動をしたのはわたしなので、しぶしぶロックを外したスマホを渡す。

 ピッチャーはようやくわたしの手首を放すと、画面をスクロールしていった。


「なんだ、ほんとにないや」

「そう言ったじゃないですか」

「ていうか、食べ物と猫の写真ばっか……。なんだこれ、野球の写真1枚もねーじゃん。野球部の関係者じゃないの?」

「違います。帰宅部ですし」


 これは本当だ。ぶすっとしたわたしに、ピッチャーは「あっそ」と言ってスマホを返した。

 その態度に、キャッチャーがピッチャーを小突く。


「翔悟、違ったんだから謝れよ」

「スマホ向けたこいつがわりーじゃん」

「ったく。ごめんなー、こいつ態度悪くて」

「あ、いえ、わたしも悪かったので」


 丁寧な物腰で謝ってくれたキャッチャーの人は、ガタイが良かったけれど、雰囲気のせいか怖くなかった。


「俺は野球部2年の武蔵野むさしのあつし。で、こっちが同じ2年の高遠たかとお翔悟しょうご

宮崎みやざき香夏子かなこ、です」

「宮崎さん。野球部じゃないなら、なんで撮ろうとしたの?」


 ぎくっとした。

 優しそうに見えても、そのまま帰してくれるわけではないらしい。

 それはそうか。だって、他校生が急に来て、どう見ても怪しい。


「そ、それは、その」


 言い訳を考えて、フェンスの周りにいた女子たちを思い出してはっとした。


「ピッチャーの人が、かっこよくて!」


 思ったより大きな声に、2人はきょとんとしていた。

 わたしは慌てて言い訳を続ける。


「あ、あの、ちょっと見たかっただけなんですけど! 見てたら、ピッチャーの人、えと、高遠先輩が、すごくきれいに投げるから、かっこいいなって思って、無意識に」


 しどろもどろで、これじゃより怪しすぎると思ったけど、高遠先輩がにやーっと笑って武蔵野先輩の背中をばしばしと叩いた。


「ほーら! ほーらな! オレの時代が来たんだって! ピッチャーがモテねーわけねーんだって! もう遥輝はるきに1人勝ちはさせねーぜ!」


 はるき? と思ってフェンスの外側に意識を向けると、練習を見に来ている女子たちのお目当ては、どうやら1人のようだった。

 女子たちの視線は一箇所に固定され、こちらは見向きもしない。耳を澄ますと、「遥輝ー!」という黄色い声が聞こえる。

 なるほど。西岩地高校野球部の有名人は、遥輝さんとやらなのだ。それじゃ、高遠先輩に目を向けたわたしが目立つはずだ。失敗したかもしれない。


「まー惚れちまったもんはしょーがねーよ。連絡先交換しとく?」

「待て待て、調子に乗るな」


 うきうきした様子の高遠先輩の襟首を、武蔵野先輩が掴んで制止する。

 呆れたように息を吐くと、わたしの方に視線を向けた。


「今の話だと、最初から翔悟を見に来たわけでもないんだろ? だったらなんでうちに?」

「あ……えっと、それは……その……」


 なんて言ったものか。まごつくわたしを、武蔵野先輩が怪しんでいる気がした。

 嘘を吐く時は、真実を混ぜるもの。スパイに来た、って言わないためには。


「……す、好きな人、が、野球部で……」


 絞り出すような声で言うと、2人がぽかんと口を開けた。

 うう、耳まで熱い。


「……え? だったらそいつ見に行けば?」


 もっともな返しに、わたしは焦って反論した。


「い、いつも遠くから見てはいるんです! でも、わたし役に立てないから、近くで見る勇気はなくて……。ここ、家から近いし、見てる人いっぱいいたから、ちょっと混ざっても気にならないと思って……」


 後半は若干嘘だ。たまたま来たわけではなくて、ここと決めて見に来たのだから。

 だけど。


「あの人が好きなものは、どんなものなのか……。あの人の見ている景色は、どんな風なのか、知りたかったんです。近くで見たら、少しでも、わかるんじゃないかって」


 これは本当。

 時嶋くんが、あんなに夢中になる世界は、どんなものなのか。彼が見ている景色の一部でも、わかったらいいのに。

 フェンス越しにしか知らないわたしには、きっといつまでも理解できない。


 暗い顔で俯いたわたしに、2人は困ったように顔を見合わせた。

 やがて、高遠先輩ががしがしと頭をかく。


「あー……そいつさ、ポジションどこ? ピッチャー?」

「え? いえ、キャッチャーで」

「へえ、珍し。なら、見てみりゃいいじゃん。キャッチャーの景色」

「え……?」

「オレ投げるからさ。淳、補助してやんなよ」

「え? え?」


 わたしの返事を聞かずに、高遠先輩はブルペンのマウンドに立った。

 武蔵野先輩は苦笑して、わたしにキャッチャーミットを渡した。


「嫌じゃなかったら、付き合ってやってよ。防具もつけてみる?」

「いえ、そこまでは」

「よし、じゃキャッチャーボックス行こっか」

「え? え?」


 混乱するわたしを連れて、武蔵野先輩はキャッチャーボックスへ。


「スカート、下はいてる?」

「はい、短パンはいてます」

「うし。でも見えない方がいいから、膝つくか」


 本来キャッチャーは屈みこむ体勢だけれど、わたしがスカートだったから、武蔵野先輩が膝をつけるように地面に自分のジャージをひいてくれた。

 恐縮しながら、そっとその上に膝をつく。


「触っても平気?」

「大丈夫です」

「そしたら構えは……こう」

「わ……」


 後ろから抱え込むような形で、武蔵野先輩が補助してくれる。


「このまま動かなきゃ、ちゃんと取れるから」

「え……」

「あいつ、コントロールは抜群にいいからさ」


 そう言った武蔵野先輩からは、高遠先輩への全幅の信頼が見えた。


「準備はいい?」

「は、はいっ! 大丈夫です」


 わたしの返事に頷いた武蔵野先輩が、マウンドの高遠先輩に声をかける。


「翔悟ー! 投げていいぞー!」

「おー!」


 返事をした高遠先輩の目が、すっと色を変える。

 その目に引き寄せられていると、高遠先輩が一度キャップのつばに触れる。そして流れるように美しいフォームから放たれた白球が、ぱすんと音を立ててミットに収まった。

 一瞬だった。瞬きもできなかった。そしてその視界の中心にいた高遠先輩が、にかっと笑った。


「ナイスキャッチー!」


 どくん、と心臓が鳴った気がした。

 そのまま動けずにいると、背後にいた武蔵野先輩が、わたしの背中をぽんと叩いた。


「ナイスキャッチ」

「あ、あ、ありがとうございます」


 どきどきしたまま立ち上がって、ミットを外して武蔵野先輩に返す。

 そうしている間に、高遠先輩がマウンドからこちらに駆け寄ってきた。


「どうだった? キャッチャーの景色」

「すごかったです。あんなにまっすぐ、ミットに吸い込まれるみたいに」

「まーオレだからな!」


 自慢げに胸を張った高遠先輩に、武蔵野先輩が苦笑する。

 でも、事実なんだろう。わたしが相手だから、球威はかなり落としていたと思うけど。それでも本当に全然手を動かさないで、球を取ることができた。並みのコントロールじゃない。


「すごく、どきどきしました。こんなの、体験できると思わなかった……ありがとうございます」


 興奮気味にお礼を告げると、高遠先輩はちょっとだけキャップのつばを下げた。


「……おう」


 さっきまでの勢いが嘘のような、ぶっきらぼうな返事だった。

 そんな高遠先輩を、なぜか武蔵野先輩が微妙な顔で見ていた。

 変な空気に気まずさを感じていると、武蔵野先輩が切り替えるようにわざとらしい咳ばらいをした。


「さて、これで宮崎さんの目的は果たせたかな。じゃ、俺たちそろそろ練習に戻るから」

「あっ! そ、そうですよね。邪魔しちゃって、すみませんでした」


 頭を下げて帰ろうとしたら、ぐっと手を引かれた。


「え……っ?」


 手を引いたのは、高遠先輩だった。


「れ、連絡先!」

「え?」

「野球のこと、知りたいんだろ。家近いんだったらまた会うかもしんないし、あと……その、好きな奴……の、相談にのれるかもしんないし!」

「はあ……」

「いいだろ別に、減るもんじゃないし!」


 半ばキレ気味な高遠先輩に引いていると、武蔵野先輩が高遠先輩の頭をはたいた。


「だっ⁉」

「恐喝すんな」

「してねえし!」

「相手ビビらしたらもうその時点でダメなの」


 武蔵野先輩に諭された高遠先輩は、一瞬ぐっと詰まったあと、矛先をわたしに向けた。


「ビビってねえよな⁉」

「えっ」

「だから威圧すんな」


 そして再度武蔵野先輩にはたかれていた。

 武蔵野先輩は高遠先輩の首に腕を強めに回して、わたしに笑顔を向けてきた。


「ごめんなー、ピッチャーって自己中な奴多くてさー」

「は、はあ……」

「いだだだだ! 淳! 痛い! 痛いって!」


 ギブアップの合図なのか、武蔵野先輩の太い腕をばしばしと叩く涙目の高遠先輩がなんだかかわいそうになってきて、わたしは自分でもよくわからないまま口を開いた。


「あの、連絡先くらい、いいですよ」

「マジで⁉」


 目を輝かせた高遠先輩の勢いに一歩引きながらも、表面上は笑顔をたもって頷く。


「先にお邪魔したのわたしの方ですし。あとから何か気になることがあれば、連絡入れてもらって構わないので」


 スマホはその場で確認してもらったけど、絶対にデータを送っていない保証はできないし。

 練習場に他校生がいたことに、あとから監督や学校の人から何か言われたら、わたしが証言する必要があるかもしれないし。

 お叱りを受けることがあれば、わたしの連絡先がわからないんじゃ困るだろう。

 そう思って連絡先交換に応じたわたしに、高遠先輩はそわそわした様子で、武蔵野先輩はやっぱり微妙な表情をしていた。

 どういう感情なんだろう、あれ。

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